公道や競技場などをすごい勢いで駆け抜けるWRカー(World Rarry Car)。トヨタが復帰したことで、日本でもWRCが注目されるようなってきました。そんなWRCは市販車をベースとしたマシンで争われますが、これまでに何回もレギュレーション変更を行い、現在の形になっています。そんなWRCレギュレーションの変化をご紹介します。

 

WRC マシン

Photo by Bob Bob

 

 

何度かのレギュレーション変更を経て、現在に至るWRC

 

WRC

Photo by Tiago Fernandes

WRCは市販車ベースの改造車で速さを争うラリー競技で、これまでに数度かのレギュレーション変更が行われています。

1973年に初めて開催されてから40年以上が経ちますが、グループ4、グループB、グループA、WRカーと車両規定が変わるごとに、さまざまなラリーカーが生み出されてきました。

その為、自動車メーカーは厳しくなるレギュレーションに合わせるため、市販のホモロゲーションモデルの製造・販売など参戦マシンを開発する以外にも多くのコストを費やしたことでしょう。

もちろん、そこでの開発が新たな技術を生み、我々が乗る市販車へフィードバックされたことは言うまでもありません。

それでは、WRC黎明期から現在に至るまでWRCレギュレーションの変更を名車と共に振り返ってみます。

 

【1973~1982年】グループ4から始まったWRC

WRCが開催された1973年当時、FIA(国際自動車連盟)の車両規定はグループ1~8まで存在していました。

その規定グループの中でWRCでは、連続して24ヶ月に1,000台以上生産される市販車で争われるグループ2と、400台以上のグループ4で競うことに決定。

この2カテゴリーのなかでも、大手自動車メーカーはグループ4で争うようになり、WRCで一番最初となった1973年1月19日開催のモンテカルロ・ラリーではアルピーヌ・ルノー A110が優勝を果たします。

その後1979年に4WD導入が認められ、WRCに大革命をもたらしたアウディ クワトロ S1が1981年に登場。

グループ4から次のグループBになるまで、ラリーカーにおける4WDの優位性を示すことになりました。

アルピーヌ・ルノー A110[WRCから生まれた名車]

 

1973 アルピーヌ ルノー A110 モンテカルロラリー

出典:https://media.group.renault.com/global/en-gb/alpine/media/pressreleases/75663/le-groupe-renault-devoile-ses-plans-pour-alpine1

WRCの初年度にマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得したのは、アルピーヌ・ルノー A110です。

そして、車両はホモロゲーションモデルのアルピーヌ・ルノー A110 1600Sであり、鋼管バックボーンタイプのシャシーにFRPモノコックボディ、コンパクトで美しい車体が魅力的でした。

 

ランチア・ストラトス[WRCから生まれた名車]

 

ランチアストラトス

Photo by Ashley Buttle

ストラトスはランチアがWRCで勝つために作られたホモロゲーションモデルで、フェラーリ ディーノの2.4リッターV型6気筒エンジンがミッドシップに搭載されています。

1973~1978年の間に492台のみの生産でしたが、グループ4に規定された12ヵ月で400台という生産台数をクリアしたことでWRC参戦中にグループ4公認車両となりました。

 

フィアット・アバルト131[WRCから生まれた名車]

 

フィアット・アバース131

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Fiat_131

フィアット・アバルト131は、フィアットのモータースポーツ部門であった「アバルト」によって開発された車両で、1976年に400台生産をクリアするために作られたホモロゲーションモデルです。

グループ4時代にマニュファクチャラーズチャンピオンを3度獲得しました。

 

【1983~1986年】モンスターマシンが続々登場したグループB

1983年にグループ4はグループBへ名称を変更されます。

より多くの自動車メーカーが参入できるようにレギュレーションが緩和されたグループBでは、連続した12ヶ月で20台の競技用車両を含む200台が生産された車両での参加が可能になりました。

さらに、排気量・過給機・車重を除いては改造範囲に制限がなく、外観は市販車両を思われるものでしたが、フレームは鋼管フレームやFRPなど軽量パーツを多用し、中身はフォーミュラカーのような作りでした。

まだグループ4だった1981年のマシンは約250馬力でしたが、1986年には500馬力以上の車両が作られ、約5年で出力は倍増しています。

そして、グループBが登場したことでラリーカーの性能は格段に向上し、市販車にも多くの技術が反映されました。

しかし、速度域が一気に増したことに安全対策が比例せず、死亡事故が増加。

1986年ポルトガルのレースでは、走行中のマシンが観客へ突っ込み4人が死亡、20人の負傷者を出しWRC史上最悪の事故といわれています。

また、1985年頃からグループBでは死亡事故や重症を追うアクシデントが多発していましたが、特にグループBを廃止する声は上がっていませんでした。

1986年シーズンのWRC第5戦 ツール・ド・コルスで起こった、当時のランチアのエースドライバー、ヘンリ・トイヴォネンとそのコ・ドライバーを務めたセルジオ・クレストの死亡事故が決定的な事件となり、FIAは同年中にグループBを廃止する決定しました。

ランチア・ラリー037 [WRCから生まれた名車]

 

ランチア ラリー

Photo by raffaele sergi

ランチア ラリー037は、後輪駆動車で最後にWRCを総合優勝したマシンです。

グループB初年度となる1983年に、マニュファクチャラーズタイトルを獲得。

2.0リッター直列4気筒スーパーチャージャーエンジンを搭載し、最終モデルでは325馬力を発揮していました。

 

アウディ・スポーツクワトロS1[WRCから生まれた名車]

 

1985 アウディ クワトロ S1

Photo by Brian Snelson

4WD参戦が認められた1979年から登場したスポーツクワトロS1は、アウディがWRCに初めて4WDのラリー車を送り出したときのマシンです。

1981年の初戦モンテカルロラリーで2位以下を6本のSSで6分以上離すという圧倒的な速さを見せつけ、その後多くのレースで優勝。

ラリーカーに革命を起こし、そこで培った技術は多くの市販車に反映されました。

 

プジョー205ターボ16エボ2[WRCから生まれた名車]

 

プジョー205ターボ16

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Peugeot_205

プジョー205ターボ16エボ2はコンパクトカーのプジョー205の外観に似せて設計されたマシンですが、WRCグループB規定である生産台数200台を達成するために作られたホモロゲーションモデルで、プジョー205とは中身が全く別物です。

3ドアハッチバックでありながらエンジンは助手席後部側に取り付けられており、搭載された1,775cc直列4気筒エンジンは市販モデルで202馬力、WRCカーで456馬力に達していました。

 

【1987~1996年】日本メーカーが大活躍したグループA

グループAは、1年間に5,000台以上生産される市販車で出場することが定められており、そのうちホモロゲーションモデルを最低500台生産した場合は、その車両での出場が認められました。

また、車両は2.0リッターターボエンジンに駆動方式を4WDにする規格となり、他にも内装ドアパネルおよびダッシュボードの取り付けなどが義務化されています。

4WDと2.0リッターのターボエンジンが必須の装備となっていましたが、その様な高性能スポーツ車両を製造・販売できるメーカーは少なく、グループBに比べると参戦メーカー数はかなり減少する事に。

そんなグループAになってから最初に頭角を現したのがランチア・デルタで、1987~1992年の6年連続マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得し、1992年を最後にワークス活動を中止しました。

日本メーカーも高性能な2.0リッター4WDの車を世に送り出しています。

トヨタ・セリカは1990年、1992~1994年にドライバータイトルを獲得、1993年、1994年にマニュファクチャラーズチャンピオンに輝きました。

それ皮切りに、スバル・インプレッサは1995年にドライバーズタイトルと1995~1997年にマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得しています。

 

ランチア・デルタ[WRCから生まれた名車]

 

ランチアデルタ

Photo by №8

ランチアで最も成功したラリーカーは、ランチア・デルタといえるでしょう。

WRC用マシンはホモロゲーションモデルである「ランチア・デルタHF 4WD」をベースに制作されており、2.0リッターターボエンジンを搭載した4WD車でした。

そもそもランチア・デルタは大衆向けのコンパクトハッチバックカーでありながら、ホモロゲーションモデルから作られるランチア・デルタのラリーカーは他車を寄せ付けない速さを持っていたのです。

 

トヨタ・セリカ[WRCから生まれた名車]

 

トヨタ セリカ

Photo by Brian Snelson

WRCで強い日本車というイメージを浸透させたのは、トヨタ・セリカからではないでしょうか。

ラリーカーのセリカはホモロゲーションモデル「GT-Four RC」がベースとなっており、GT-Four RCは317万円で日本国内に1,800台のみ販売されました。

 

スバル・インプレッサ[WRCから生まれた名車]

 

スバル インプッサ WRX

Photo by Nic Redhead

スバル・インプレッサは発売当初からラリーに出場し、WRCがグループAの車両企画となってから3年連続マニュファクチャラーズタイトルを獲得する活躍をみせました。

これにより市販車のインプレッサは世界中で大人気となり、スバルブランドを世界中に知らしめるきっかけとなったのです。

 

【1997~2010年】ホモロゲーションを必要としないWRカーの登場

1997年以降は、グループAに加えWRカーの混走も認められることになります。

WRカーのベース車両は、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルで2,500台生産された車両。

たとえノンターボ2WDの市販車でも、排気量2.0リッターでターボ搭載と4WDに変更する改造をすれば出場できるようになりました。

ほかにもシーケンシャルギアボックスの取り付け、サスペンションのレイアウトと取り付けポイントの変更や空力ボディの変更、最小限である1,230kgまでの軽量化、剛性を高めるためのシャシー強化などを行うことが定められています。

そんな規定の中で三菱はグループAマシンにこだわり、1996~1999年までのドライバーズタイトルと1998年のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。

スバルも2001年と2003年にインプレッサで、ドライバーズタイトルを獲得しています。

また、トヨタは欧州で販売する3ドアハッチバックのカローラを4WD化し、セリカのエンジンを搭載したマシンで出場し、1999年にマニュファクチャラーズタイトルを手にしました。

しかし、WRカーの出場が認められるようになると、コンパクトハッチバックカーのWRカーを送り込んだ欧州メーカーもタイトルを独占するようになり、日本メーカーは衰退していくことになるのです。

 

三菱・ランサーエボリューション[WRCから生まれた名車]

 

三菱ランサーエボリューション

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Group_A

 

日本を代表する2.0リッターターボエンジン搭載の4WDといえば、スバル・インプレッサと三菱・ランサーエボリューションです。

特に、ランサーエボリューションにはレーシングカーとしての素性の良さがあり、現在もレーシングカーのベース車両として人気の車です。

そんなランサーエボリューションで4年連続ドライバーズチャンピオンを獲得したトミ・マキネンは、その活躍が認められ、現在WRCに参戦するTOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamの監督を務めています。

 

プジョー206 WRC[WRCから生まれた名車]

 

プジョー 206 WRC

Photo by Ricardo Ramirez

プジョー206WRCは、市販車のプジョー206に2.0リッターターボエンジンと4WDに改造したWRカーでグループB以来のドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得しました。

プジョーが206でWRCに復帰してからすぐに成績を出したことで206の好セールにつながり、スポーツ性能の高い車を作り出す自動車メーカーとしてのプジョーのブランド力向上にも貢献したのです。

 

シトロエン・クサラWRC[WRCから生まれた名車]

 

シトロエン クサラ WRC

Photo by Nonaka Oikawa

シトロエン・クサラは小型大衆車として販売されていた車両ですが、プジョー206WRCと同様、2.0リッターターボエンジンと4WD化を施したWRカーでした。

史上最強のラリードライバーとされるセバスチャン・ローブは、このシトロエン・クサラWRCに乗った事をきっかけにドライバーズチャンピオンを獲得するようになります。

そしてシトロエン・クサラWRC投入を皮切りに、シトロエンは黄金期を迎えるのです。

 

【2011年~】1.6リッターターボ+4WDのSWRCが誕生

 

VW ポロ

Photo by Tiago Fernandes

2011年以降はWRカーの新規格「SWRC(スーパー2000WRC)」が採用されました。

それは2000年にFIAが定めた「スーパー2000」という競技車両規定をベースとし、エンジン出力315馬力の1.6リッターターボエンジン搭載と駆動方式を4WD化する改造が認められる規格です。

改造する市販車は、連続する12か月間に2,500台以上生産された4座席以上を有する車両で、グループAの公認を取得する必要があります。

2013年からはフォルクスワーゲンが新規参入し、そこから2016年まで4年連続でドライバーズチャンピオンとマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。

 

【2017年】規制緩和とトヨタの復帰

 

トヨタ ヤリス WRC

出典:https://newsroom.toyota.co.jp/jp/detail/19247616

2017年に大幅な規制緩和がなされ、エンジン出力が315馬力から380馬力まで向上。

最低重量は1,200kgから1,175kgまで引き下げられました。

また、エンジンの出力を制限するエアリストリクターの径を33mmから36mmまで広げる事ができ、それまで禁止されていたアクティブセンターデフの使用やエアロ効果の高いリアディフューザー、そして車幅の拡大も認められています。

それにより、トヨタが2017年からWRCに復帰し、ドライバーズランキングはヤリ-マティ・ラトバラが4位、マニュファクチャラーランキングは3位を獲得しました。

これは、2018年シーズンのタイトルも期待できる成績といえるでしょう。

 

まとめ

 

WRC

Photo by Ricardo Faria

FIAはこれまでにWRCで様々なレギュレーションを試みてきましたが、現在のエンジン積み替えと4WDへの改造可能なWRカーを採用したことで、メーカーがホモロゲーションモデルを製造・販売する必要がなくなり、参戦するまでのコストが抑えられるようになりました。

2018年シーズンは最上位クラスにフォード、ヒュンダイ、シトロエン、トヨタが参戦し、2018年下期には、フォルクスワーゲンがニューマシン「ポロGTI R5」でWRC復帰を予定しています。

レギュレーションの変更により、参戦メーカーが販売する市販車も影響を受けるため、WRCのレギュレーションを把握して観戦すれば、レースの面白さと今後の自動車開発も見越すことができるかもしれません。

是非、注目してみてはいかがでしょうか。

 

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