知っておきたい、ロズベルグの名レース

2008年オーストラリアGP「苦労した中で、ようやく掴んだ初表彰台」

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2008年には初表彰台を経験。荒れたレースでロズベルグの堅実さが光った1年だった。(出典:https://en.wikipedia.org/)

かつては名門として強さを誇ったウィリアムズでしたが、ロズベルグの加入時には入賞がやっとというほど低迷していました。

マシンの戦闘力が乏しい中堅チームでの戦いは厳しいなかでも光る走りを見せたのです。

デビュー3年目を迎える開幕戦オーストラリアGPで予選で7番グリッドを獲得したロズベルグは、抜群のスタートを決め4番手へ浮上。

すると戦闘力の低いマシンで終始上位を走行し、幾度もセーフティカーが導入される荒れた展開でしたが、持ち味である堅実な走りに徹し、自身初となる3位表彰台を獲得したのです。

この年は入賞は4回に留まりましたが、シンガポールGPでも同様の荒れたレースで2位に入り、波乱のレースで表彰台を獲得するという堅実さが光った1年となりました。

 

2011年日本GP「抜けない鈴鹿で13台抜きの快進撃」

出典:http://www.nicorosberg.com/

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ウィリアムズで健闘を見せたロズベルグは、2010年よりF1に復帰したメルセデスに移籍。ここではミハエル・シューマッハのチームメイトとして参戦することになりました。

3年間のブランクがあるシューマッハを引っ張るようにロズベルグは安定した走りを見せ、次第にチームを牽引する存在へと成長していきます。

その活躍ぶりはトップチームのドライバーと遜色ない入賞回数を記録しています。

それは2011年の日本GPでは抜きにくいと言われる鈴鹿サーキットで、見事な10位入賞を果たしました。

10位はこのシーズンでも目立つ成績ではありませんが、なぜ特筆すべきかというと予選でハイドロリックのトラブルが発生し、タイムアタックを断念。

最後尾スタートを余儀なくされていたのです。

抜きにくいといわれる鈴鹿サーキットで上位進出は絶望的なグリッドでしたが、序盤から着々と順位を上げ終わってみれば13台抜きとなる10位入賞を達成。

こうした走りもあってロズベルグは19戦で14度の入賞を果たし、シーズンを通して高い安定感を示しました。

 

2012年中国GP「参戦7シーズン目でようやく訪れた初優勝の瞬間」

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デビューから6年、F1通算111戦目でようやく初優勝を掴む(出典:http://www.nicorosberg.com/)

これまで善戦を続けてきたロズベルグにようやく初優勝の時が訪れたのは、デビュー7年目が経った2012年でした。

中国GPの予選で自身初のポールポジションを奪ったロズベルグでしたが、この年はピレリタイヤの急激な性能劣化が懸念され、ポールシッターが勝てないレースが続いていました。

そんな不安を吹き飛ばすようにロズベルグはスタートダッシュに成功すると、独走態勢に持ち込みます。

心配されたタイヤの性能劣化も最後までタイヤを労わり、危なげないまま初優勝をポールトゥウィンで達成。

F1史上でも5番目に遅い参戦111戦目で悲願の初優勝を掴みました。

 

2013年モナコGP「“モナコマイスター”の仲間入り」

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モナコ3連覇という偉業を達成。(出典:http://www.nicorosberg.com/)

シューマッハの引退に伴いハミルトンがメルセデスに加入したため、チームメイト間での主導権争いに注目が集まりました。

この年の第2戦マレーシアGPではロズベルグに対しチームオーダーが発令され、表彰台をハミルトンに譲ったという出来事もあり、物議を醸しました。

過去3年エースとしてチームを引っ張ってきたロズベルグでしたがチームの指示に従い、「Remenber this one.」(この事、覚えておいてね)と一言述べるに留め、次戦からの奮闘を誓いました。

そしてその4戦後となるモナコGPで意地のポールポジションを獲得。

決勝でも抜きにくいコースレイアウトを上手く利用し、速さを見せるレッドブル勢を見事抑えきって、シーズン初優勝。これはチームにとっても喉から手が出るほど欲しかったシーズン初勝利でもありました。

近年モナコは毎年優勝者が入れ替わっていましたが、ロズベルグはこの年の優勝を皮切りに2015年までにかけてモナコを3連覇するという快挙を達成し、見事モナコマイスターの称号を手にしました。

 

2014年アブダビGP「トラブルでペースダウンしながらも、最後まで力走」

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王座を賭けた2014年最終戦アブダビGP。レースではトラブルに見舞われるが戦いをあきらめないロズベルグはファンに感動を与えた。(出典:http://www.nicorosberg.com/)

チーム内の戦いがより熾烈になった2014年は、ロズベルグにとって飛躍の1年となりました。

この年よりマシンの規定が大きく変わったことで、メルセデスはマシン開発が成功しチームは大きな飛躍を遂げ、ロズベルグもようやく王座が狙えるマシンに巡り会ったのです。

同じマシンを駆るハミルトンと王座をかけて戦い、ベルギーGPでは両者が接触したことでタイトル争いは激化しました。

最終戦アブダビGPでは17点差を追いかけるという厳しい立場のなか、予選で見事にポールポジションを獲得。

しかし逆転王座へ望みを繋ぐロズベルグに待っていたのは、あまりに残酷な展開でした。

スタートでハミルトンに先行を許し、さらにレース中盤にはこの大一番でマシントラブルが発生しスローダウン。

無敵の強さを誇ったメルセデスのマシンは次々と後続に抜かれ、気付けば入賞圏外まで転落してしまったのです。

これにより逆転王座は絶望的になりましたが、F1王者の夢をあきらめないロズベルグは、チームからのマシンを止める指示に「最後まで走らせて欲しい」と懇願。

チームもそれを了承しトップから1周遅れになりながら完走を果たしました。

最後まで戦い抜いたロズベルグはマシンを降りると確執が取りざたされたライバルを称えに向かい、そのスポーツマンシップに多くの拍手が送られました。

 

2016年シンガポールGP「絶妙なタイヤマネジメントで優勝…チャンピオン獲得の足がかりに」

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今季のシンガポールGPではF1での200戦目を優勝で飾った。(©Pirelli)

2014年に惜しくも王座を逃したロズベルグは、その翌年は失望の1年を送ることとなってしまいます。

またしても強力なマシンを手にしますがハミルトンに対して劣勢を強いられ続け、あっさりと王座を逃してしまいます。

それに対し勝負強さが足りないという厳しい意見も浴びせられましたが、今季はその意見を払拭するような気迫溢れる走りを見せたのです。

第5戦スペインGPではスタートで後方から迫るチームメイトに対し猛烈なブロックを敢行するなど、勝利への執念が走りに表れ始めたのです。

その執念は第15戦シンガポールGPでも見られました。

レース序盤から首位を堅持するロズベルグに対し、他のチームは3ストップ作戦で揺さぶりをかけてきたのです。

そのなかでロズベルグは懸命にペースを保ち、接近戦となった終盤では後方のマシンにプレッシャーをかけるような走りを敢行。

そして見事に後続を振り切ることに成功してみせました。

このシンガポールGPでの優勝を皮切りにマレーシア、日本で多くのポイントを獲得し、タイトル争いで優位に立つきっかけを作る価値ある1勝を挙げました。

 

念願の初タイトルを獲得!

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そして迎えた最終戦アブダビGP。予選からハミルトンに先行されますが、決勝でも堅実に2番手を死守。

最後は、ハミルトンの作戦でわざとペースを落とされ、後ろから来るライバルたちとのバトルを強いられますが、これまで培ってきた粘り強さでポジションを守りきり、2位でフィニッシュ。

参戦11年目にして、ついに初のワールドチャンピオンに輝きました。

 

まとめ

©Pirelli

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F1王者の息子という華々しい家系に生まれたロズベルグですが、長い間光の当たらない時期を過ごしてきました。

しかし、戦闘力の低いマシンでも腐らず奮闘を続けたことでメルセデスへ招かれ、勝てるマシンと巡り会うことができたのではないでしょうか。

ここ3年間でメルセデスと共にロズベルグが上げた勝利は22回にも上り、不遇の時代を取り返すような活躍を見せています。

今季、彼の走りには気迫がこもっており、それが成績にも表れているように感じ、日本GPではその力強い走りを実際に目の当たりにした方もいらっしゃるかもしれませんね。

彼はこれまでチームの事を優先した走りを見せてきましたが、今季は自分のために戦っているような走りが印象的です。

そして、ついに掴み取ったワールドチャンピオン。これまでの苦労が報われた瞬間でしたね!