トヨタのモータースポーツ活動の拠点であるTOYOTA Motorspoets GmbH(TMG)では、”チーム精神と技術進歩による興奮の創造”をテーマにWRCやWECさらにはF1といった世界のトップカテゴリーに挑むための数多くのマシンが生み出されてきました。優れた施設と広大な敷地を誇るこのファクトリーは、世界でも有数のレーシングカーの開発施設なのです。

 

出典:http://www.toyota-motorsport-photos.com/Galleries.aspx

 

 

ドイツ・ケルンにあるトヨタ・モータースポーツの拠点”TMG”

 

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現在もWRC(世界ラリー選手権)やWEC(世界耐久選手権)に参戦し、トヨタのモータースポーツ活動の拠点となっているTOYOTA Motorspoets GmbH、通称TMG。

名前のGmbH(ゲーエムベーハー)とはドイツ語で有限会社を意味しており、1993年にラリードライバーとして活躍したオベ・アンダーソンの所有するアンダーソン・モータースポーツ・GmbHを買収して誕生し、以降トヨタのモータースポーツ活動の中枢として多くのマシンを生み出す巨大ファクトリーとなりました。

このファクトリーは3万㎡を超える広大な敷地面積を誇り、約300名のスタッフがマシンの開発や製造を行なっていて、これまで多くのマシンが生み出された場所としても知られています。

また、TMGとはこのファクトリーの総称として呼ばれることも多いのですが、正式には社名を指す言葉であり、F1活動を開始した際には規模拡大を行うなど注目を集める施設となりました。

そして、企業理念に”チーム精神と技術進歩による興奮の創造”を掲げており、その理念に基づいてトヨタはF1やWRCなど多くのカテゴリーのマシンを自らのファクトリーで生み出してきたのです。

 

TMGを支える6つの部門

 

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様々なカテゴリーでマシン製造を行っているTMGは、大きく分けて以下の6つの部門で構成されています。

・モータースポーツ部門

・シャーシ設計部門

・エンジン設計部門

・R&D部門

・EV部門

・製造部門

この部門を見るだけでも、マシン開発からチームの運営までの全てがトヨタ社内で行われていることが分かりますが、もう少し細かく見ていきたいと思います。

まずモータースポーツ部門は、トヨタのモータースポーツ活動の中心であるトヨタ・ガズー・レーシングの実働部隊に当たり、レース活動の他にも、レーシングカーの製造から販売までを行っています。

ここではWRCに参戦している車両であるヤリス(日本名:ヴィッツ)をラリー入門用としての特別仕様に改良したものや、トヨタ86をベースに耐久レース向けに開発したマシンの販売を手掛けています。

また、シャーシ、エンジンの設計部門はモータースポーツにおけるマシン開発や様々な分析を行う開発エンジニアたちが多く所属する部門です。

 

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そしてR&D部門には、主に風洞実験などマシンのテストを行うスペシャリストや施設が揃えられています。

なかでもTMGの風洞は世界でもトップクラスの性能を持つと言われており、トヨタがF1活動を終了した後にもフェラーリやウィリアムズといった名門チームが開発テストに使用するなど、高い評価を受ける施設です。

さらにモータースポーツだけに留まらず、EV部門ではその名の通り電気自動車に関する技術を開発している他にもEVに使用されるバッテリーなどパーツの販売も行われています。

また製造部門では自動車という枠を超えて、ここで生み出された技術が幅広い分野に応用するための研究が行われていて、その分野は医療や建築など多岐に渡っており、なかには他のスポーツに技術が転用されたこともありました。

 

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例えばパラリンピックで開催されるハンドサイクルとシットスキーでは、ドイツ出身のアンドレア・エズカウ選手が金メダルを獲得し、その開発の成果が大舞台で証明される結果になったのです。

 

ラリー、耐久レースで活躍を見せた1990年代

 

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では、このように優れたファクトリーからは、どのような活動が行われてきたのでしょうか。

TMGの誕生当初、活動の基盤となったのはWRCでした。

すでにTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)としてWRCで多くの勝利を手にしてきたトヨタは、TMGが創設された当初もラリー活動を中心に活動を展開していきます。

そして、TMGが誕生したばかりである1993~94年にかけて年間王者を2年連続で獲得し、それまでWRCで見せた強さを存分に発揮することになりました。

しかし、連覇を達成した翌年にTMGは早くも思わぬ危機に直面することになるのです。

当時トヨタがWRC用に製造を行っていたセリカのリストリクター(エンジンの出力を制限する装置)に、レギュレーション違反が発覚。

これによりトヨタはシーズンの全ポイントを剥奪された上、1996年シーズンの出場停止という極めて重いペナルティが課されることになりました。

このペナルティに関して社内では、オベ・アンダーソンとTMGに大きな責任があるとの意見が多く、TMGそのものの立場は非常に厳しいものとなってしまったのです。

最終的にはペナルティを受け入れた上、1997年も参戦を自粛するという事でこの問題に収拾を付け、1998年より再びWRCに復帰すると、復帰2年目でタイトルを獲得するなど名誉挽回とも言える成果を上げました。

また、この頃からWRCだけでなく耐久レースの活動も開始。

 

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1998年からはルマン24時間レースに参戦し、その翌年には総合2位に入る活躍を見せました。

しかし、これらのラリーや耐久レースの活動は1999年をもって打ち切ることになり、2002年からの参戦が決定しているF1の開発に集中するという決断が下されたのです。

 

F1参戦に向けて大幅な規模拡大を行ったTMG

 

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F1参戦に向けてTMGは体制を一新し、2000年よりF1参戦に向けた開発がスタートします。

この時に人事だけでなくファクトリーの投資にもさらに力が入り、実に140億円もの費用を注ぎ込み面積を従来の約3倍となる3万7,000㎡に拡大。

人員も600名に増員し、他のトップチームにも引けを取らない巨大なファクトリーが完成しました。

ここからトヨタのF1活動が始まり、参戦まで19ヵ月という長い期間を使って開発が進められ、世界にある様々なサーキットでのテストに励み、実に2万kmを超える走行を重たのです。

そして満を持してF1への参戦を開始し、デビュー戦ではミカ・サロが6位入賞を達成します。

 

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しかし成績は思うようには伸びず、初表彰台まで実に4年という長い月日をかけ、TMG総動員とも言える大所帯のチームながら優勝に届かない日々が続きました。

トヨタF1活動の技術コーディネイション担当ディレクターを務めていた新井章年氏は「強いチームを買収してトヨタの名を付ければF1優勝もすぐに達成できるかも知れません。ですが、それでは企業として次の世代に引き継ぐ財産を築くことが出来ないのです。」と語りTMGの企業理念を尊重。

なかなか周囲の期待に応えることが出来ない境遇でしたが、TMGは技術だけでなく人も育てるという大きなテーマを掲げてF1で戦っていたのです。

 

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残念ながら2009年、トヨタはリーマンショックの影響を受けてF1から撤退。F1優勝という目標を果たすことは出来ませんでした。

最新鋭の設備を使って生み出されたマシンはしばしば印象的な速さを発揮し、最終年には初優勝のチャンスが巡ってくるほどの成長を見せましたが、残念ながらその僅かなチャンスを掴むことは出来なかったのです。

 

F1撤退直後はTMGの存続の危ぶまれるも…

 

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トヨタのF1撤退はモータースポーツ界に大きな衝撃を与え、これを惜しむ声は関係者だけでなくファンからも多く寄せられました。

この時すでにトヨタF1チームそのものとも言えるTMGは、再び消滅の危機にさらされることになったのです。

そして、他チームへの売却やトヨタからの独立などの様々な憶測が流れ、その行方にも注目が集まりました。

最終的にTMGはトヨタのモータースポーツ活動の拠点として残されることが決まったのですが、約500名のスタッフがTMGを去るという厳しい境遇を迎えることに。

このTMG存続という決断により、現在トヨタが参戦しているWECやWRCの開発において大きく寄与する機会が巡ってきます。

トヨタは本来であれば2009年以降もF1に参戦を続ける予定で、2010年に向けてのマシンはこの時すでに開発が始まっていました。

そしてそのマシンは、同年新規参入予定のチームであるステファンGPへの譲渡やスタッフの移籍も視野に入れて開発が続けられていたのです。

また、施設の利用や技術提携といった形でF1との関わりは続けられる可能性もありましたが、結局はステファンGPがF1参戦のエントリーを認められず、トヨタとF1の関係は絶たれたかのように思われました。

しかし、その後もかつてF1で戦ったウィリアムズやフォースインディアなどが施設をレンタルという形で利用し、マシン開発に役立てるなど、ごく最近までこのTMGの施設がF1の技術開発に一役買っています。

 

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近年のトヨタは参戦している様々なカテゴリーで話題を呼ぶ活躍を見せており、2016年のルマン24時間レースでは初優勝に向けて首位を快走しながらも、レースの残り3分というところでマシントラブルが発生し勝利を逃すも、多くの人が認めるパフォーマンスを披露。

2017年より復帰を果たしたWRCでも、TMGから投入された復帰作で、復帰2戦目にして優勝を飾り、ヤリ=マティ・ラトバラが初年度としては堂々の成績を残しています。

WRCへの復帰発表の際には、トヨタの豊田章男社長も「私の決断によってクルマを作れなくなったTMGと共にWRCに帰りたかった」と語るなど、感謝と共に重要性を再確認し、今後の発展に期待を寄せました。

 

まとめ

 

トヨタのモータースポーツ活動の中枢であるTMGはこれまで、ラリー、耐久レース、そしてF1などの幅広い分野のマシンを生み出してきました。

トヨタはライバルから技術を奪うことではなく、厳しい戦いを承知の上で自らのチームで1からマシンを作るという理念を重んじています。

F1では巨額の資金と優れた設備を擁しながら勝利を手にすることが出来ず、その方針が正しかったのかという点については疑問を感じる方も多いかもしれません。

しかしTMGは歴史を重ねるごとに技術、そして人が成長を見せており、様々なレースに挑んできた経験がこうした活躍に繋がっているのです。

今後トヨタがモータースポーツでさらに活躍するためにも、TMGの絶え間ない研究開発は欠かせないと言っても過言ではないでしょう。

 

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