1980年代後半、ラリーの老舗フォードが開発した4WDミッドシップスポーツ『RS200』。最高峰クラスが、FIA グループB規定(連続12ヶ月間200台生産)で開催されていた当時のWRCシーンでは、各メーカーが400馬力以上のモンスターマシンを投入し、マシン開発が激化していました。そんなグループB時代で勝利を収めるべく最後にフォードが投入した『RS200』とは、いったいどんなクルマだったのでしょう。

4WDグループBマシン・フォードRS200 / 出典:https://www.favcars.com/ford-rs200-group-b-rally-car-pictures-218968.htm

フォードRS200開発コンセプト

フォードRS200/ロードモデルリヤビュー/出典:https://www.favcars.com/ford-rs200-1984-86-wallpapers-121195-1024×768.htm

1984年11月、トリノ国際自動車ショーでワールドプレミアを果たしたフォード『RS200』は、コスワースBDT1.8リッターの16バルブエンジンを、F1デザイナー、トニー・サウスゲート氏が手掛けたシャーシーに搭載していました。

フォードが、一切妥協をせずに設計した究極のグループBマシンである同モデルは、以下のコンセプトを中心に開発されています。

RS200開発コンセプト

1.4輪駆動、後輪駆動にも切り替え可能な機構を持っていること。

2. ミッドシップエンジン方式。50:50の重量配分を得るためにギアボックスは、フロントデフ・センターデフと一体化されている形式で、かつ、フロント側に置かれたトランスアクスル方式を採用。

3.コンパクトで軽量なターボ・エンジンは、300馬力以上の出力が可能。

4.洗練されたシャーシ構造は、最近のサーキットレースの技術を導入している。

RS200の開発コンセプトには、グループB規定のラリーで勝つための明確な理由が結び付けられていたといわれています。

今でも同様ですが、WRCではグラベルロード(未舗装路)で争われるため、アウディ・クワトロの登場以降、高いトラクションを得られる4WDでなければ勝つことは出来なくなっていました。

しかし当時は、4WD(4輪駆動)から2WD(後輪駆動)への切り替えが可能なパートタイム機構を備え持ったグループB仕様ラリーカーは、ライバルメーカーでも存在しておらず、このパートタイム機構は、わずかな舗装路区間での優位性を狙った新機構だったのです。

また、エンジンとクラッチをリアミッドシップ、ギアボックス本体はフロントに置くトランスアクスル方式を採用することで、重量バランスを極限まで理想に近づけることに成功しています。

当時、ライバルメーカーたちが挙ってベンチマークとしていた『アウディ・クワトロ』は370馬力を発生していましたが、ターボチャージャーで武装したエンジンの重量は重く、ハンドリングに悪影響を及ぼして苦戦を強いられていました。

そんな状況の中からフォード陣営は、同時にエンジンの軽量化(含むターボシステム)を重要課題に挙げて、開発を進めたのです。

4輪駆動グループBラリーカーの先駆者アウディ・クワトロ/出典:https://www.favcars.com/audi-quattro-group-b-rally-car-85-1983-86-images-84835

また、F1やグループCなどのレーシングカーを数多くデザインする、トニー・サウスゲート氏にシャーシをデザインをさせたことも大きなトピック。

ハイパワー・モンスターグループマシンに耐え得る車体設計に取り組んで、当時のラリー界ではまだ証明されていない領域にまで入り込んだ開発を進めていきました。

フォードのラリー復活を賭けた4WDモンスター

フォードRS200透視図 /出典:https://www.favcars.com/ford-rs200-1984-86-photos-121190.htm

グループBラリーカーの先駆者であるアウディ・クワトロ、ランチア・デルタS4などと比べても緩やかな曲線を使った流線型で造形されているフォードRS200のボディデザインは、あのカロッツェリア・ギアが手掛けたものです。

フォード・シエラのフロントウインドーシールドと、左右ドアの上部を使用して造形されたスタイリングデザインは、フォードらしさが漂っているものの、極端に前後のオーバーハングが小さいところや、7インチ系の丸目ヘッドライト×2灯の愛らしい雰囲気などから、独創性に飛んだユニークなものに仕上がっています。

空気抵抗値はcd=0.40とあまり良くない反面、120km/h走行時におけるダウンフォースはフロント部分で4.5kg、リア部分で6.0kgと好数値を記録。

アローズ、シャドウ、オセーラなどF1マシンを数多く手掛けたトニー・サウスゲート氏がデザインしたカーボンファイバー&アラミド ファイバーグラス コンボジット製センターモノコックキャビンや、その前後にスチール チューブラー フレームという構成で組み上げられた車体は、レーシングカーそのものと言っても過言では無いシンプルな構造をしています。

サスペンションの形状は、前後ダブルウィッシュボーン形式ですが、コイル+サスペンションは各ホイールに対して2本ずつ(8本/1台)装着されているところが特徴的でした。

RS200にミッドシップマウントされているコスワースBDT型エンジン/出典:https://www.favcars.com/pictures-ford-rs200-1984-86-223755-1024×768.htm

エンジンは、1979年にラリー世界選手権でチャンピオンを獲得したフォードエスコートRSに搭載されていた名機、コスワースBDAの流れを持つコスワースBDT型を搭載。

ロードモデルは、1804ccDOHC直列4気筒エンジンにインタークーラーターボ(ギャレット製)で、ベーシック車両でも250馬力を発生します。
(フォード製インジェクションにターボ過給圧を調整した350馬力バージョン、300馬力バージョンも存在。)

このエンジンの歴史的経緯を紐解くと、1980年代初頭のフォード後輪駆動グループBラリーカーとして、開発が噂されていた『エスコートRS1700T』に搭載する予定で製作されたのですが、当時すでに世界ラリー選手権では4輪駆動のアウディ クワトロの快進撃がはじまっており、他のライバルメーカーもミッドシップマウント4WDのランチア ラリー、プジョー205ターボ16などがデビューを控えているという状況で、すでに後輪駆動形式で世界ラリーを戦うには時代遅れでした。

その結果、後輪駆動の『エスコートRS1700T』は幻のグループBマシンとなり、心臓部分のコスワースBDT型エンジンだけが4輪駆動形式を採用して新たに開発を始められた、フォードRS200へ流用されるかたちで搭載されたのです。

フォードRS200 車両スペック

車両形式 フォードRS200グループB
エンジン 直列4気筒DOHC16バルブ
排気量 1800/2520(×1.4)
ボア×ストローク 86×77.6mm
圧縮比 8.2
最高出力 350ps/6000rpm
最大トルク 35.7kgm/5500rpm
吸気装置 インジェクション・ギャレットターボ
潤滑装置 ドライサンプ
エンジン配置 ミッドシップ
フロントブレーキ ベンチレーテッドディスク径285mm
リヤブレーキ ベンチレーテッドディスク径285mm
フロントサスペンション Wウィッシュボーン+コイルスプリング
リヤサスペンション Wウィッシュボーン+コイルスプリング
ステアリングギアボックス ラック&ピニオン
全長 4000mm
全幅 1764mm
全高 1322mm
ホイールベース 2530mm
車両重量 1180kg

フォード6年ぶりの復活RS200デビュー

6年ぶりにフォードがRS200を駆って、世界ラリーに復活を果たした。/出典:https://www.favcars.com/pictures-ford-rs200-group-b-rally-car-121197.htm

1986年2月14日、世界ラリー選手権シリーズ第2戦スウェディッシュラリーで、グループB仕様のフォードRS200がそのステージに登場しました。

グループBがトップカテゴリーに変わってから5年目、満を持して登場したフォードRS200は、結局エボリューションモデルのホモロゲーション認可がこの時点でも間に合っておらず、ロードモデルベースのグループB仕様で参戦することに。

ロードモデルのグル-プB規定では中途半端な排気量が足かせとなり、レギュレーション的に不利な最低重量となる中、それでもフォードは、エンジンを420馬力にまで引き上げて、センターデフによってフロント37%リヤ63%にトルクが配分される仕様に仕上げてきました。

フォードRS200にとって、このラリーにおけるグループBクラス最大のライバルは、第1戦の勝者ランチア デルタS4と、軽さが武器のプジョー205ターボ16の2台でしたが、MGメトロ6R4も侮れない存在となっていました。

大雪の積もるスウェーデンで、ラリーカー2台に対して50人近いサポートメンバーで望んだフォード陣営は、なんとかRS200でのデビューウィンを目論んでいましたが、下馬評どおりにグループBの先駆者であるランチアとプジョーがトップ争いを展開する形でラリーは進行。

その後、様々なアクシデントが重なって終盤では、1位がプジョー205、2位がランチア デルタと連なり、続く3位争いにMGメトロ6R4とフォードRS200という展開となります。

最終的にMGメトロがリタイヤしたことにより、カール・グランデル選手が駆っていたフォードRS200は辛うじて3位に入賞し、フォード期待のニューマシンは、デビュー戦をなんとか表彰台ぎりぎりで終えることができたのでした。

ポルトガルでのフォード撤退、コルシカ島でさらなる悲劇……

悲運のグループBマシンと言われるフォードRS200その訳は・・・ /出典:https://www.favcars.com/ford-rs200-group-b-rally-car-photos-121196-1024×768.htm

次戦にあたる1986年、世界ラリー選手権第3戦ポルトガルラリーを前にして、フォードは陣営は前戦スウェディッシュラリーを完走したロードモデルベースのRS200に、フルオーバーホールを実施して戦いに望みます。

加えて地元ポルトガルの英雄ドライバー、J.サントス選手が駆るマシンなど、新たに2台のRS200を投入し、鉄壁の体制を構築します。

しかし第1ステージ開始早々、ラリーカーとカメラマンが接触する事故が発生し、いきなり暗雲が立ちこめる流れに。

そして、主催者側の「今年の各ステージには、多くの警備を配備しているので観客が問題になることは無い」という言葉とは裏腹に、コースサイドぎりぎりにまで熱狂的なギャラリーが押し寄せる異常な状況が続きます。

地元ポルトガルの英雄サントス選手がスタートする頃には、観客の熱狂もピークに達していて、もはや統制の取れていない群衆達の中からは『闘牛士紛い』にコース上に立ち尽くすという信じられない行動に出る人まで現れる始末です。

その結果サントス選手の駆るRS200はスタート後、1kmを少し過ぎた登り坂の頂上付近のコース上に立ち尽くしていた男を避けた為にコントロールを失いながら、コースサイドに集まった群衆の中に飛び込んでしまうという最悪の事故が発生。

この惨状を受け、フォード陣営は真っ先に、このラリーから撤退することを表明します。

死者4人負傷者数十名を出したこの現場では、主催者側の説明と異なり、警備体制が全くとられておらず、それに対する抗議と死傷者への謹慎の意味を込めた22名のドライバーが競技を続行しない旨を表明。

この結果、フォードと同じくアウディ、プジョー、ランチア、ローバーのワークス系チームがポルトガルラリーから撤退することを決め、ステージを後にします。

この事態を重く見たフォードは、RS200がデビューした僅か2戦目にして世界ラリー選手権そのものからの一時撤退を表明。

もはや『グループB症候群』ともいえる過激なラリーステージでの負の連鎖は止むことを知らず、フォードが撤退を表明してから僅か2ヶ月後に、ふたたび悲劇が繰り返されます。

それは1986年5月、世界ラリー選手権第5戦ツール・ド・コルスでのこと。
今度はドライバーに、悲劇が起こってしまうのです。

コルシカ島中央に位置するコルテから、タベルナに向う27kmのスペシャルステージ途中の左コーナーで、ヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト組が駆るグループB仕様のランチア・デルタS4がコントロールを失ってコースオフ。

時速100km/hのまま、崖下4mに転落して炎上してしまったのです。

この事故によりドライバーとコ・ドライバーの2名が死亡し、ランチアチームはフォードと同じく、世界ラリー選手権からの一時撤退を表明することになります。

まとめ

パイクスピーク・ヒルクライムに出場するフォードRS200 /出典:https://www.favcars.com/photos-ford-rs200-pikes-peak-116845-1024×768.htm

コルシカ島の事故の翌日、世界ラリー選手権の安全性についての特別会議が行われ、FISAの要人が参加する中『安全性についての9ヵ条の提案』が取り決められました。

それにより、世界ラリー選手権において、空力パーツやエボリューションモデル自体の使用禁止。

自動消火装置の取り付けの義務化などが提案される中、1987年から『グループB規定(連続12ヶ月間200台生産)』自体を禁止する項目も採択されてしまうのです。

この提案の結果、1987年から世界ラリー選手権はグループA規定(連続12ヶ月間5000台生産の大量生産車)により、シリーズを開催することになります。

行き場を失ったフォードRS200は、翌シーズンもグループB規定で開催されていたヨーロッパラリー選手権に活路を見いだして参戦。

皮肉なことに、1987年シーズンはエボリューションモデルの認可が間に合ったことでRS200Eとして本来の実力を発揮して、ヨーロッパラリー選手権で年間19勝を達成。

その後2004年には、空力パーツを追加したフォードRS200Eがパイクスピークヒルクライムに出場し、優勝するなどして活躍を見せ、マシン性能の高さを立証しました。

こうしてフォードが一切妥協せず、開発を行なって究極のグループBマシンとして投入されたRS200は、本来の目標であった世界ラリー選手権では脚光を浴びることなく撤退しましたが、最後は安全なクローズドステージで力一杯その余生を謳歌したのです。

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