紫電・改(1978年)

右が紫電改(出典:http://japaneseclass.jp/)

右が紫電改(出典:http://japaneseclass.jp/)

1977年は早々に一線から下げられてしまった紫電ですが、1978年に当時ルーキーだった関谷正徳選手がドライブすることとなり復活を果たします。

名前は「紫電・改」となり、毎戦各所の改良が加えらました。

まずシーズン当初はセミ・オープンルーフ、短くカットされたテールにハイマウント型のリアウイングを装着した姿で登場。

シャシーはオリジナルから実績のあるマーチ製に変更されていたものの、尚も思う様に結果は出ませんでした。

出典:https://www.mooncraft.jp/wp-content/uploads/sites/7/b_gc07.jpg

フロント・リアともに大きく形状が変わった紫電改・後期型。出典:https://www.mooncraft.jp/

シーズン終盤には当時戦闘力を増していた13Bロータリーエンジンを搭載し、ラジエターを後方に移動。

コクピットの背後に大きなダクトが備え付けられ、フロントカウルも角ばった「従来型」のものを装備し信頼性向上への努力が見えます。

しかしその後も目立った成績は残せぬまま…このマシンの最後はクラッシュ、そして大破…という悲しい結末となってしまいました。

出来の悪い子ほど可愛いと言うけど、僕の紫電は正にそれ。全然活躍しなかったし何の記録も残さなかったけど、ぼくには今でも大きな存在です。紫電?字がきれいだからこの名前にしました。僕の一番好きな戦闘機は他にあるけど、紫電っていう名前、本当に美しいと思うなあ。

 由良拓也氏のコメント (SAN’EI MOOK 日本の名レース100選Vol.031 68ページより抜粋)

[amazonjs asin=”4779601959″ locale=”JP” title=”日本の名レース100選 VOL.31 (SAN-EI MOOK AUTO SPORT Archives)”]

ちなみに紫電の名は、太平洋戦争で旧日本軍が開発した戦闘機からとったもので、紫電・改という戦闘機も実在しました。

由良拓也氏をはじめ、このクルマに対する思いが「ただのレーシングカー」という域を超えていたからこそ、最後までどうにかしようと、幾つもの手が加わったと言えるかもしれません。

 

ムーンクラフト・その後の30年

出典:https://www.mooncraft.jp/wp-content/uploads/sites/7/b_gc11.jpg

富士GCを席巻したMCS(ムーンクラフト・スペシャル)出典:https://www.mooncraft.jp/

その後のムーンクラフトは尚も富士GCで戦い続け、1980年以降は「MCS」と呼ばれる独自パッケージのマシンを商品化。

GCが1989年に終了するまで遂にその王座を譲りませんでした。

さらに1980年代に入りムーンクラフトは、風洞設備を導入し正統派コンストラクターとして一挙に成長を果たし、F3000を足がかりにF1マシンの開発までを目論む組織に発展していきました。

一方で、「デザイナー・由良拓也」の指先から生まれた自由で美しいレーシングマシンは、シミュレーションと解析に基づいた理論的な形へと変化。

モーターレーシングの世界は、紫電が存在した時代から10年足らずで急速に変わっていったのです。

80年代…テクノロジー時代の到来は、良くも悪くも正解の無かった”奔放な70年代”を過ごした人々にとってはともすると”息苦しさ”を感じるものだったと言えるかもしれません。

しかしそれを超えて尚、由良拓也氏のクリエイティビティが失われることはありませんでした。

むしろ、若かりし頃描いていたマシンそのままの、ピュアな作品が生まれていく事になるのです。

トミーカイラZZ、ヤマハOX99-11などはまさに「由良拓也」というデザインですし、マツダ717Cなどレースカーでもその独特のスタイリングは現れていました。

出典:http://s151.photobucket.com/

70年代の盟友・解良喜久雄氏との「トミーカイラ・ZZ」。そのデザインは、一貫して由良拓也氏によるもの。(出典:http://s151.photobucket.com/)

 

ムーンクラフト・紫電MC/RT16

出典:http://www.hondacars-tokai.com/

MC/RT16の型名は「ムーンクラフトとライリーテクノロジー社のコレボレーション」を表す。出典:http://www.hondacars-tokai.com/

初代・紫電の誕生から30年近く経った2005年、ムーンクラフトは”自社製スポーツカー開発”という夢に再び挑む事となります。更に開発の先には、ロードカーとしての市販を目標としたのです。

高い安全性とパフォーマンスを両立させる、というコンセプトを掲げ、その実現の為、今回は基本設計に既存のレースカーを使用するという方法が取られています。

そのベースに選ばれたのはアメリカ・ライリーテクノロジー社のデイトナ・プロトタイプマシン向けのシャシー。これはベースを信頼性の高いものにし、スタイリングの自由度を上げる為の選択とも言えます。

とはいえこのシャシーは単に「流用」ではなく、シャシー底部、エンジンマウント、サスペンションマウント以外の部分…つまりメインスペースフレームを中心にほとんどの箇所をムーンクラフトで設計され、ここにライリー社のアドバイスを加えて製作されているのです。

そして言わずもがな、カウリング・デザインは由良拓也氏が担当し、数かぎりない風洞実験をもとに生み出された、流麗なフォルムが与えられています。

短いノーズに低いロングテールをもつその姿は、最新のルマンプロトタイプのような純レースカーそのものという印象ですが、コンパクトな車格も相まってどことなく愛嬌のある、自然と愛着の湧くようなデザインにまとまっています。

そして一寸乗り手を選びそうな出で立ちと違い、エンジンにはフラットなトルク特性を持つ4.4リッターV8「1UZ-FE」を採用。扱いやすくリスクの少ない挙動を実現しているのです。

正に「ムーンクラフトがロードカーを作ったらこうなる」を、設計面でもデザイン面でも物語るマシンに仕上がっていると言えます。このマシンに「紫電」という名前以上に似合うネーミングは無かったかもしれません。

 

出典:http://www.racecar-engineering.com/wp-content/uploads/2012/01/upshiden.jpg

記憶に新しいエヴァンゲリオン・カラー。出典:http://forums.pelicanparts.com/

そしてこのマシンの開発の場に選ばれたのは、やはりレースでした。

スーパーGT/GT300クラスで素性を鍛え上げるとともに、更には初代・紫電が果たせなかった「記録に残るマシン」になることを命題とし、2006年から参戦を開始。

Cars Tokai Dream 28とジョイントしての参戦で、ドライバーは高橋一穂/加藤寛規 両選手のコンビ。

初年度から大いに活躍し、いきなりドライバーズランキング2位を獲得する速さを見せると、翌年2007年には、優勝回数の差から同ポイントで2年連続ドライバーズランキング2位ながらも、チームランキング1位というリザルトを達成しています。

その後は100馬力近い差があるとも言われたFIA GT3勢相手に苦戦を強いられ、翌年のレギュレーション改定を機に出走が不可となる為2012年に引退。

しかし、2012年ラストを飾った富士スプリントカップで、パワーで勝るGT3勢に食い込み見事2位表彰台を獲得、引退の花道を飾ったのです。

最終的に、残念ながら市販化は実現しませんでしたが、7年もの長きに渡り激戦区・GT300クラスで戦い続けたポテンシャルは、正に速くて存在感溢れる”真・紫電”と呼びたいマシンでした。

 

ムーンクラフト・子紫電(2006年)

出典:https://www.mooncraft.jp/yuratakuya/garage/koshiden/03/03_03.html

ウインドウは「親紫電」のものをそのまま使っているとのこと。名前だけではなくきちんと共通点が。出典:https://www.mooncraft.jp/

多くの人に愛され、スタイリングだけでなく速さでレース界に爪痕を残した紫電ですが、ここからはその子供たち(?)をご紹介します。

毎年一度開催されている「K4GP」に向け、毎年ミニ・モークで出走していた由良拓也さんがスズキ・アルトを大改造(!)してあつらえたのがこの「子紫電」と呼ばれるマシン。

100人に見せたら全員が「かわいい!」と言いそうな愛くるしいデザインは、60年代の古き良きル・マンカーのようなクラシカルな雰囲気も併せ持っています。

出典:https://www.mooncraft.jp/yuratakuya/garage/koshiden/02.html

アルトの下半分をバッサリ!この上に頑強なパイプフレームが組まれ、アルトよりも高剛性に仕上がっています。出典:https://www.mooncraft.jp/

由良拓也氏が鉛筆を走らせたそのままのデザインながら、アルトのボディをほとんど「3枚おろし」にするくらい大胆にカット、その上でシャシー剛性を上げる為の補強を施し、パイプフレームを組んでFRP製のボディが架装されています。

こうしてK4GPに出走するとともに、名古屋ドリームカーショーでは(親)紫電と並んで人気を博したのです。

ちなみに、同じボディー型を流用して作られた「孫紫電」も存在しています。

 

ムーンクラフト・子紫電あーる

出典:http://alto-works.jugem.jp/

出典:http://alto-works.jugem.jp/

先のK4GPで他車との接触トラブルに見舞われ、傷ついてしまった小紫電。

そのリベンジを果たすべく、2008年のK4GPに向けて純・レーシングカーとして生まれ変わったのが、この勇ましくも愛らしい「子紫電・あーる」というマシンです。シャシーのベースはウェストレーシングカーズのレース用シャシー「JK96」のものが使用されており、そこにパイプフレームを架装し、更には”GT並の強固なサイドインパクトフレーム”まで備えているとのこと。

カウルは小紫電の下面をカットしたものが使用され、本気感みなぎるチンスポイラーはなんとGT紫電のものをカットして使用しているというこだわりぶりです。

出典:http://yurataku-ya.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/08/18/081707.jpg

サスペンションもプッシュロッド!由良拓也氏曰く「僕がまたまた作ってしまったおもちゃです」。(出典:http://yurataku-ya.cocolog-nifty.com/)

ブレーキやサスペンションもF4のものが流用され、親紫電顔負けの本気の軽・レーシングカーとして生まれ変わっています。

トップコンストラクター・ムーンクラフトの「本気の遊び心」が見える、実にワクワクさせられる1台です。

 

まとめ

ムーンクラフトというコンストラクター、そして「デザイナー・由良拓也」の精神を物語るプロダクトといえる”紫電”シリーズ。

その名前には、スタイリングと機能を追い求めたノウハウ、勝利の栄光、そして至高の遊び心までが詰まっているのです。

今後、また何かの形でリバイバルしてほしい…そう望まずにはいられません。

ちなみに、初代・紫電のボディー型は長くムーンクラフトの倉庫に眠っており、それを処分するというタイミングでマッドハウス代表の杉山哲氏(K4 GPでポルシェ917LHをフルスクラッチしてしまった方です)が引き取り、なんとFJ1600のシャシーをベースに完全復刻。

出典:http://www.lemans-models.nl/1977/1977FUJI03_car.JPG

デビュー時の”最も美しい姿”で復刻された紫電。(出典:http://www.lemans-models.nl/)

2003年の富士スピードウェイ・フィナーレ(旧コース改修前のセレモニーイベント)では、往年の名車とともに最後の”FISCO”を走り、多くのファンに熱い思い出とともに最高のデモンストレーション・ランを見せてくれました。

やはり、ただの「レースカー」には非ず。

由良拓也氏だけでなく、紫電はレースファンにとっても特別な存在であり続けることでしょう。

 

SAN’EI MOOK 日本の名レース100選Vol.031

[amazonjs asin=”4779601959″ locale=”JP” title=”日本の名レース100選 VOL.31 (SAN-EI MOOK AUTO SPORT Archives)”]