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半世紀以上を歴史と共に駆け抜けた、自動車界のオーパーツ!VW タイプ1″ビートル”

フォルクスワーゲン タイプ1、日本での通称名は『ビートル』または『カブト虫』。リメイクモデル『ニュービートル』の登場から既に20年が経過し、リメイク2代目「ザ・ビートル」の生産すら終わろうとしている昨今。その原点から見つめれば80年以上前にさかのぼる『濃い歴史のキーワードの数々』はとてもこの場で全てを語ることはできませんが、ここではその一部をかいつまんで、軽くご紹介していきます。

 

過酷なラリー”バハ1000″のクラス11(ほぼ無改造ビートルのクラス)に参戦するビートル / 出典: http://www.thedrive.com/sheetmetal/15790/volkswagen-sponsors-1970-beetle-in-baja-1000

 

 

博士と総統はいかにして理想を追い求め、そして出会ったのか

 

戦前に生産されたKdF-Wagen / Photo by Gerard Boer

 

19世紀末期のオーストリアが生んだ偉大なる工学技術者、フェルディナンド・ポルシェ博士は、現在まで『メルセデス・ベンツ』ブランドで名高いダイムラーなど複数の自動車メーカーで、優れた高級車やスポーツカー、レーシングカーなどを開発してきました。

そして1931年、後に現在のポルシェAG(これも偉大なるポルシェ 911などで有名)の原型となる設計事務所をドイツのシュトゥットガルトに構え、引き続き高性能車の設計を受託するも、自分の理想としていた大衆向け小型車を作ろうというメーカーは、なかなか現れません。

その一方で1933年にはドイツで後に第2次世界大戦を巻き起こすナチス体制が始まり、第1次世界大戦で敗北した結果、過剰な負債を負わされて疲弊しきっていたドイツ経済の立て直しに必死になっていた頃でした。

それを牽引していたのはナチスの党首であり、ナチス・ドイツの独裁者となったアドルフ・ヒトラー総統でしたが、彼は国内産業の立て直しとともに、国中にアウトバーン(高速道路)を張り巡らし、そこを労働者が自家用車で走り回る日常を目指したのです。

そのためには労働者が頑張れば自力で購入できるほど安価で、アウトバーンの高速長距離走行に耐え、乗り心地にも優れた小型大衆車が何としても必要でした。

こうして小型大衆車コンセプトを長年暖めていた『博士』に、ドイツの実権を握った『総統』が接触、双方の夢に向かって突き進んだのは、ある意味では歴史的必然だったのかもしれません。

 

戦前の1938年に作られた、KdF-Wagenのポスター / Photo by Gerard Boer

 

2人の思い描いた夢は1938年、『KdF-Wagen(歓喜力行団の車)』として結実しますが、1939年9月に始まった第2次世界大戦で中断。

結局KdF-Wagenがドイツ労働者の手に渡ることは無く、生産工場は軍用車両を生産するようになりました。

しかし1945年、ナチス・ドイツ崩壊後に半ば廃墟と化したKdFの工場を訪れた、あるイギリス軍人によってKdF-Wagenは発見され、そして再起します。

ヒトラー総統はソ連軍が迫るベルリン総統地下壕で自害して果てましたが、戦争犯罪人疑惑で連合軍やフランス当局に収監されていたポルシェ博士が何とかドイツに帰ってきて見たものは、工場から続々と吐き出されるKdF-Wagenの群れだったのです。

 

戦後、生産再開した初期に作られた1946年製VW タイプ1″ビートル”  / Photo by Marco Alberts

 

工場はフォルクスワーゲンAGとして戦後改めて再出発し、KdF-Wagenもフォルクスワーゲン タイプ1と名を変えていたのです。

そして早くも1945年の敗戦直後に生産を再開したタイプ1はその後何十年も作られ続け、販売された国によって『ビートル』など、さまざまな通称で呼ばれながら、世界中を走り回ることになりました。

 

あまりにも先進的、かつ前衛的だったビートル

 

フォルクスワーゲン タイプ1″ビートル”  / Photo by Robert Couse-Baker

 

では、フォルクスワーゲン タイプ1”ビートル”(以下:ビートル)自体はどんな車だったのでしょうか。ざっと眺めてみましょう。

ボディとの分割も可能なプラットフォームはフロアパンを組み込んだ鋼管バックボーンフレームで、エンジンとミッション、ディファレンシャルからなるトランスアクスルをリアに搭載して後輪を駆動するRR(リアエンジン・後輪駆動)レイアウトで、車内にドライブシャフトを通す必要の無い軽量コンパクトかつシンプルな構造が、車内スペース効率の非常に高い設計となっており、まだ信頼性の高い等速ジョイントの無い時代には、FF(フロントエンジン・前輪駆動)より高い実用性を持っていました。

 

VW ビートルの構造 / Photo by Roger W

 

エンジンは当初1,000ccの空冷水平対向4気筒OHVエンジンから始まりますが、ポルシェ博士は1910年代にこのエンジンの原型じみたものを航空機用エンジンとして開発しており、目新しくは無い代わりに信頼性に優れていて、アウトバーンでの高速巡航でも問題無いような性能を初期型から持っており、後に1,600ccまで排気量アップ。

ポルシェ 356や914、912にまで転用される程余裕あるエンジンで、タイプ1自体もさることながら、エンジンも1930年代の自動車用とは思えません。

しかも整備性が高く、エンジン脱着競争ではエンジンを車体から降ろし、一度台車で運んでからまた搭載してエンジンを再始動するまでの時間は平均わずか20分!

ボディの空気抵抗は小さく、鋼材を節約してかつその形状で強度を高められる丸みを帯びたプレス鋼板による全金属ボディでした。

同様のコンセプトは1950年代にフィアット NUOVA500(旧『チンクチェント』)やスバル 360でも実装されますが、これもやはり1930年代に作られた車としてはかなり先進的です。

 

1964年、イタリアのメッシーナ海峡を横断するビートル / 出典:http://www.omniauto.it/magazine/36947/volkswagen-maggiolino-anfibio-stretto-di-messina

 

おまけにその高い気密性にも定評があり、洪水でも沈まないどころか水に浮くほどだったので、吸排気系や電装系の防水、それに若干の溶接追加のみでほぼ無改造のままイタリア本土とシリア島を結ぶメッシーナ海峡(最狭部は約3km)の水上航行による横断に成功したという逸話もあります。

サスペンションはフロントが上下2段式トレーリングアーム、リアがスイングアクスルの独立懸架でさほど目新しさはありませんが、大径タイヤによって高い悪路走破性を誇りました。

いずれも1930年代で既に何かしら採用していた車はあったものの、それをまとめて安価な小型大衆車として完成させ、1960年代まで古さを感じさせなかったという点で時代を超越したオーパーツ感があります。

とにかくシンプルで信頼性が高く質実剛健。

余裕を持たせてノーマルでの性能はソコソコながら改造にもよく耐え、さまざまなチューニングカーや悪路走破性の高いデューンバギーにも多くが改造搭載されました。

 

ステージを問わずモータースポーツでも大活躍!

 

未だに現役ラリー車も多いビートル / 出典:https://jalopnik.com/this-58-year-old-rally-beetle-named-bertie-is-here-to-d-1787878321

 

オリジナルは耐久性を確保するため、あえて性能を控えめに抑えられていましたが、拡張性と眼瞼ぶりには定評があったため、レースやラリーなどで大活躍しました。

特に得意だったのはラリーで、道路とは言いがたい悪路を数千kmも走る過酷さで知られた初期のサファリラリーでは、開催初年度の1953年を含め3度の優勝記録を持ちます。

そして1,600ccまで排気量をアップし、ポルシェ 914から転用した5速MTが組み込まれるようになると、1973年から始まったWRC(世界ラリー選手権)にまで参戦。

第6戦アクロポリスラリー(ギリシャ)ではイギリスのラリードライバー、トニー・フォールが駆るビートルが登場し、登りこそアンダーパワー気味だったものの、下りでは目を見張る速さを見せました。

こともあろうにアルピーヌ・ルノーのワークスドライバー、ジャン=ピエール・ニコラスが駆るその年の優勝マシン、アルピーヌ・ルノー A110をトニーのビートルが追い掛け回す場面まで見られたのです。

1960年代生まれのA110が既に全盛期を過ぎていたマシンだったとはいえ、1930年代生まれのビートルがそれに食い下がる光景は、さぞかし異様だったに違いありません。

 

サーキットも激走するビートル! / Photo by Dahan Remy

 

2000年頃、筆者もスポーツランドSUGO(宮城県村田町)で行われたある自動車雑誌のイベントで、チューニングビートルがホームストレートでBNR32スカイラインGT-Rを追い詰めるシーンに出くわしました。

BNR32はほぼノーマルだったとはいえ、例の空冷水平対向エンジン特有のバサバサ音を立てながら精悍なスポーツGTを追い掛け回すビートルが、車というよりまるで生き物のように見えたという、子供が見たら泣き出しそうな異様かつ鮮烈な思い出がよみがえります。

それに留まらずビートルはサーキットでのレースやドラッグレースでもその猛威を振るい、さらにそのエンジンがフォーミュラカーレース『フォーミュラVee』にまで転用されたほどでした。

 

主要スペックと中古車相場

 

VW ビートル / Photo by Robert Couse-Baker

 

フォルクスワーゲン タイプ1 “ビートル” 1954年式

全長×全幅×全高(mm):4,070×1,540×1,500

ホイールベース(mm):2,400

車両重量(kg):730

エンジン仕様・型式:空冷水平対向4気筒OHV8バルブ

総排気量(cc):1,192cc

最高出力:30ps/3,400rpm

最大トルク:7.7kgm/2,000rpm

トランスミッション:4MT

駆動方式:RR

中古車相場:48万~581万円(各型含む)

 

まとめ

 

2003年7月30日、ついに生産を終えたVW タイプ1″ビートル”。戦前のKdF-Wagenとほとんど変わらぬまま、21世紀まで作り続けられた。/ 出典:http://www.cqql.net/vw.htm

 

時代を超越した自動車界のオーパーツ、フォルクスワーゲン タイプ1”ビートル”の最後の1台が、最後まで生産されていたメキシコの工場からラインオフされたのは2003年7月30日。

第2次世界大戦直前の1938年から1939年までに、わずか210台ばかりが作られてから65年、1945年の生産再開から数えても58年の年月が経過していました。

その間生産されたビートルは実に2,152万9,464台という自動車史上空前の記録を残し、モデルチェンジを経ない単一車両の生産台数としては、おそらく空前絶後になるだろうと言われています。

しかも、最後まで作っていたメキシコのプエブラ工場では1998年からリメイクモデルのニュービートルも生産されていました。

ビートルで火のついた古い自動車のリメイク版は、その後ミニやフィアット 500など何種類か作られていますが、リメイク版が発売された時にまだ元祖も販売されており、しかも両者が同じ場所で作られていたというのも、ビートルならではのエピソードだと思います。

何しろ長く作られたので、オリジナルからカスタム版まで種類や程度はさまざま。

従って中古車市場でもビンテージビートルと単に古いビートルが混在して価格の幅が異常に広いのですが、ビートル沼はハマると深くてなかなか抜けられないとも聞きます。

時代を駆け抜けた名車に、アナタも一度ハマってみてはいかがでしょうか?

 

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Writer Introduction
兵藤 忠彦

ダイハツ党で、かつてはジムカーナドライバーとしてダイハツチャレンジカップを中心に、全日本ジムカーナにもスポット参戦で出場。 その後はサザンサーキット(宮城県柴田郡村田町)を拠点に、主にオーガナイザー(主催者)側の立場からモータースポーツに関わっていました。

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