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本気でシリーズを狙い8年間F1を戦った男たちの覚悟とは?トヨタの歴代F1参戦車両から、その情熱をご紹介します。

WRC(世界ラリー選手権)やNASCARで活躍した世界の巨人がF1へ。2002年から始まったトヨタF1チームの戦い。今回はトヨタF1の戦歴とマシン、そして彼らのF1にかける思いを振り返ります。

©︎TOYOTA

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F1参戦のきっかけ

©︎TOYOTA

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「トヨタのモータースポーツについて担当者たちの声を聞きたい。」

これは当時トヨタを率いていた奥田碩社長の言葉で全てはこの一言から始まりました。

「“オッサンのクルマ”というトヨタのイメージを覆す手はないか」そしてトヨタ車のイメージアップのためにモータースポーツをもっと有効に活用できないかという狙いがあり、F1参戦はどうかと当時の奥田社長が切り出します。

そして当初の計画より一年遅れの2002年から参戦することになりました。

 

トヨタF1歴代マシン

トヨタ TF101

©︎TOYOTA

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トヨタ初のF1マシンとなるTF101は、19カ月かけてゼロから設計されました。

トヨタはこのTF101で、V10エンジンに変更となる2002年からの参戦に向け、ミカ・サロとアラン・マクニッシュのドライブにより各国の11のサーキットで8カ月間、合計で3000周以上、累計20,967kmに及ぶテストプログラムが実施されました。

 

トヨタ TF102

©︎TOYOTA

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ドライバーは、1999年フェラーリで表彰台に登ったこともあるミカ・サロとポルシェで1998年のル・マン24時間耐久レースを制したアラン・マクニッシュです。

開幕戦オーストラリアGPでは、サロがいきなり6位入賞。

その後は第3戦ブラジルGPで再び6位に入った以外はノーポイントでした。

合計2ポイントで、コンストラクターズ10位で参戦初年度を終えました。

 

トヨタ TF103

©︎TOYOTA

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TF103はより多くのダウンフォースを発生させるとともに、すぐれたエアロダイナミクス効果も備えていました。

F1で優勝経験があるオリビエ・パニスと2002年にCARTチャンピオンに輝いたクリスチアーノ・ダ・マッタがパナソニック・トヨタ・レーシングのドライバーとして加入しました。

この年は16ポイントを獲得し、コンストラクターズ選手権を8位になりました。

 

トヨタ TF104

©︎鈴鹿サーキット

©︎鈴鹿サーキット

前年のTF103のコンセプトをベースにしながらも、シャシーを含めた全エリアを再設計されました。

ドライバーは前年と同じ組み合わせでしたが、第12戦ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇。

中国GPまではサードドライバーのリカルド・ゾンタが、日本GPからはルノーから移籍したヤルノ・トゥルーリがNo.16のドライブを担当。

またパニスが最終戦を待たず日本GPで引退しため、最終戦ブラジルGPではゾンタがNo.17のマシンに乗りました。

9ポイントを獲得し、コンストラクターズ8位。

 

トヨタ TF105

©︎鈴鹿サーキット

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2005年はラルフ・シューマッハがウィリアムズから移籍、トゥルーリは引き続きチームに残り、当時のF1でも上位進出が常連だった2人が加入し、力強いドライバーズラインナップになります。

第2戦マレーシアGPではトゥルーリがチーム初となる2位表彰台を獲得。

さらにこの年はポールポジション2回、表彰台5回をはじめ88ポイントを獲得。

コンストラクターズ4位でシーズンを終え、トヨタにとって飛躍の年に。

またチームの母国である日本GPでラルフが雨の中でポールポジションを獲得しファンを沸かせました。

 

トヨタ TF106

©︎TOYOTA

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ドライバーラインナップはそのままで、タイヤはミシュランからブリヂストンに変更。

しかし、うまく使いこなすことができず低迷してしまいます。

モナコGPからフロントサスペンションをゼロキール化したTF106Bを投入して復調をみせました。

35ポイントでコンストラクターズ6位。

 

トヨタ TF107

©︎TOYOTA

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この年も2人のドライバーはそのままでシーズンに臨みます。

前年の反省から、ブリヂストンタイヤにあわせてサスペンション周りが大幅に見直されましたが、信頼性も乏しく、一度も表彰台に上ることなく13ポイントで、コンストラクターズ6位でシーズンを終え、この年から同じトヨタエンジンを提供したウィリアムズを下回る結果になってしまいます。

また、2007年をもって3年間在籍したラルフ・シューマッハがチームを離脱します。

 

トヨタ TF108

©︎TOYOTA

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2008年はティモ・グロックがチームに加入。サードドライバーには小林可夢偉を起用しました。

TF108はシーズン当初からパフォーマンスを発揮し、フランスGPではトゥルーリが2006年以来となる3位表彰台を獲得。

グロックもハンガリーGPで2位表彰台を獲得するなど、56ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でシーズンを終えました。

 

トヨタ TF109

©︎TOYOTA

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この年からスリックタイヤが復活し、前後ウイングの形状が大幅に変わるなど、大きなレギュレーション変更があったF1。そんな中、開幕戦からダブルディフューザーを搭載したTF109は、開幕から強さをみせ、トゥルーリが3位、グロックが4位と幸先の良いスタートを切ります。

第4戦バーレーンGPではチーム初となるフロントローを独占しました。

第14戦シンガポールではグロックが、第15戦日本GPではトゥルーリが2位表彰台を獲得。

最終2戦では負傷したグロックに代わりトヨタ初の日本人ドライバーである小林可夢偉が出走。

最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たしました。59.5ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位を獲得しました。

前年まで低迷していただけに、終盤の目覚しい活躍をみせたトヨタ。2010年のさらなる飛躍も期待されました。

しかしシーズン終了後の2009年11月4日、午後5時。トヨタ自動車株式会社・東京本社の臨時会見場でトヨタのF1撤退会見が行われ、8年にわたる彼らの挑戦は幕を閉じました。

 

初代チーム代表に捧げる意地の3位表彰台(2009年フランスGP)

 

出典:http://ms.toyota.co.jp/jp/F1archive/

出典:http://ms.toyota.co.jp/jp/F1archive/

トヨタF1初代チーム代表に就任したオベ・アンダーソン氏がフランスGP直前に交通事故死、70歳で亡くなりになりました。

チーム全員左腕に喪章をつけてレースに出場。レース終盤、マクラーレン・メルセデスのヘイキ・コバライネンが肉薄。

ポテンシャルが上のマクラーレン相手に一歩も引かないトゥルーリはファイナルラップにサイドバイサイドのバトルを制し見事3位表彰台を獲得。

トゥルーリにとって3年ぶり、トヨタにとっても2年ぶりの表彰台でした。

トロフィーと喪章を交互に指さし、笑顔でチームスタッフの方を向いていたヤルノが印象的でした。

 

レースの職人が魅せた最後の母国GP(2009年日本GP)

©︎TOYOTA

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予選2位からスタートしたトゥルーリは3位で周回を重ねていきます。

前年度の覇者、ルイス・ハミルトンとの2位争いは派手なバトルはありませんでしたが、予選のようなラップの応酬で見ごたえのあるものでした。

ドライバーの集中力と腕、完璧なピットワークでトヨタは母国で2位表彰台を獲得。

まさにチーム全員で勝ち取った2位でした。

 

F1活動継続を最後まで諦めなかった人達の覚悟

©︎TOYOTA

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TMG副社長の木下美明氏は経営陣の納得を得られるF1の継続方法を探っていました。

そして彼が選択した案は、会社の経営陣が自らの会社を買い取るマネージメント・バイアウト(MBO)でした。

TMG社長のジョン・ハウエット氏とともにトヨタからTMGを買収する意思を確認し、動き出したのです。

しかし、それにはトヨタを退職した上で、資金が必要でした。

そう簡単にスポンサーが集まらない現実、たとえMBOが成功しても資金的には3年しか継続できる保証はなかったのです。

最悪の場合4年後に400人のスタッフが路頭に迷い、木下氏たちも無一文になる可能性がありました。

そんなリスクを背負っても、2人はMBOに向けて動き出したのです。

結局日本の商習慣、経営に関する倫理的問題という乗り越えられない壁が立ちはだかり、その計画は頓挫してしまいました。

 

まとめ

©︎鈴鹿サーキット

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奥田ミーティングから始まったトヨタF1の歴史は8年後の2009年に幕を下ろしました。

悲願の優勝は達成されませんでしたが、本社の意向に抗ってまで活動継続の道を探ったこと、トヨタのF1撤退会見での山科忠チーム代表の涙は彼らのF1にかける想い、熱意、情熱を感じさせました。

撤退の判断はモータースポーツを愛している豊田社長だからこその決断でもあったと思います。

クルマと人を鍛え、参加型モータースポーツを広め、モータースポーツの裾野を広げる豊田社長の考え方がクルマに、レース活動に現れてきています。

「私が社長をやっている限りはF1の復帰はない」と豊田社長はおっしゃいましたが、モータースポーツの基盤が出来上がればF1への復帰も意味があるものになるのではないかと個人的に思います。

変な言い方になりますが、“意味のある撤退”であってほしい。

せっかく撤退したのだから豊田社長、現在積極的に全国各地で行われているTOYOTA GAZOO RACINGの活動がモータースポーツの裾野を広げ、文化になることを願います。

“そしていつかF1に”

 

Writer Introduction
TaishiKawamura

セナ、プロスト、マンセル、ピケ達が戦っていた80年代後半から90年代前半のF1を観てモータースポーツの虜になる。国内、海外、カテゴリー問わずモータースポーツならなんでも好き。モータースポーツの魅力を一人でも多くの人に知ってほしいという想いで記事を書かせていただきます。

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