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マツダ起死回生の一台!名車初代サバンナRX-7(SA22C)ってどんなクルマ?

2002年に3代目FD3Sの生産が終了し、16年たった今でも復活が望まれるマツダのロータリースポーツ、RX-7。その初代モデルは1978年にデビューしましたが、2度のオイルショックで一時は倒産の危機に陥ったマツダの復活、そしてロータリーエンジン復活にかけて華々しい号砲を放った、「運命の1台」でした。

 

マツダ SA22C サバンナRX-7 / 出典:http://archive-2013.mzracing.jp/feature/people/vol3/contents.html

 

 

「もうロータリーなんか売れない」という時代に生まれた名車

 

マツダ SA22C サバンナRX-7  / Photo by David Brodbeck

 

RX-7の初代モデル、SA22Cは1978年に生まれましたが、その当時マツダはまさに自動車メーカーとして生死の境を彷徨うような状態でした。

1967年に発売されたコスモスポーツ以降、「未来のエンジン」と言われたロータリーエンジンを世界で初めてきちんとした形で、それも2ローターで実用化したマツダは、ファミリアやカペラ、ルーチェといった乗用車にロータリーエンジン搭載車を次々と設定していきます。

そしてマイクロバス(パークウェイ)やピックアップトラック(北米専用車ロータリーピックアップ)にまで搭載車拡大を計画。

同時にロータリー専用車サバンナは、レースで宿敵スカイラインGT-R(初代)を打倒します。

さらに世界一厳しい自動車の排ガス規制、アメリカのマスキー法への対応も容易とされ、環境にやさしくハイパワーエンジンであるロータリーエンジンとともに、まさに我が世の春を謳おうとした1973年、それは起こりました。

第4次中東戦争を契機にOPEC(石油産出機構)が原油価格引き上げと減産に踏み切った結果、石油製品が軒並み急速に値上がりした、オイルショックです。

それによりガソリン価格ももちろん急上昇し、主要国では性能より燃費、さらに言えばマスキー法の影響で燃費と排ガス浄化こそが、自動車にとって最重要な要素となりました。

しかしオイルショックの影響は一時的なものと考えたマツダは、むしろトヨタや日産を追い越すチャンスとばかりに一層の増産体制を敷いてしまったのです。

そして1974年、排ガス浄化こそ容易だったものの極端に燃費が悪く、「アメリカ車の大排気量V8エンジンより燃費が悪い」とアメリカ当局からも見放されたロータリーエンジンは、「パワーがあっても大食らい」と、一転して嫌われ者となりました。

あまりにロータリーのイメージが強すぎたマツダはこれにより極端な販売不振に陥り、当時メインバンクだった住友銀行が主導したフォードとの資本提携による再建に乗り出す異常事態の中、「ポルシェの半額のスポーツカーを作れ」という至上命令が飛び出します。

もはやファミリーカーなど実用的な大衆車にはロータリーは使えない、ならば初心に返ってスポーツカーで起死回生を図ろうと決めたマツダが1978年3月に発売したのが、SA22C型RX-7だったのです。

 

小型軽量フロントミッドシップ、ハイパワーのプアマンズポルシェ

 

マツダ SA22C サバンナRX-7  / Photo by Brent Shaw

 

SA22C登場以前のロータリーエンジン車は、レシプロエンジン版グランドファミリアという兄弟車を持つサバンナも含め、ほとんどがロータリーエンジンとレシプロエンジン両方を積むか、レシプロエンジン車からの派生車種ばかりでした。

例外は最初のコスモスポーツくらいなもので、「ロータリーでなければ成立しない」というほどの車は無く、ある意味ロータリーのメリットを生かしきっていなかったのです。

そこで思い切りボンネットを低くしてリトラクタブルヘッドライトを採用、ヘッドライト搭載位置の高さ確保とポルシェ924に酷似したフロントマスクを実現するとともに、ライト収納時はCd値0.36と空気抵抗も極限。

エンジン搭載位置も思い切り後退させたフロントミッドシップ配置として、前後重量配分も50.7:49.3とバランスを追求しました。

これらはまさに「コンパクトなロータリーエンジンのメリットを最大限に追求」したものであり、レシプロエンジン車で容易に真似ができるものではありません。

しかも、当時の自動車用エンジンが厳しい排ガス規制対策により、カタログスペックはともかくフィーリング面で劣悪になっていた中で、グロス130馬力という当時としてはハイパワーな最高出力と、モーターのように高回転までよく回る特性は健在でした。

懸念とされた燃費は、希薄燃焼や排ガス浄化方式のサーマルリアクターから触媒への変更をもってしても良好とまでは言えなかったものの、性能本位のスポーツカーならそれで良しとされる範囲に落ち着いたのです。

そんな「安くて速いロータリーロケット」「プアマンズポルシェ」として魅力にあふれたSA22Cは、目論見通り日米で大ヒットを記録します。

そうしてその後もマツダの経営危機は続いたものの、1980年の初代FFファミリア(FR時代からの通算では5代目)が爆発的ヒットを記録しマツダを救うまで、崩壊寸前のマツダにとって精神的支柱であり続けました。

経営の苦しい時代ゆえ、パッケージングとエンジンを除けば安っぽいところもありましたが、それによって低価格を実現できたことが、むしろ当時の若者にとってはマッチしていたと言えます。

そしてモデル末期の1983年にはターボ化し、ライバル各社のDOHCターボエンジンに対抗して「ロータリーのマツダ、くじけないマツダ」というイメージを定着させました。

 

レースのみならずラリーでも活躍

 

マツダ SA22C サバンナRX-7 IMSA GTU仕様レプリカ /  出典:http://mzracing.jp/news/4355

 

期待のロータリースポーツである以上、モータースポーツ参戦は必須でした。

デビュー翌年の1979年から北米のIMSAレースGTUクラスに参戦し、1980年から1984年まで、史上初の5年連続マニュファクチャラーズ・タイトルを獲得(最終的にはFC3S時代も含め8年連続)、1985年にはポルシェが保持していた単一車種最多優勝記録も更新します。

その他メジャーレースでは1979年にデイトナ24時間レースでGTUクラス優勝、1981年にスパ24時間レースで総合優勝するなど輝かしい実績を上げ、ル・マン24時間レースの初期にもSA22CをベースとしたRX-7・253や254で出場していました。

 

マツダ SA22C サバンナRX-7グループBラリー車  / Photo by Brian Snelson

 

また、WRC(世界ラリー選手権)にも参戦してグループB時代に入るとSA22CのグループBラリー仕様で挑み、4WDターボ時代にはいささか不利感が否めなかったFR車とはいえ、1985年のアクロポリス・ラリーでは3位入賞。

その後は3ローターの13Gを積む4WDロータリーターボのグループS仕様が2代目FC3S型で作られるまでのつなぎ的存在でしたが、グループB廃止とグループS構想取りやめにより、SA22CがWRCに出場した最初で最後のRX-7になりました。

 

SA22C型サバンナRX-7、主要スペックと中古車価格

 

マツダ SA22C サバンナRX-7  / 出典:http://mzracing.jp/feature/8594

 

マツダ SA22C サバンナRX-7 GT 1983年式

全長×全幅×全高(mm):4,320×1,670×1,265

ホイールベース(mm):2,420

車両重量(kg):980

エンジン仕様・型式:12A 水冷直列2ローター

総排気量(cc):573cc×2

最高出力:130ps/6,500rpm

最大トルク:16.5kgm/4,000rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:FR

中古車相場:98万~259万円(各型含む)

 

まとめ

 

通常、自動車メーカーとは景気の減速で経営不振になると、販売政策上で貢献の少ないスポーツカーなど真っ先に切り捨てそうなもので、それが大衆車メーカー、さらに大メーカーでも無く地方の中小メーカーであればなおさらです。

しかし四輪自動車メーカーとしてはまだ新興で小規模、ロータリーで勢いがあったとはいえ何かあれば吹け飛ぶような、日本のマツダというより「広島のマツダ」というべき規模のメーカーが、それも存亡のかかっている時期に開発したのがSA22Cでした。

並のメーカーなら2年後に和製ゴルフというべきFFファミリアが発売されるまでおとなしくしていよう、ロータリーはあきらめようとなっても不思議ではないところ、むしろ大逆転復活劇を演出して不滅のマツダ魂をアピールした事は、尊敬に値します。

マツダのすごいところは、そこから20年としないバブル時代に再び経営を誤り企業存続の危機に立たされるも、今度は初代デミオの大ヒットで乗り切るのですが、その間もRX-7とロードスターは作り続けたところではないでしょうか。

転んでもタダでは起きない上にスポーツカーは頑として手放さず、ロータリーの開発もやめないのが「マツダらしさ」ですが、その原点のひとつがこのSA22Cにあるのです。

 

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Writer Introduction
兵藤 忠彦

ダイハツ党で、かつてはジムカーナドライバーとしてダイハツチャレンジカップを中心に、全日本ジムカーナにもスポット参戦で出場。 その後はサザンサーキット(宮城県柴田郡村田町)を拠点に、主にオーガナイザー(主催者)側の立場からモータースポーツに関わっていました。

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