日本一速い男が見せたF1への挑戦

©︎Tomohiro Yoshita

「日本一速い男」として現在でも高い人気を誇る星野一義も、F1に参戦した経験を持つ日本人ドライバーとして広く知られています。

F1には2度の参戦経験を持ち、1976~77年に開催されたF1世界選手権・イン・ジャパンに2年連続でスポット参戦を果たしました。

彼にとってF1デビュー戦となる1976年は、ヒーローズ・レーシングから参戦しティレル007を駆り予選こそ21番手と奮いませんでしたが、決勝では後にF1王者に輝くジョディ・シェクターを抜き3番手を走行したのです。

これは日本人が初めてF1で表彰台圏内を走行した記録となりますが、徐々に天候が回復すると路面状況にタイヤが合わず少しづつ順位を落とし、最終的には用意していたタイヤを使い切ってしまい残念ながらリタイアに終わりました。

その翌年もヒーローズ・レーシングから参戦し、コジマKE009を駆って昨年のリベンジを誓いました。

予選では電気系統にトラブルが発生しながらも前年を大きく上回る11番手を獲得し、決勝では初の完走を果たしましたが順位を上げることが出来ずグリッドと同じ11位でフィニッシュしました。

その後は日本でF1が開催されなくなったこともあり国内で活躍を続けていましたが、F1参戦から14年後となる1990年には再びF1に乗るチャンスが訪れました。

当時ベネトンに在籍していたアレッサンドロ・ナニーニがヘリコプター事故で重症を負ったため、彼の代役としての日本GP出場オファーが来たのです。

当時のベネトンは上位を争える力を持っていましたが、持参金を用意する必要があると言われた星野は「プロのドライバーは金を貰って乗るもの。それがF1でも自分から金を払って乗りたくない」という姿勢を崩さず、実現には至りませんでした。

 

”黒い稲妻”の異名を取りF1参戦を目指した男

続いては「黒い稲妻」との異名をとり、1976年にF1参戦を果たした桑島正美をご紹介します。

1969年に富士フレッシュマンレースに参戦した桑島は、フェアレディZ432をドライブしワークスチームを上回る走りを披露!マシンと同じ黒いヘルメットを着用していたことから、黒い稲妻と呼ばれるようになりました。

F1に参戦した際にはすでに海外でレースを経験しており、1970年に招待選手としてブラジルのレースに出場すると、それを皮切りに多くのシリーズに参戦しました。

1972年に渡英した彼はイギリスF3へ参戦するとシルバーストーンでは優勝も飾り、翌年はF3での活動をさらに広げ以降はヨーロッパを転戦するようになります。

1974年からはF2にステップアップすると、ジャック・ラフィットなど後にF1で活躍するドライバーたちと競い、富士スピードウェイではデモ走行ながらブラバムのF1マシンをドライブし、着実にF1へ近づいていったのです。

その翌年にはヨーロッパでの活動を終え、日本へ帰国し全日本F2選手権に出場。その甘いマスクもあって人気を誇り、映画にも出演するなど幅広い活動を行いました。

F1参戦を目指していた彼は、F1世界選手権・イン・ジャパンへの出場に意欲を見せ、スポンサーを獲得するとブラバムのマシンをレンタルするべく当時F1に参戦していたRAMに交渉を持ち掛けます。

最終的にマシンのレンタルは実現しませんでしたが、持参金の持ち込みによるウィリアムズのシートでの参戦が決まりました。

予選初日にF1初走行を果たした桑島でしたが、ここで予想もしなかった事件が発生。チームに支払うための資金を持ち逃げされてしまい、なんと決勝前日にシートを失ってしまったのです。

予選で記録したタイムは現在でも記録されていますが決勝には出場できず、あと少しのところで目標を達成することは叶いませんでした。

それから36年後の2012年に大磯ロングビーチで開催されたイベントにて、ロータス78をドライブし久々にF1マシンに触れた彼は「まるで映画のワンシーンでも見ているかのようでね…感動したね。」とF1との思い出を懐かしげに語りました。

 

日本レース界で示した強さ。”高原時代”を築き上げF1に挑んだ男

出典:http://www.autogramy-podpisy.cz/autogramy/eshop/16-1-F1-RALLY-etc-dalsi-additions/82-2-pohlednice-postcards

次にご紹介するのは星野一義と並んで1970年代を代表する日本人ドライバー、高原敬武(たかはら のりたけ)。

星野が日本一速い男と呼ばれるのに対し高原は日本一強い男と呼ばれ、一時日本のモータースポーツ界は高原時代と呼ばれるほど優秀な成績を残したドライバーです。

1969年に4輪レースデビューを果たした彼は、その2年後に創設されたばかりの富士グランチャンピオンレースに参戦し、総合3位という好成績を収め、さらに2年後の1973年にはチャンピオンを獲得します。

それ以降はフォーミュラのシリーズにも活動を広げ全日本F2000にも参戦を開始すると、それ以降はどちらのシリーズでも毎年のようにタイトルを争う強さを見せつけました。

1974年には現在では廃止されているF1の非選手権戦に参戦すると、1976年にはチャンピオンシップに含まれるF1世界選手権・イン・ジャパンへの出場を果たします。

高原は日本とも縁の深いジョン・サーティースが設立したサーティースから参戦し、決勝に出場できなかった桑島を除けばただ一人海外チームから出場した日本人ドライバーとなりました。

予選では24位に沈んでしまいましたが、決勝ではしぶとい走りを見せつけ日本人最上位となる9位でフィニッシュを果たし、日本人として初めてF1のトップ10に名を残すことになったのです。

その翌年はコジマから参戦し前年を上回る活躍が期待されましたが、オープニングラップでの接触により無念のリタイア。

彼のマシンに刻まれたスポンサーネーム「伊太利屋」の文字が印象的だったという方も多いのではないでしょうか。

 

2輪で世界を制し、4輪では59歳まで現役を貫いた日本レース界の生き字引

©︎MOBILITYLAND

最後にご紹介するのは、鮮やかなドリフト走行で日本のレーシングドライバーから絶大な支持を得た高橋国光です。

彼も1977年にF1参戦を果たしたドライバーとして知られていますが、彼のレースキャリアは四輪ではなく二輪から始まりました。

10代の若さで非凡な才能を見せた高橋はホンダのワークスライダーに抜擢されると、1960年には日本人初となるロードレース世界選手権で優勝を飾るなど日本を代表するライダーとして活躍を続けていました。

しかし、その2年後に出場したマン島TTレースでの大事故で重傷を負い、それをきっかけに二輪を引退。先輩の勧めもあって1964年からは四輪へ転向することになりました。

二輪で培った経験もあってか四輪でもすぐさまトップドライバーに上り詰めると、全日本F2選手権などのレースで活躍。1977年には2度目の開催となったF1日本グランプリへの参戦を果たします。

出典:http://japaneseclass.jp/

前年に星野一義が走らせたティレル007をドライブした高橋は予選こそ21番手と奮いませんでしたが、決勝では素晴らしい結果を残します。

レースは序盤からアクシデントが続出する荒れた展開となりましたが、高橋は着実に順位を上げ初参戦にも関わらず日本人最上位となる9位でフィニッシュ。

これは後にF1王者に輝くジョディ・シェクターをわずか1秒後方に従えてのもので、彼にとって唯一となるF1の舞台で堂々の結果を残したのです。

その後は国内を中心に活躍を続け、全日本耐久選手権では4度の年間王者に輝くだけでなく、1986年にはクレマーポルシェからル・マン24時間レースにも参戦しました。

1992年には自身がオーナーであるチーム国光を設立し、ドライバー兼監督として全日本GT選手権に参戦すると、現役最終年となった1999年には優勝も達成。これは実に59歳での快挙でした。

このように長いレース人生のなかでたくさんの逸話を残していますが、わずか一度きりの参戦となったF1の走りを見て彼に憧れを抱いたというファンの方も多いのではないでしょうか。

 

まとめ

現在ではF1ドライバーと言えばフル参戦が主流ですが、かつて日本で初めてF1が開催された前後には多くの日本人ドライバーたちが世界最高峰と呼ばれたF1に、スポット参戦で挑んできました。

彼らの挑戦があったからこそ日本でモータースポーツが発展し、1990年前後に巻き起こったF1ブームや現在まで多くの人を引き付けるきっかけになったのです。

日本人が世界に挑戦する姿を見せてくれたドライバーはまだ他にもおり、全てのドライバーをご紹介できないのは残念ですが、現在多くの日本人が世界に進出しているのは、彼らの姿がいかに魅力的だったかを表しているのではないでしょうか。

 

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