中嶋 悟 NAKAJIMA RACING 総監督

出典:http://supergt.net/

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日本人として初めてF1にレギュラー参戦した名ドライバー、中嶋悟氏。

1953年生まれの中嶋氏が4輪レースのキャリアをスタートさせたのは高校在学中。

レーシングカートからスタートし、1973年の鈴鹿シルバーカップで本格レースデビューを果たしています。

その後は全日本F2選手権でのチャンピオン獲得やヨーロッパF2選手権での2位表彰台等、フォーミュラレースを中心に国内外で活躍。

F1時代の中嶋悟氏 出典:http://www.ytjiazhuang.cn/

F1時代の中嶋悟氏 出典:http://www.ytjiazhuang.cn/

1987年には日本人初のレギュラードライバーとしてロータス・ホンダからF1デビュー。

1991年までの5シーズンを戦い、最高位は4位入賞。

チームメイトにはアイルトン・セナやネルソン・ピケら、そうそうたる面子が名前を連ねています。

現役生活を通じて雨のレースが得意だった事から「雨のナカジマ」の異名を持ち、F1参戦中も他ドライバーからウェットコンディションでの走りを絶賛されました。

F1参戦最終年となった1991年にはスポーツ功労者文部大臣表彰を受賞。

引退後は現在でもスーパーフォーミュラやスーパーGTに参戦するナカジマレーシングを率い、数々の名ドライバーを輩出しています。

父:悟が1987年に乗ったロータス101。写真は2011年のもの(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

ロータス101 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

鈴木 亜久里 AUTOBACS RACING TEAM AGURI 監督

出典:http://supergt.net/

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フランス人とのクォーターとして1960年に生まれた鈴木亜久里氏。

1972年にカートレースデビューを果たし、1979年には当時最年少となる18歳で全日本F3デビュー。

1983年と1985年にランキング2位を獲得するも、8年にも及ぶF3でのレース活動で資金が底をついてしまい、引退を考えるまでに深刻化してしまいます。

その後、日産ワークスドライバーとなった鈴木氏は全日本ツーリングカー選手権(グループA)にスカイラインで参戦。1986年にはチャンピオンを獲得。

勢いそのままに1988年の全日本F3000でもシリーズチャンピオンに輝いた後、いよいよ1989年からF1への挑戦を開始します。

現役ドライバーとして絶頂を迎えたのは1990年。

ランボルギーニエンジン搭載のラルースチームに移籍した事で戦闘力が格段に向上し、イギリスGPとスペインGPで6位入賞。

続く日本GPではアジア人初となる3位表彰台を獲得したのです。

現役時代の鈴木亜久里氏 出典:http://www.nissan.co.jp/

現役時代の鈴木亜久里氏 出典:http://www.nissan.co.jp/

1995年のF1引退後はスーパーアグリカンパニーを設立し、全日本GT選手権やル・マンに参戦。

1997年にはオートバックスと共にARTAを発足して監督業を開始します。

2000年でドライバーを引退してからもARTAの総監督として指揮を執りつつ、2006年からスーパーアグリF1チームとしてF1世界選手権に参戦。参戦2年目には2度の入賞を飾る活躍もみせました。しかし、資金難により2008年途中で撤退。2014年から始まったフォーミュラEにも参戦していましたが、こちらも第2シーズンでのチーム売却が決定。

現在はスーパーGTでGT500とGT300に1台ずつ参戦し、チャンピオンを目指しています。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

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近藤 真彦 KONDO RACING 監督

出典:http://supergt.net/

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スーパーGTの中で最も知名度が高い監督と言えばやはりこの人、“マッチ”こと近藤真彦氏ですね。

1980年代に人気男性アイドルとして一世を風靡した近藤氏がレース活動を開始したのは1984年の富士フレッシュマンレース。

星野一義氏のもとで経験を積みながら1988年から1993年にかけて全日本F3に参戦。

その後は全日本GT選手権やフォーミュラ・ニッポン、ル・マン24時間レースへの挑戦などをはじめ、2002年まで全日本選手権のドライバーとして活躍しました。

2001年セルモ時代 出典:http://ms.toyota.co.jp/jp/gt/2001-team-driver.html

2001年セルモ時代 出典:http://ms.toyota.co.jp/

ドライバー業から退いた後は、すでに2000年から始動していたKONDO RACINGの監督としてチームの指揮を執っており、2016年シーズンはスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久の国内3大カテゴリーにエントリー。GTではタイヤ無交換作戦を決め2勝を挙げる大活躍。スーパー耐久では日産自動車大学校とコラボし、見事シリーズチャンピオンを獲得しています。

近藤氏の30年以上にわたるレース活動は、日本国内においてモータースポーツの認知度向上に確かな功績を残してきています。

出典:http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Rally/6352/1996-8.htm

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金石 勝智 KEIHIN REAL RACING 監督

出典:http://supergt.net/

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1968年に大阪で生まれた金石氏は、1980年にカートレースデビュー。

1988年の鈴鹿FJ1600シリーズでチャンピオンを獲得すると、1989年には全日本F3選手権、そして翌1990年には全日本F3000選手権に当時の最年少21歳でステップアップします。

出典:https://www.youtube.com

1996年のスーパーフォーミュラより(出典:https://www.youtube.com)

1996年のフォーミュラニッポン最終戦富士で優勝を挙げると、翌1997年からは全日本GT選手権に参戦。

1999年と2000年の鈴鹿1000kmで2年連続総合優勝を飾る等、フォーミュラ以外でも活躍しました。

その後はル・マンやDTMにも参戦し、2009年まで現役ドライバーとして活動。

現在は2007年から続く自身のチームREAL RACINGにて指揮を執っています。

同じくスーパーGTなどで活躍したレーシングドライバーの金石年弘選手は従弟です。

DTM参戦時のメルセデス・ベンツCLK 出典:http://mers.in.ua/

DTM参戦時のメルセデス・ベンツCLK 出典:http://mers.in.ua/

 

野田 英樹 LEXUS TEAM SARD 監督

出典:http://supergt.net/

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1969年大阪生まれの元F1ドライバー。

1988年より中嶋悟氏が率いる中嶋企画に加入し、全日本F3選手権に参戦開始。

1990年にヨーロッパに渡りイギリスF3選手権に挑戦し、1992年からは国際F3000選手権にステップアップ。1994年に日本人初の国際F3000表彰台を獲得します。

同年はラルースからF1にスポット参戦を果たすも、目立った成績を残す事が出来ずにF1への挑戦は終了。

2001年チームルマン在籍時 出典:http://ms.toyota.co.jp

2001年チームルマン在籍時 出典:http://ms.toyota.co.jp

その後はインディライツでの優勝を経て、1998年に日本の国内選手権にカムバックします。

フォーミュラニッポンと全日本GT選手権への参戦を継続し、2010年に現役を引退(2012年に一時復帰)。

引退後はNODAレーシングアカデミー高等学院の校長を務める等、後身の育成に力を入れています。

2015年からチームサードを監督に就任し、2016年のチャンピオン獲得に貢献。

出典:http://supergt.net

エッソ タイガー スープラ 全日本GT選手権 出典:http://supergt.net

 

脇阪 寿一 LEXUS TEAM LeMans WAKO’S 監督

出典:http://toyotagazooracing.com/

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1972年生まれの奈良県出身。

昨シーズンまで現役ドライバーとしてモータースポーツ界に大きく貢献し、2016年シーズンよりチームルマンの監督に就任したばかりの監督1年生です。

1995年から全日本F3選手権に参戦開始した脇阪氏は、1996年に早くも同シリーズのチャンピオンを獲得。

翌1997年にはフォーミュラ・ニッポンへステップアップし、1998年からは並行して全日本GT選手権にも参戦。

出典:http://www.geocities.jp/evlaki/98gt01/98gta017.jpg

若かりし頃の脇阪寿一選手(左)出典:http://www.geocities.jp/evlaki/

時を同じくしてジョーダン無限ホンダ(F1)のテストドライバーを兼任するが、その後もフォーミュラレースではなかなかシリーズチャンピオンを獲得するに至らず、2004年をもってフォーミュラレースから引退。

それに対して、1998年より継続して参戦した全日本GT選手権及びスーパーGTでは通算11勝、3度のシリーズチャンピオンと、選手権を代表する名ドライバーとして活躍しました。

明るいキャラクターから、テレビのトーク番組への出演も多数。

2016年シーズンははチームルマンの監督を務める傍ら、トヨタ販売店系チームからスーパー耐久と86レースにドライバーとして参戦していました。

出典:http://ms.toyota.co.jp

エッソ ウルトラフロー スープラ 全日本GT選手権 出典:http://ms.toyota.co.jp

 

道上 龍 Drago Modulo Honda Racing 監督

出典:http://supergt.net/

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「ミスターホンダ」とも言える道上氏は、父親がカートショップを経営する家庭に生まれました。

幼いころから才能の片鱗を見せ、本格的な4輪レースデビューは1991年のフォーミュラ・ミラージュ。

全日本F3選手権初参戦となる1994年開幕戦で優勝。

同時期から並行してN1耐久や全日本ツーリングカー選手権等のツーリングカーレースにも参戦しており、ホンダとの関係をより深いものにしていきます。

特にカストロール無限NSXでの活躍は彼の代名詞ですね。

2000年JGTCにて 出典:http://www.michigami-ryo.com/

2000年JGTCにて 出典:http://www.michigami-ryo.com/

2000年の全日本GT選手権において、全7戦中で2位表彰台が3回という安定した速さを見せ、見事シリーズチャンピオンを獲得!

翌年にもシリーズ3位に入る等、ホンダのエースドライバーとして活躍しました。

スーパーGTへの参戦は2013年いっぱいで終了しますが、その後に自身のレーシングチーム「DRAGO CORCE」を設立してスーパーフォーミュラに参戦。その翌年からスーパーGTで「ドラゴ モデューロ ホンダ レーシング」として参戦を開始します。

2カテゴリーでのチーム監督という激務をこなす一方で、レーシングドライバーとしての活動も継続。2016年のWTCC日本ラウンドでスポット参戦。ほぼぶっつけ本番に近い状態でしたが、世界で活躍するドライバー相手に、一歩も引かないレースを見せてくれました。

脇阪寿一氏とは同郷の同学年であり親交が深く、脇阪氏をレーシングカートに誘ったのも道上氏だと言われています。

1998年仕様(出典:http://supergt.net/)

カストロール無限NSX 1998年仕様 (出典:http://supergt.net/)

 

高木 虎之介 LEXUS TEAM ZENT CERUMO 監督

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1989年に全日本ナショナルカートAクラスでシリーズ優勝した後、1992年にフォーミュラトヨタで4輪レースデビュー。

1993年から全日本F3選手権、1995年からは全日本F3000選手権へと順調にステップアップし、シリーズランキング2位を獲得。

ナカジマレーシングで全日本F3000を戦っていた事で、その後も中嶋悟氏の支援を受けて1998年にティレルからF1デビュー。

しかしなかなか思うような成績を収める事が出来ず、最高位は1999年アロウズ在籍時の7位。

2000年は日本に戻り、フォーミュラ・ニッポンで全10戦中8勝を記録して圧巻のシリーズチャンピオンに輝きます。

その後は3年ほどアメリカのCARTやIRLを戦いますが、2005年に再び日本復帰。

2005年フォーミュラニッポンにて 出典:http://www.geocities.jp/peraari/index.html

2005年フォーミュラニッポンにて 出典:http://www.geocities.jp/peraari/

レースキャリアを一貫してフォーミュラレースで過ごしてきた高木氏ですが、2005年のスーパーGTで立川祐路選手と共にシリーズチャンピオンを獲得しました。

2008年で本格的なドライバー業から退いた後は後身の育成に力を注いでおり、2010年よりチームセルモの監督に就任。

出典:http://ms.toyota.co.jp/

ゼント セルモ スープラ 出典:http://ms.toyota.co.jp/

 

まとめ

こうして改めて取り上げてみると、ドライバー出身の監督がたくさんいる事に驚きます。

きっと現役時代に「こうだったら上手くチームが回るのに」、「こうしたらドライバーが走りやすいのに」と感じた事を現在の監督業に応用しているんでしょうね。

ドライバーと監督は全然違うなんて事も聞いたりしますが、やはり元ドライバーにしか分からない経験やプロセスがあったりするはずです。

彼らが名ドライバーから名将へと試行錯誤しながら進化する過程にも注目して、スーパーGTを楽しみましょう!

 

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