前編では横溝選手がレーシングドライバーを目指すきっかけ、そしてギリギリの資金繰りからの脱出への道のりについてご紹介しました。今回は、順調にステップアップしていった先で再度訪れた苦難。そこにどう立ち向かって行ったのかに迫りたいと思います。

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横溝直輝インタビュー

トントン拍子からの転落

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ーーー 突然のGT500デビューから着実に成績を残し、レーシングドライバーとして安定していったと。

そう!2008年の終わりにはGT500で契約して…っていう話だったはずなんだけど…。

ちょうどリーマンショックがあって、GT500が5台から4台になったの。

それでクリスマスの日にいきなりその当時の監督から電話がかかってきて、「GTが5台から4台になっちゃった。申し訳ないけど、シートなくなっちゃった」と。

どうするんですか、って伝えたら「GT300も決まってるから、その年は申し訳ないけどGT乗れないかもしれない」って。

そこで、スーパー耐久やったり、またGT500乗ったりして、2010年までは日産ニスモの契約でずっとレースやってたのね。

で、2011年、ハセミモータースポーツからまたGT300で一緒にやろうよって言ってもらって。

 

ーーー 再びスーパーGTで戦える事になったんですか?

そういう訳じゃなくて、そこから一緒にスポンサー活動したわけ。

それで、何もなくても、もしかしたらスポンサーが集まらなくてレースはできなかったかもしれないんだけど、いろんな話をがんばってたところで、3.11の大地震があって。

あの時、ガソリンを都内では買えなくなったり、スポンサーが自粛するようなところがあって。

話をしてたスポンサーも、ちょっと今の状況でスポンサーすることは難しいっていう話になっちゃったのね。

ハセミさんもレースできないからチーム解散すると。

そしたらいきなり俺は無職になっちゃったわけ。

 

ーーー トップドライバーから突然の無職。その時の心境は?

ずっとGT500もやってたし、フォーミュラニッポンもやってたから、無職になるのは嫌だった。

トップチームで走れないっていうのも、そのとき自分の変なプライドがあって、何か話があったらのろうと思ってたのね。

それで2011年の真ん中ぐらい、ちょうどSUGOの夏時期に、その当時必ず1番後ろを走ってたサンダーアジアっていうチームがあって。

モスラーっていうレーシングカーを走らせてたのね。

そこで「シンガポール人が仙台は原発に近いから乗りたくないって言って1席あいてるんだけど、乗ってくれないか」って言われたの。

万年最下位を走ってるサンダーアジアで、正直言って俺は乗らないほうがいいって思ったわけ。

今まで自分はメーカーとやってきたっていう変なプライドがあったし、完全なるプライベートチームで走ると自分の価値が落ちると思ったし。

正直言ってそのときはね。申し訳ないけど。

もし俺がそれに乗って、ビリを走ってたら、俺自身が終わっちゃうなって思ったわけ。だから1回、考えさせてくださいって言ったの。

 

ーーー プライドに邪魔されながらも、走る事を決断した理由は?

だけどよく考えて、もしこれからオファーがなかったら、このままレースもできないかもしれないなっていう怖さも出てきちゃって。

それだったら、レーシングカーに乗ってなんぼなので、乗らせてくださいとお願いして、乗ることになったの。

これは自分自身がレーシングドライバーであり続けるための決断だったと思う。それで、2戦乗ったんだよね。

万年ビリ走ってるサンダーアジアだったけど、いきなり俺、トップタイムで走ったの。鈴鹿の1000Kmのときに。

で、みんな驚いたわけ。「あの車で横溝トップタイム出した」って。そこからまた一気に状況変わったんだよね。

 


結果も安定して残せ、当然とも言える契約更新の流れからの、突然のシート喪失。

トップドライバーとしてのプライドと、レーシングドライバーとしての生き残りの決断を迫られた時に、ピンチをチャンスに変えていける力。

それこそが、横溝選手の才能なのかもしれません。そして、この決断が、一気に流れを向上させるのです。


 

ピンチはチャンス

 

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ーーー 万年最下位を走っていた車に乗ってトップタイムを叩き出す。それでつかんだチャンスとは?

それでヨコハマタイヤとかが、横溝をこのまま終わらせるわけにはいかないっていうふうになって。

そこからシーズンオフのときに横浜ゴムの湯瀬さんっていう人がいろんなチームに「横溝乗せてくれ、あいつはまだ走れるから」って言ってくれて。

何チームか興味を示してくれた中で、一番最初によしって言ったのが、エンドレスの花里さんと、そこで一緒に組もうとしてたTAISANの千葉さんだったの。

「今お前がYesって言ったら来年エンドレスポルシェで新車でGT決まるけど、どうする?」っていきなり電話かかってきたの。

即答したよ。「お願いします」って。

正直どんな体制になるのかわかんなかったけど、直感的にお願いしたんだよね。

余談なんだけど、サンダーアジアの車って実は結構速かったのよ。乗ってたオーナードライバーの人が経験がなかっただけで、実は結構いい車だったの。

それはラッキーだった。そこで本当にパフォーマンスが低くて俺が後ろを走ったら、多分もうなかったし、そこは一発の賭けだったし、本当にある意味ラッキーだった。

車はトップを争えるレベルにあったから。俺ががんばったらトップタイム出せたから。

でも見てる人はみんな、いつもビリを走っててすごく遅い車だなって思ってたと思うの。それに乗った横溝、すごいなって思ってくれたと思うの。

そこで俺は勝手にブランディングできちゃった。

 

ーーー そこからまた、引き寄せたチャンスをものにして、次のステージへ?

いきなり決まった2012年は、大変だったけどGTでチャンピオンとったの。

そこからまたひとつ俺の時代が始まっていったんだけど。

今まで国産メーカーでやったけど、今度は欧州のメーカーになって何が広がったかっていうと、アジアの仕事が増えてきたの。

やっぱりスーパーGTの価値は高かったし、スーパーGTのチャンピオンっていう称号は大きくて。

スーパーGTのチャンピオンに教えてもらいたい、スーパーGTのチャンピオンに俺の車乗ってもらいたいっていって、アジアのマーケットがいきなり開いたんだよね。

アジアの仕事も始まっていって、それで2013年はスーパーGTとともに今度はアジアン・ル・マンっていうのがスタートしたので出て。

それはフェラーリだったんだけど、開幕戦はフェラーリとがっつりやりながら可夢偉と組んで、可夢偉と一緒に韓国で優勝して。

そのあとも成績を残して、アジアン・ル・マンでチャンピオンをとった。

そうしたらアジアの人たちがより俺のことを知ってくれることになったので、アジアでの仕事がさらに増えていった。

 


ピンチをチャンスに変え、レーシングドライバーとしてのポジションを不動のものにして行っただけではなく、新たなビジネスチャンスまでも引き寄せ、切り開いていった横溝選手。

ここから、現在のマルチに活躍する”横溝直輝”が形成されて行きました。それは、決してラッキーの一言で片づけられる内容ではありませんでした。


 

モータースポーツでの新たなビジネスチャンス

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ーーー アジアでの仕事というのは具体的にどんな仕事ですか?

2014年、2015年っていうのはみんなが知ってる時代になっていくんだけど、今は日本のスーパーGTを軸として、GTアジアやアジアのレース、アジアのワンメイクレース、フェラーリとかランボルギーニのそういう富裕層の人たちがレースを始めている中のコーチングっていう仕事が新たにできあがって。

これは新しいビジネスというか、自分の仕事場を切り開けたし、ある意味ぼくがパイオニア的な存在になって日本のすごい腕をもってるドライバーの人たちが、さらにアジアでの仕事を増やしていけるチャンスになっていくんじゃないかなと思ってるのね。

俺が今悔しいのは、今そこにビジネスチャンスをみつけたヨーロッパの人たちが、めちゃめちゃアジアのレースに来ていて、ここはアジアなのかヨーロッパなのかわからないぐらい人が入り交じってるのね。

そこに日本人の優秀なメカニック、エンジニア、ドライバーが全然入ってこれてない。それがすごく悔しくて。

本来そのマーケットって日本がつかむべきところだったと思うんだけど、やっぱりある意味日本はガラパゴス化してる部分がある。

日本はやっぱり1番だっていうところがあって、アジアへの仕事っていうのをあまり見てなかった部分があるところに、ちょっとヨーロッパにやれらちゃってるところがあるんだよね。

それがすごく悔しくて。日本の優秀な人たちを、僕はもっとアジアのマーケットに紹介していきたいなっていうのはあるね。

 

ーーー そうして、現在のマルチに活躍する横溝さんが構成されていったんですね。

レース以外でもいろんなことをやっているのね。ノイインテレッセでバッグをやってるとか。それこそ雑誌の取材受けたり。

最初やりたくなかったモデルの仕事も仕事になってるのよ。不思議なことに。

モデルの仕事っていって、本当に最初こっぱずかしくてやりたくなかったわけよ。だけどいろんな関係でやることになって。

最初は「横溝、モデルとかやって」とか、「横溝どういう方向に行くんだろう」みたいに言われるのよ。

だけど、寿一さんが初めてテレビに出たときもみんなにたたかれたの。

「レーシングドライバー、チャラチャラしてると思われるやろ」とか「お前がああいうふうにやってると、みんなレーシングドライバーってああいうふうに思われるじゃないか」って。

テレビに出てる寿一さんが相当たたかれたのよ、関係者から。

寿一さん、たたかれたけど、それはレースのためだと思ってやっていって。

今ミスタースーパーGTって言われる由来って、あの人が発信してくれたからスーパーGTが有名になって、あの人がテレビに出てくれるようになったから、うちらが知られるようになったっていう、今は真逆で感謝の気持ちだと思う。

そういう話も聞いてたから、寿一さんにも「横、お前がやってること絶対正しいと思うよ」って言われてて。

本当にどうしていいかわかんないけど、とりあえず微力ながらでもやっていきますねって言ってやっていって。

やっていくうちに、LEONがレースにスポンサーします。今年はGainerにスポンサーします。

レクサスのドライバーはちょっとモデル風な写真を撮り始めたりとかって。

結果的にみんなそういうふうにして、レーシングドライバーのプロモーションになっていってるわけじゃん。

最初にやるのってすごい勇気がいるわけよ。すごい勇気がいるし、みんなに冷やかされた。

だけど結果的にやってよかったなって思うし、それで第一人者としてやっていけるフィールドは自分たちで作れる。

だから自分としてはすごい恥ずかしくてやりたくなかったことでも、微力ながらでもレースの魅力を伝えたりとか、横溝直輝を知ってレースを知る人もいる。

ノイインテレッセを知って横溝直輝を知ってレースを知る人もいたりするんで、そういったところはもっとやっていかなくちゃいけないと思うんだよね。

レーシングドライバーの目線から見て、「ちょっとどこ行っちゃうの」って思われてもしょうがないけど、仮にサッカー選手が雑誌Safariでモデルやってても、普通にみんな見るでしょ?何も思わないでしょ?レーシングドライバーがやってて、何をやってんの?って思うのはレーシングドライバーだけだから。

サッカー選手は「ああ、レーサーもかっこいいな」とか見るわけよ。

だからそういうのはとっぱらっていかなくちゃいけないし、Safariとか、俺ら世代の人たちが読む媒体にレーシングドライバーが当たり前のように出てくる時代を作らなくちゃいけない。

五郎丸選手がああいうふうになったように、いつああなるかわかんないから、いつなってもいいように下準備はしていかなくちゃいけないと思うんだよね。

多分五郎丸選手だって、いきなりあんなことになっちゃったから、何の準備もできてない状態で事務所と二人三脚でやってきたと思うけど、ああなったときでも全てプロモーションを完璧にできるような下準備をしておけば、もっとすごいことができるんじゃないかなっていうふうに、ちょっと離れた視点から見ればいいと思うんなよね。

 


 多方面で大きな活躍を見せる横溝選手。

言われてみると、確かに一貫性が無いようにも見えるかもしれません。

しかし、全てはレーシングドライバーとして、そしてモータスポーツ業界の為の活動に繋がっているのです。

そんな、誰もやっていない事への第一人者となる勇気を持っているからこそ、本人が望むより多くの仕事が舞い込んでくる。

その結果が、現在の活躍へと繋がっていくのです。


 

まとめ

日本のトップレーシングドライバーとしてだけではなく、ファンション業界やモデル業界、実業と、マルチに活躍する”横溝直輝”。

多くの人が憧れる職業を全て手にしたかのように見えるその道筋を、本人へのインタビュー形式で紹介していくこのシリーズ。

今回は、トップドライバーから突然の無職というピンチをどうやって乗り越え、現在のマルチに活躍する横溝選手というアイデンティティを手に入れたのかをご紹介しました。

次回は、そんな横溝選手がレーシングドライバーやモータースポーツ業界に対してどのように感じ、どう考えているのかという事に迫りたいと思います。

 

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