クルマを鍛える道「ニュルブルクリンク」

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1周20km超、大小172ものコーナー、最大高低差300メートルという世界有数のコースは、彼らの想像を絶するものでした。

あらゆる険しい道を再現した究極のテストコース”ニュル”との出会いは、成瀬のその後の人生を大きく変えることになります。

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初めてのニュルで成瀬は「とことん走っていいクルマを作る」ヨーロッパ流のクルマ作りを目の当たりにします。

日本ではスピードを出して走ることがサーキットであっても後ろめたいという時代に、BMWやメルセデス、そしてポルシェといったメーカーは、ジャンピングスポットやバンピーな超高速コーナーが待ち受けるこの苛酷なコースでクルマを鍛え上げていたのです。

同時に、テストドライバーも大きなリスクを伴いますが、彼らは事故を起こさない為の卓越したテクニックを磨いていました。

成瀬はこうした現場を目撃し、世界で通用するメーカーになるには、もっと「人とクルマを鍛える」必要があると考えるようになっていったのです。

 

テストドライバーの頂点”マイスター”への道

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1980年代を迎えた頃、社内ではテストドライバーの教育が急務とされていました。

トヨタの海外進出と共に、ライバルとの性能差を埋めるには限界領域でクルマを評価出来る人材が必要とされたのです。

成瀬は自らセッティングしたクルマを走らせ、ブッシュ一つやネジひとつを変えて、感触を確かめるような特訓に明け暮れました。

そうして腕を磨いていった成瀬はやがて、テストドライバーの頂点である”トップガン”と呼ばれる存在に登り詰めていくのです。

彼らテストドライバーに任されるのは「感性評価」というもので、数値では計れないクルマのフィーリングを味付けるのが使命でした。

そんな彼はAE86レビン&トレノ、MR2、そしてスープラなどトヨタ製スポーツカーの殆どに評価ドライバーとして携わっていったのです。

 

味のあるクルマを作るー。成瀬の抱き続けた想い

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同時に成瀬は、トヨタ車の未来に危機感を募らせていました。

BMWやポルシェにはある、そのメーカーの”乗り味”が、トヨタ車には無いと感じていたのです。

同時に成瀬の走りに対するこだわりは、当時のトヨタ社内で異質なものとなりつつありました。

2000年代以降のラインナップを見ればわかる通り、トヨタにおいてスポーツカーは淘汰され「よそに任せておけばいい」というムードすら漂っていたのです。

それでも尚、「クルマ屋なら”いいクルマ”を作らなければならない」という彼の信念は揺るぎませんでした。

彼にとってのいいクルマとはつまり、ステアリングを握る人を満足させる”味のあるクルマ”を指していたのです。

職人や料理人のように、数値では計れない感覚的な良さを成瀬は追い求めていきました。

 

「未来の社長」豊田章男との出会い

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成瀬が社内テストドライバーの頂点”マイスター”として知られるようになっていた頃、当時役員だった創業家出身の豊田章男に出会います。

彼の父である章一郎、祖父の喜一郎は共にトヨタの繁栄を支えた偉大なる経営者です。

そして、そんな父親の影響で、彼もまた根っからのクルマ好きとしてよく知られる存在でした。

そんな豊田に出会うと、成瀬は驚くべきことを言い放ちます。

「あなたみたいな立場の人が、運転の基本もわかってないのに、ちょっとクルマに乗っただけで、ああだこうだと言われるのは迷惑だ!」

それは開発に命をかけながらも、組織の中で妥協を強いられてきた成瀬の心の叫びでした。

”いいクルマ”を作りたい一心で、未来の社長にその思いの丈をぶつけたのです。

そして豊田もまた、「販売台数主義」によってモノ作りの尊さを忘れた会社の体制に危機感を募らせていました。

この言葉に心を動かされた豊田は、成瀬に弟子入りしてドライビングを一から学ぶことを決意します。

それから間もなくして、テストコースでの徹底的なレッスンが開始されました。

成瀬は豊田に「クルマの良し悪しが分かる経営者」となってもらい、トヨタを正しく導いてくれる事を強く望んだのです。

 

ニュル24時間へ挑む。Toyota Gazoo Racing発足へ

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成瀬が次に豊田へ提案したのは、ニュルブルクリンク24時間レースへの参戦計画でした。

それは、「人を鍛えクルマを鍛える」ことを目的に、若い社員によるチームを結成し、成瀬が監督を務めるというものでした。

数年に渡る訓練により「プロに比べ1km走行ごとに1秒落ち」という運転スキルを手にした豊田も、ドライバーとして参加する事が決定します。

彼にとってはこれが”成瀬塾”の卒業試験という意味合いもありました。

実際に2007年に中古のアルテッツァでニュルを完走したことを皮切りに、彼らの挑戦は始まりました。

そして翌2008年からは、成瀬が開発に取り組むスーパーカー「レクサス LFA」の先行試作車でニュルへの参戦を開始するのです。

このクルマの最終評価は成瀬に任せられ、彼のキャリアにおける集大成となるべきクルマでした。

2009年からは「Toyota Gazoo Racing」を正式発足し、LFAはクラス4位で完走を果たしたのです。

その結果、年末にはLFAが限定500台で市販されることが正式発表されました。

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そして2010年、LFA市販開始直前の大一番を迎えたGazoo Racingは、初のクラス優勝と総合20位以内を目標に、ドライバーも木下隆之/飯田章/脇阪寿一/大嶋和也の50号車とアンドレ・ロッテラーら外国人ドライバーが駆る2台体制でエントリー。

幾多のトラブルに見舞われながらも成瀬は、若いメカニックに檄を飛ばし続け、50号車が見事クラス優勝(総合18位)という結果を残しました。

こうしたGazoo Racingの活動の中で、LFAとテストドライバー、そしてメカニックたちは少しずつ鍛え上げられていったのです。

 

ニュル・マイスター、突然の最期

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LFAの販売が開始された2010年、ニュルではその最終進化版である「ニュルブルクリンクパッケージ」の開発が進められていました。

67歳の老齢で流石に限界を感じていた成瀬は、飯田章にこのクルマの評価を一任します。

6月の終わり、成瀬による評価が行われたそのLFAは「トヨタ車は全部これだったらいいのに!」と言わしめるほどのクルマに仕上がっていました。

飯田ら開発チームが、マイスターからの嬉しい言葉に安堵した矢先に、彼らを待ち受けていたのは、あまりに悲しい報告でした。

LFAに乗ってファクトリーに戻った後、もう一度公道でのテストを行っていた成瀬は、同じくテスト中だったBMWと正面衝突する事故に見舞われてしまうのです。

レスキューが駆け付けたとき、彼はLFAのコクピットで既に息はありませんでした。

事故の原因は現在も不明ですが、成瀬が「反対車線を走行していた」ことだけは明らかになっています。

 

成瀬の遺志を継いだ者たち

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豊田が成瀬の死を知ったのは、自身の社長就任後初の株主総会に向かう車中でした。

その心情を豊田は「『絶望』などという言葉ではとても言い表わせなかった」と語っています。

もっといいクルマを追い求めた成瀬は、自身の最高傑作であるLFAとともにこの世を去って行ったのです。

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迎えた2011年のニュルブルクリンクで、彼らは弔合戦に挑む決意を固めます。

監督には成瀬の後を継いで飯田が就任し、豊田も夜を徹してチームを見守りました。

3年前はレースメカニックとしては初心者だったメンバーも、給油作業中のブレーキローター/パッド交換を卒なくこなすレベルにまで成長。

また当初は大企業・トヨタのニュル参戦に懐疑的だった他チームも、成瀬や豊田がレースに挑む意義に共感し、敬意を表するようになっていたのです。

結果はエンジントラブルに見舞われ大きく順位を落とすも、夜を徹した復旧作業と粘り強い走りでクラス3位を獲得。

成瀬亡き後のチェッカーフラッグを、豊田は涙なしでは迎えられなかったと語っていました。

 

まとめ

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2012年、成瀬の遺作ともいえる「LFA ニュルブルクリンク・パッケージ」が50台限定で発売されました。

このクルマは飯田章による評価走行で、当時のニュル市販車最速記録”7分14秒64”を記録!

世間の”トヨタに真のスポーツカーは作れない”というレッテルを剥がし、レクサスのブランドを大きく高めることに成功しました。

また現在トヨタのワークス活動を担うまでに成長した「Toyota Gazoo Racing」は、単なるプロモーション以上の重要な使命を背負っています。

「レースという厳しい現場で人とクルマを鍛え上げ、もっといいクルマを作り続けるー。」

誰よりもクルマを愛する社長に導かれ、成瀬の遺志は今日も走り続けているのです。

参考文献:豊田章男が愛したテストドライバー

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