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タイヤでみるF1の歴史。60年以上F1を支えた縁の下の力持ちを振り返ります。

F1の歴史は60年以上になりますが、そのF1をずっと支えてきたのが黒いゴムの塊「タイヤ」です。これまで数々のタイヤメーカーが参入し、F1マシン足元を支え、常に進化してきました。これまで参戦してきたタイヤメーカーや性能、タイヤの大きさを振り返りましょう。

©Pirelli

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年代別で見るF1のタイヤメーカー

1950年代に活躍したタイヤメーカー

出典:http://formula1.ferrari.com/

出典:http://formula1.ferrari.com/

1950年のF1グランプリ開幕当初はイタリアの『ピレリ』とイギリス『エングルベール』の2社がタイヤを供給。

タイヤはバイアスの時代で幅は細く、径は大きくワイヤーホイールが主流で、ロールを誘発させてグリップを稼ぐ感じでした。『ピレリ』と『エングルベール』の時代が過ぎ去ると、F1のタイヤはイギリス『ダンロップ』の独占供給へと移行していきました。

 

1960年代に活躍したタイヤメーカー

Photo by Yamato.

Photo by Yamato.

1960年代中期になるとアメリカの『グッドイヤー』『ファイヤーストーン』がタイヤ供給に参戦して『ダンロップ』とのタイヤ戦争が勃発しました。

このころからエンジン排気量が2倍となったF1マシンのパワーに対抗すべく、ワイドトレッドタイヤが登場し、現在でも見慣れたF1タイヤの姿が出現しています。

なお、ワイドトレッドタイヤは当初溝付きでしたが、後にスリックタイヤに移行しています。

F1マシンにウイングが付いて、ダウンフォースを利用することによって大幅にコーナリングスピードがアップしたのもこの時代からです。

 

1970年代に活躍したタイヤメーカー

Photo by Tomohiro Yoshita

Photo by Tomohiro Yoshita

F1におけるタイヤ技術はスリックタイヤの登場で大躍進します。スリックタイヤが初めて使用されたのは1971年スペインGPでした。

1970年代半ばまでにグッドイヤーが優勢でしたが、ミシュランが1977年にF1に初参戦すると、状況が変わり始めます。しばらくは『グッドイヤー』の独壇場でしたが1978年にフランスの『ミシュラン』が参戦。

その後フランス『エイボン』、イタリア『ピレリ』と4メーカーが火花を散らす展開となりました。

ミシュランは、1.5リットルのターボエンジンを導入したことで有名な新しいルノーチームにタイヤを供給。そしてラジアルタイヤというさらなる発明を持ち込むことになるのです。

 

1980~90年代に活躍したタイヤメーカー

http://formula1.ferrari.com

http://formula1.ferrari.com

1980年代に入っても『グッドイヤー』の独壇場が続き、一時的な『ピレリ』の復帰があった程度でした。しかし1997年に日本の『ブリヂストン』が参戦を開始したことで流れが激変。

この年の終わりにFIAはスリックを禁止し、コーナリング・スピードを低下させるために溝つきタイヤの使用を義務づけました。これに上手く対応したブリヂストンとマクラーレンチームが開幕2連勝を飾ります。

先を越されたグッドイヤー勢は第3戦アルゼンチンGPに合わせてワイドなフロントタイヤを持ち込み、曲がりくねったブエノスアイレスのサーキットで抜群の機能を発揮し、彼らの開幕3連勝を阻止しました。

また、この年は最終戦までチャンピオン争いがもつれますが、直前のルクセンブルクGPから約1ヶ月もレースがなく、その間にマクラーレンは9日間、フェラーリは17日間もテストを重ねました。

特にブリヂストンは今までよりコンマ7秒速くするなど、タイヤの開発は目覚しいものでした。

「ブリヂストンvsグッドイヤー」の戦いにもなった最終戦はミハエル・シューマッハがタイヤバーストでリタイアしブリヂストンを履くミカ・ハッキネンがチャンピオンを獲得しました。

なお破れたグッドイヤーはこのシーズンいっぱいで、33年間に渡るF1タイヤの供給から撤退します。

 

2000~現在に活躍しているタイヤメーカー

出典:http://formula1.ferrari.com/

出典:http://formula1.ferrari.com/

1999年から2年間は『ブリヂストン』1社のみの供給であったF1タイヤでしたが、2001年から『ミシュラン』が復帰。早速ウィリアムズがシーズン4戦目のイモラで優勝しました。

即座の成功を警戒したのか、ブリヂストンは他チームにもタイヤを供給しながらフェラーリと独自の密接な技術提携を始めます。

タイヤ力学とサスペンション構造の優れた組み合わせを追求するため、ブリヂストンの技術者はマラネロで仕事をし、フェラーリの技術者は日本に向かったのです。

その結果フェラーリのF2002にはほとんど手が出せないほどの強さを発揮。ミハエル・シューマッハは2002年すべてのレースで表彰台に乗りました。

ミシュラン勢も2003年は反撃に出ますが、シーズン途中にタイヤのトレッド幅に違反があるのではないかと指摘されるなど、タイヤ構造を変えざるを得なくなり、ブリヂストンに主導権を奪われます。

結局2003・2004年ともにフェラーリとブリヂストンがタイトルを獲得しました。

 

©︎鈴鹿サーキット

©︎鈴鹿サーキット

2005年はコスト削減の一環としてタイヤ規約が変更され、レース中のタイヤ交換が禁止になります。

これによって流れが変わり、ミシュランを履くフェルナンド・アロンソ(ルノー)が勝利を重ねていきます。

しかし2005年のアメリカGPの事件でミシュランタイヤの信頼性が一気に落ちることになりますが、19戦中18勝とライバルを圧倒しました。

FIAは2006年「タイヤ交換禁止」を廃止しましたが、2年連続でミシュランチームがチャンピオンシップを獲得。しかし2008年からタイヤのワンメイク化の準備を進めており、ミシュランは再びF1から撤退。

結果的にレギュレーションの施行より1年早い2007年からブリヂストンがF1の単独タイヤサプライヤーとなり、2010年まで全チームの足元を支えました。

©Pirelli

©Pirelli

2011年からは『ピレリ』がF1に4度目の復帰を果たし、現在(2016年)も供給を続けています。

タイヤの進化に合わせる形で進化してきたF1マシン。驚異的なスピードF1マシンがサーキットを駆け抜けられるのは優れたタイヤあってのことなのです。

 

タイヤメーカーの参入と撤退

グッドイヤー

Photo by Tomohiro Yoshita

Photo by Tomohiro Yoshita

今は撤退していますが、F1のタイヤサプライヤーとして最も長く活動していたタイヤメーカーで1964年に参入し1998年に撤退するまでにF1グランプリ368勝を記録し、現在でもタイヤメーカーとして1位の記録を保持しています。

 

ブリヂストン

Photo by Tomohiro Yoshita

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1997年に参戦以来、ライバルたちとの激しいタイヤ戦争の中勝ち星を上げ続け2010年に撤退するまで数々のタイトルを獲得しました。特にフェラーリ、ミハエル・シューマッハと築き上げたの黄金時代は輝かしいです。

ミシュラン

Photo by Tomohiro Yoshita

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1977年にF1初参戦し1984年に1回目の撤退をするまでに、F1に初めてラジアルタイヤをもたらすなどタイヤ技術を促進させていました。

2001年に復帰し、ブリヂストンと激しいタイヤ戦争を繰り広げた末、2006年シーズンを最後に再び撤退しました。

 

ピレリ

©Pirelli

©Pirelli

ピレリはF1の創世記から参戦している数少ないタイヤメーカーの1つで、脱退と再参戦を繰り返しながら2011年の復帰で4回目のF1参入になります。

 

サイズと性能

©Pirelli

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60年代の終わりにウィングが登場し、リアのトラクションが重視される様になった背景から、主にリアタイヤが大きく、広くなりました。

70年代中盤までは、メーカーによって差があるものの、フロントは直径20インチ・幅11インチ、リアは直径26インチ・幅16インチでした。

1978年にロータス79が登場してウィングカーの時代に入ると、コーナリングスピードが大きく注目されるようになりました。

タイヤにはウィングカーの強力なダウンフォースに耐えられる剛性が要求されるようになり、1979年にはフロントタイヤの直径は23インチまで大きくなりました。

更にグッドイヤーとミシュランのタイヤ開発競争が、タイヤの進化を速めました。

1983年にウィングカーが禁止されましたが、今度はターボエンジンによって飛躍的に馬力が向上し、再びトラクションが重視される様になり、リアタイヤは直径26インチのままでしたが幅は18インチまで広がります。

フロントは直径25インチ、幅13インチ程度となります。これでフロントとリアは直径はほぼ一緒になりました。

1993年から、コーナリングスピード低減を目的としたレギュレーション変更でタイヤの最大幅が18インチから15インチに狭められ、リアタイヤの幅が狭くなりました。これでフロント、リアの大きさは更に近づいた事になります。

 

 予選用タイヤ

今のF1にはありませんがその昔、予選用タイヤ(Qタイヤ)というのもがありました。

このQタイヤは表面がベトベトでグリップ力はあるのですが、耐久性が無く、多くの周回を走れないのと、1回アタックすると表面にタイヤカスなどが付いてグリップが落ちてしまう難点がありました。

ですので、このQタイヤを使うタイミングを間違えると、良いタイムが出せないで終わってしまう事もありました。
ピレリは通常2回のアタックしかできない所を、一度使ったタイヤを皮むきして使用する事によって、計4回のアタックができるタイヤを開発しました。

Qタイヤは1992年に禁止されました。

 

2005年アメリカGP

http://formula1.ferrari.com

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金曜日に行われた午後のフリー走行で、ラルフ・シューマッハ(トヨタ)がインディアナポリスのオーバルコース区間であるターン13で、左リアタイヤのバーストでスピン。

コントロールを失ったマシンはウォールに激しくクラッシュしてしまいました。

ミシュラン側はターン13を安全に走行し続けることは現時点で困難と判断し、関係各所と協議を始めます。

ターン13通過速度を抑える、10周ごとにタイヤ交換する、ターン13にシケインを設けるなどを提案し、一度はシケインを設けたノーポイントレースで話はまとまっていたものの、FIA会長のマックス・モズレーとFIAのアメリカ代表に拒否されてしまいます。

解決しないまま迎えた決勝は予定通り開始され、各車フォーメーションラップに入りました。

しかし、ちょうど問題のターン13手前にあるピットロードが近づくと…ミシュラン勢はスターティンググリッドに向かわずピットインしてしまいます。

本線を走るフェラーリに対し、ピットレーンを走る各車、ミシュラン勢の採った行動はボイコットでした。

いくら速さを追求したレースタイヤとは言えど、安全なものにしないといけないことがこのレースで実証されました。

当時のブリヂストンモータースポーツ・モーターサイクルタイヤ開発本部長、浜島裕英氏はのちに、「この勝利は我々が誇りに思える1勝であります」と語っています。

 

まとめ

©Pirelli

©Pirelli

タイヤはレースにおいてとても重要ですが、あまり表舞台に出てくることはありません。

安全で最後まで走りきれるのは当たり前。何か問題が起こればすぐ矢面に立たされる、まさに“縁の下の力持ち”です。

決して目立たないタイヤですが、レースで大切な速さだけではなく、ドライバーの安全にも重要な役割を果たしています。

そしてタイヤが勝負の分かれ目になることも多いです。タイヤに注目してレースを観ると、レースの奥深さや難しさが分かり、レースの楽しみ方が増しますよ!

 

Writer Introduction
TaishiKawamura

セナ、プロスト、マンセル、ピケ達が戦っていた80年代後半から90年代前半のF1を観てモータースポーツの虜になる。国内、海外、カテゴリー問わずモータースポーツならなんでも好き。モータースポーツの魅力を一人でも多くの人に知ってほしいという想いで記事を書かせていただきます。

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