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ル・マン24時間レースで勝つためだけに生み出された一台!日産R390の誕生秘話を知っていますか?

日産のプロトタイプマシンの中で人気・知名度ともに高い日産R390。プロトタイプカーでありながら建前上はグランドツーリングカーとされ、公道走行可能なモデルも若干ではありますが生産されました。何もかもがル・マン24時間レース制覇を目標として開発された1台だけに、その性能やスペックに多くのレースファンが驚き、現在まで伝説として語り継がれています。

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

 

目的はル・マン24時間レースでの勝利のみ!日産が作りだしたR390とは

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

日産R390は1990年代後半に開発されたレーシングカーで、かつて日本グランプリに日産が投入していた『プリンス・R380』、『R382』、『R383』の系列モデルとされています。

その開発の目的はル・マン24時間レースを制することだけ。

1990年に日産がル・マン24時間レースに出場した時の『R90CK』から正当進化したマシンといえるでしょう。

日産が培ってきたレーステクノロジーを詰め込み1997年に初めてR390をル・マン24時間に投入。

しかし、翌1998年の参戦以降にルール改正が施され、わずか2年の間しか走らせることができませんでしたが、2年間の間に8台のR390 GT1レース車両が製造されました。

 

日産R390の開発に多くの著名エンジニアが参加

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

日産はル・マン24時間レースに勝てるマシンを製作するために、スコットランド人レーシングドライバーのトム・ウォーキンショーが運営する『トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)』と共にR390の開発に着手。

最初は、1996年にポルシェのプロトタイプカー『ポルシェ・WSC95』をベースとしたグループCカーを開発する予定でしたが、LMP1クラスからグループGT1規定へ変更されたため、公道走行可能なロードカーでなければなりませんでした。

そこでジャガー・XJR-15をベースとしグループGT1規定に沿ったマシンを製作する方向に舵を切ることになります。

ボディは当時TWRに所属していたイアン・カラム(Ian Callum)が担当。

カラム氏はアストンマーチンやジャガーのデザイナーを務め、2001~2005年までマツダのグローバルデザイン本部長でした。

そして空力設計はジャガーXJR-9をデザインしたカーデザイナーのトニー・サウスゲート(Tony Southgate)とNISMOの萩原豊氏が担当。

搭載されるモノコックシャシーや外装・内装は1990~1992年まで生産されたジャガーXJR-15と非常に似ていますが、サスペンション構造は全く異なり、全幅が広く、全長はわずかに短くなっていました。

風洞実験や空力改善のセッティングはイギリスで行われましたが、最終的に厚木市で製造・テストが行われています。

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

エンジンはスカイラインGT-RのRB26の使用が検討されましたが、鉄鋳造のRB26は重く重心が高くなるデメリットがありました。

そこでグループC最強とまで言われたエンジン、VRZ35Zを採用。

VR35Zは3.5リッターV型8気筒ツインターボで、軽量なアルミブロックに加えて重心を低くすることができるため、これをリメイクしたVRH35LをR390に搭載。レース車両は650馬力を発揮しました。

また、開発には多くの著名エンジニア/デザイナーが参加して1997年のル・マン24時間に参戦を果たしますが、参戦したレースは1997年・1998年のル・マン24時間レースのみで、わずか2回のレースを走行したのちに後継モデル『日産R391』にバトンタッチされることになるのです。

 

公道走行可能なグループCカー!わずか2台のみロードカー仕様のR390が存在した

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

R390はグループGT1のレギュレーションを満たすために、公道走行可能なR390が2台のみ製造され、現在1台が日産グローバル本社ギャラリーに展示され、もう1台はイギリスの自動車コレクターが所有しているとされています。

以前、1,000,000ドルで市販することも検討されていましたが、日産の経営状態が悪化していたことを理由に、生産・販売は実現しませんでした。

公道仕様は550馬力を発揮し、最高速度は354km/hにも達する、当時の世界で3番目に速いロードカー。

ちなみにこの当時のロードカーで最速車はマクラーレンF1でリミッター作動時に356km/h、リミッターカットで391km/h。

次いではTVR・サーブラウスピード12で386km/hでした。

 

1998年ル・マン24時間レースで総合3位を獲得と全車トップ10入りを達成

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

1997年、ル・マン24時間に初出場した際は4台のR390が投入され、日本人ドライバーには星野一義氏・鈴木亜久里氏・影山正彦氏・本山哲氏・影山正美氏の5名を起用。

また、英国フォーミュラ3シリーズチャンピオンと1990年ル・マン24時間レースで優勝し、F1ドライバーでもあったイギリス人のマーティン・ブランドルもR390のドライバーに加わりました。

そして予選ではブランドル氏が3分43秒15のタイムでポールポジションを獲得し、他のR390も4位、12位、21位と好成績で決勝レースに望みます。

残念ながら2台がギアボックスのトラブルによりリタイアしましたが、残りの2台は5位と12位でレースを終え、デビュー戦ではまずまずの成績をおさめています。

翌1998年は、空力面でダウンフォースを向上させる改良し、1997年と同様に4台のR390を持ち込んだ日産は、決勝レースで全車を完走させることに成功。

しかも4台すべてがトップ10位入りし、星野一義氏・鈴木亜久里氏・影山正彦氏が乗ったマシンは総合3位を獲得。

1999年にグループGT1は消滅し、R390は優勝を果たせないままでしたが、日産のレーシングカーでは歴史的な結果となりました。

 

日産R390(ロードカー)のスペック&性能

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

スペック

 

1997年 日産R390 GT1
全長×全幅×全高(mm) 4,720×2,000×1,140
ホイールベース(mm) 2,720
乗車定員(名) 2
車重(kg) 1,098
エンジン種類 V型8気筒DOHC32バルブツインターボ
排気量(cc) 3,495
最高出力(kW[PS]/rpm) 405[550]/6,800
最大トルク(N・m[kgf-m]/rpm) 638[65.1]/4,400
トランスミッション 6速セミオートマチック
駆動方式 MR
タイヤ 前:245/40-18
後:295/35-19

 

性能

 

1997年 日産R390 GT1
0-100km/h到達時間(秒) 3.4
0-400m加速(秒) 11.1
最高速度(km/h) 354

 

まとめ

 

日産 R390

© 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

日産はR390の後に1999年、R391でル・マン24時間に参戦しましたが、電気系統のトラブルでリタイヤしてしまいます。

また、この時期に日産は倒産寸前まで経営が悪化しており、ルノーの傘下となってからはル・マン24時間レースへの参戦からは遠のいていました。

しかし2012年、賞典外の参加でしたがプロトタイプカーの『デルタウィング』でル・マン24時間レースを走り、2015年『日産・GT-R LM NISMO』で正式に復帰を果たしますが、2台とも完走することができませんでした。(日産・GT-R LM NISMOは24時間走りきるも規定周回を満たなかったため完走扱いとならず)

日産はR390以降、ワークス参戦する海外レースで目立った活躍をできずに今日に至りますが、2019年からはフォーミュラーEへのフル参戦を決意。

 

日産 フォーミュラ E マシン

日産 フォーミュラ E マシン / © 著作権 2018 日産自動車株式会社

 

Formula Eでも『技術の日産』が復活できることを切に願います。

 

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Writer Introduction
池田 勇生

自動車・バイクを専門にフリーライターをしています。10代からTVでバイクレースを観たり、自らミニバイクレースへ参戦もしたりなんかして、プロレーサーに憧れていた青春時代を過ごしていました。車離れやバイク離れといわれる昨今ですが、若い方へ多くの魅力を伝えていき今後の自動車・バイク業界を盛り上げていきたいです。

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