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ラニョッティが愛したハイパワーMRマシン、ルノー 5ターボを振り返る!

WRC(世界ラリー選手権)をはじめとするラリー競技において、4WDターボの優位性が確立されたのは1981年に登場したアウディ・クワトロ 以降の話ですが、それ以前はさまざまな形式の2WD車が走っていました。その中でもFF大衆車をベースにミッドシップ化したルノー 5ターボは、その特異なスタイルとWRC初のターボ車による優勝という実績で今でも人気があります。

 

ルノー 5MAXIターボ  / Photo by Guillaume Vachey

 

 

WRCでの勝利は何のため?販売促進のため

 

一番左からルノー 5ターボ、5アルピーヌ、そして8ゴルディーニなどルノーのラリー車群  / Photo by Mala Testa

 

1973年に、それまで各国で独自に開催されていた国際ラリーをまとめ、世界各地を転戦するシリーズ化したWRC(世界ラリー選手権)が始まりました。

それ以前からERC(ヨーロッパラリー選手権)など、よりローカルな地域ごとのシリーズはありましたが、その頂点に立つWRCでの勝利は、それを成し遂げた車を作った自動車メーカーの名声を高め、ベースとなった車の販売台数を伸ばす効果が期待されたのです。

とはいえ、ラリーやレースなどモータースポーツに特化して開発された車の方が速いのは当たり前の話で、しかも規則によって最低生産台数が少なくて済むので、高価で高性能な車を投入可能なクラスではより顕著にマシン性能の差が明らかでした。

それゆえ、1973年のWRCファーストシーズンでは既に旬を過ぎていたアルピーヌ・ルノー A110、その翌年以降はランチア ストラトスといった「スーパーカーの活躍」する時期が続くわけです。

しかし、「ストラトスがいくら勝っても販売台数が伸びるわけじゃない。何のためにラリーをしているのか。」と気が付いたのは、最強のストラトスを擁するランチアを傘下におくフィアットで、ストラトスからフィアット 131アバルトラリーへと活動の軸を移していきます。

その結果、エスコートで参戦していたフォードや、セリカのトヨタ、ヴァイオレットの日産など最初から市販量産車で活動していたメーカーは元より、アルピーヌ・ルノー A310V6で活動していたルノーも、FF大衆車の5(サンク)で参戦するようになっていきました。

 

大衆車のデザインで中身はミッドシップスポーツ、ルノー 5ターボ

 

1980年のツール・ド・コルスに出場した5ターボ  / Photo by Roderick Eime

 

5で活躍して勝利し「バリバリ売り込むぞ!」と意気込むルノーは、ルノー車のチューニングではゴルディーニと並ぶ名門であるアルピーヌに1972年にデビューした初代5のチューニングを依頼したのですが、どうもパッとしませんでした。

もともと4(キャトル)用の800~1,000ccエンジンの搭載から始まった5は最終的に1,300ccエンジンまでパワーアップしました。

それをベースにOHVながら93馬力の1,400ccエンジンに換装、サスペンションも締め上げた5アルピーヌでしたが、WRC初勝利への道は遠いものでした。

1978年のモンテカルロで2~3位を占めるも、ポルシェ 911がさらってしまい、その後もフィアット 131アバルトラリーやフォード エスコートRSといった後輪駆動ライバルを前に苦戦します。

そして元々前輪駆動車でラリーをすることに納得がいかなかったルノーのエース、ジャン・ラニョッティも我慢の限界を超えてしまったのか、SSをバックでスタートしたという逸話まで残っているほどで、これに困ったルノーは結局、後輪駆動車でラリーをすることにしました。

ただし、1971年に8(ユイット)の本国生産を終了して以降、後輪駆動の大衆車など持たないルノーは一体どうやって後輪駆動車でラリーをすれば良いのか?

答えは簡単。

フィアットX1/9などと同様、前輪駆動車のパワーユニットをリアに搭載した、ミッドシップスポーツを作ればいいのです。

もちろんX1/9のようなスポーツカーを作っても量販車の売上には直結しませんが、それなら5をミッドシップ化すればいいじゃないか!

という事で、誰も止めなかったのが不思議なところですが、F1用エンジンで経験を積んでいたターボチャージャーも装着してパワーアップした1.4リッターエンジンをリアミッドシップに装着した5ターボが1980年に発売されます。

大パワーを受け止めるべくオーバーフェンダーで思い切りワイドトレッド化したとはいえ、確かに大衆車5の形をしていたラリーマシンは、勇躍してWRCに出撃するのでした。

 

WRC初のターボ車による勝利、グループB時代まで活躍

 

1985年のツール・ド・コルスで3年ぶりの勝利に向け走る、ラニョッティの5MAXIターボ / 出典:http://www.snaplap.net/car-spotlight-renault-5-turbo/

 

1981年のWRCはアウディ・クワトロが「4WDなんて重くて役にたたない」と言われながら初勝利、同車に乗るミシェル・ムートンが女性ドライバーで初めてWRCでの勝利を上げるなど新時代の到来を予感させる年となりました。

ちなみに、2018年1月現在もWRCで優勝経験のある女性ドライバーはミシェル・ムートンただ1人なのです!

おまけにマニュファクチャラーズ・タイトルは、ラリー・アルゼンチンで1勝しただけのサンビーム・ロータスを擁するタルボが獲得。

つまり圧倒的な勝者のいない波乱の年だったのですが、その開幕戦モンテカルロで優勝したのが5ターボだったのです。

かつて前輪駆動を嫌ったと言われるエースのラニョッティがステアリングを握る5ターボは、サンビームやオペル・アスコナを従え見事に優勝。

そしてこの勝利は、WRCの歴史で初めてターボ車が勝った瞬間でもありました。

翌1982年のツール・ド・コルスでもやはりラニョッティのドライブで勝利を上げますが、古き良きグループ4時代のWRCはここまで。

1983年からは化物じみたパワーとスピードを誇るグループB時代に突入し、熟成されたアウディ・クワトロや、ミッドシップ2WDながらその年の優勝をさらったランチア・ラリー037には対抗できませんでした。

奇しくも5ターボ同様にFF大衆車ベータをMR車に改良したベータ・モンテカルロをベースに、ハイパワーなスーパーチャージャー付きの2.1リッターエンジンを搭載したラリー037を前に、5ターボは既に旧時代のマシンとなっていたのです。

この頃の5ターボは、そもそも主戦場をフランス国内選手権に移しており、WRCへの参戦は1983年に3戦、翌1984年には2戦に留めています。

それでも1985年にはグループB規定で仕立て直し、1.6リッターターボで実に400馬力を発揮する5MAXIターボで挑んだツール・ド・コルスにて、やはりラニョッティのドライブにより3年ぶりの1勝を上げました。

そして最後の勝利はグループBにとってもラストイヤーとなった1986年。

ラリー・ド・ポルトガルに、プライベーター参戦をしたヨアヒム・モウティンホによる1勝で、翌年からのグループA時代に5ターボの姿はありませんでした。

 

ラリー仕様主要スペック

 

ルノー 5ターボ  / Photo by Pauls Imaging Photography

 

ルノー 5MAXIターボ 1985年ツール・ド・コルス仕様

全長×全幅(mm):3,700×1,800

車両重量(kg):905

エンジン仕様・型式:水冷直列4気筒OHV8バルブ ICターボ

総排気量(cc):1,597cc

最高出力:400ps/6,500rpm

最大トルク:43.0kgm/3,750rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:MR

ドライバー:ジョン・ラニョッティ

 

まとめ

 

1985年、ラリー・ポルトガルを走る5ターボ  / Photo by _morgado

 

結局、登場した途端にハイパワーマシンや4WDの時代に入ってしまい、期待されたほどの勝利を上げられなかった5ターボは「ちょっと時代を読み違えたラリーマシン」ではありましたが、一方でその特異なスタイルはクルマ好きを魅了しました。

通称「ターボ1」とも呼ばれるグループ4ホモロゲーション仕様は、通常なら規則通り400台の生産でも良かったところ、実に1,820台も生産・販売され、実用的な内装と組み合わせた一般向け5ターボ2に至っては3,167台も販売される事に。

「記録より記憶に残るラリーマシン」となった5ターボでしたが、ルノーは1998年にも大衆車クリオ(日本名ルーテシア)をベースにミッドシップ化したクリオV6ルノースポールを販売して大衆車のミッドシップ化はルノーの伝統芸となりました。

現在の日本の公道でも、イベント会場にでも向かうのか、5ターボを見かけることが度々あります。

その姿を見るとギョっとすると同時に、かつてルノーが見せた、ラリーへの執念じみたものを感じさせてくれますが、ただ走っているだけでそこまでアピールしてくるラリーマシンというのも、貴重な存在と言えるのではないでしょうか。

 

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Writer Introduction
兵藤 忠彦

ダイハツ党で、かつてはジムカーナドライバーとしてダイハツチャレンジカップを中心に、全日本ジムカーナにもスポット参戦で出場。 その後はサザンサーキット(宮城県柴田郡村田町)を拠点に、主にオーガナイザー(主催者)側の立場からモータースポーツに関わっていました。

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