2017年に登場したホンダNSXや、2019年発売のトヨタ スープラに続けとばかりに現在、もっとも復活が期待されているのはマツダのロータリースポーツ『RX-7』といえるでしょう。独 ニュルブルクリンクサーキットで、新型ロータリーエンジンを搭載したRX-8のテスト走行が確認され、2020年4月には英国マツダがMX-30にレンジエクステンダー型ロータリーエンジンを搭載する可能性を示唆するなど、いよいよマツダの新型ロータリースポーツの発売が現実味を帯びてきました。そんな期待を込めて、1978年に登場した初代マツダ『RX-7』の誕生エピソードとモータースポーツシーンでの活躍を振り返ります。

掲載日:2020/05/03

1978年に発馬を開始した初代RX-7(SA22C型)/ 出典:https://www.favcars.com/mazda-rx-7-sa-1978-81-pictures-305310-1024×768.htm

ターゲットはTR-7『コードネームX605』を開発せよ!

初代マツダ『RX-7』(SA22C型)は北米市場進出を見据えたリヤビューの認知度が重視されていて『異邦人的に見える』デザインが設計段階から要求されていたという。/出典:https://www.favcars.com/mazda-savanna-rx-7-sa-1978-81-photos-129899-1024×768.htm

初代マツダ『RX-7』(SA22C型)を語るなかで避けて通れないのが、ロータリースポーツのルーツとなるマツダ コスモスポーツ(L10A型)の存在といえるでしょう。

コスモスポーツは、1967年5月に国産初のロータリーエンジン(以下:RE)搭載車として発表され、その画期的な近未来デザインで世の中へセンセーションを巻き起こしました。

2ローターロータリーエンジンとして世界初のスポーツカー、マツダ・コスモスポーツ(L10A型)/ 出典:https://www.favcars.com/photos-mazda-cosmo-sport-1967-72-83957-1024×768.htm

当時はまだ未知のエンジンと言われていたREの歴史は、コスモスポーツの公開から遡ること16年、1951年にREの生みの親であるフェリックス・バンケル博士とNSU社がREの共同開発に着手したことで始まりました。

東洋工業(現マツダ、以下:マツダ)はニュー・ジェネレーションともいえるREの動向に早くから注目し、10年後の1961年にバンケル博士率いるバンケル社、NSU社の両者と技術提携を正式に決定します。

そしてマツダが研究を開始してから6年の歳月を経て、コスモスポーツのエンジンルームに積み込まれてデビューしたRE(10A型エンジン)でしたが、初期段階ではアペックスシール(レシプロエンジンのピストンリング相当の部品)の耐久性や燃費の悪さ、低速トルクの細さなど、実用面で様々な問題を抱えることになりました。

そんな未知のエンジンに対する人々の不安を払拭するために、2年間もしくは5万Kmという手厚い保証が与えられていたコスモスポーツでしたが、わずか1176台が生産されただけで、1972年9月にはラインアップから姿を消します。

それでも、コスモスポーツは未知のパワーユニットを搭載する実験車両としてRE搭載車史の歴史の1ページを飾る存在です。

マツダはその後も、レシプロエンジンが搭載可能であるファミリアクーペやサバンナなどの車体に、10A型エンジンを搭載したREモデルを設定。

その後、10年以上の歳月をかけて90万台以上のRE搭載モデルを平行して生産していきました。

そして地道にRE生産の実績を重ねていた1975年、ふたたびマツダは『RE専用スポーツカー』の開発計画を再開します。

コードネームX605(以下X605)と名付けられたその計画は、当時爆発的に拡大していた北米市場を見据えた『ハッチバック2+2GTクーペ』を開発することに加え、価格帯、量産規模のターゲットを英国の『トライアンフTR-7』に定めていたのです。

トライアンフTR-7のヘッドライト形状やチェック地シートのインテリアデザインなどは初期型RX-7に影響を与えていたのであろうか? / 出典:https://www.favcars.com/pictures-triumph-tr7-1974-81-52432

トライアンフTR-7は、2L 4気筒のレシプロエンジンを搭載する2ドアクーペで、当時北米市場でヒットしていたダットサン(日産)フェアレディ240Zの2シーターモデルをライバルに定め、製作されていたスポーツカーです。

レシプロエンジンの搭載を考慮せず、あくまでRE専用車として開発されたX605の基本的レイアウトは、メーカーの掲げる明確な設計要求に対応し、すんなりと決定していきました。

さらにマツダはX605を見据え、燃費やエンジンオイルの消費などRE特有の問題点を、インテークポート形状を改良したり、サイドハウジングの処理方法を見直すなどして、新型エンジンの開発を同時に進めていきます。

こうして1977年にはプロトタイプ車両がテストコースでの走行を開始。驚異的なペースで、X605の開発は進められていきました。

ヘッドライトデザイン誕生秘話

リトラクタブルヘッドライトの右側のみがポップアップされた状態の初代RX-7透視図/出典:https://www.favcars.com/mazda-rx-7-sa-1978-81-images-307848-1024×768.htm

のちに初代『RX-7』としてデビューする事となる、X605のスタイリングに対するメーカーの要求は『高性能と好燃費をねらって空力的な理想系に極力近づける』というものでした。

RX-7シリーズといえば、ヘッドライト機構がポップアップするかたちで開閉し、閉止状態では空力的に有利といえる『リトラクタブル型ヘッドライト』が代名詞のひとつです。

しかし、X605の開発初期段階までは固定式ヘッドランプを想定しての研究開発が進められていました。

70年代後半、日本ではスーパーカーブーム(第一次)が到来し、人気のランボルギーニ カウンタックやフェラーリ512BBなど、スーパーカーが挙って採用するリトラクタブル型ヘッドライトが、ドライバーにとっての憧れとなっていきます。

当時、国産車でリトラクタブルヘッドライトを採用していたクルマは、一部の富裕層しか手に入れることが出来ないほど高価なトヨタ2000GTのみ。

対して、庶民的な150万円前後の価格設定で開発されたX605は、デザインスケッチから1/5縮尺モデル競作の段階に至っても、選出された4種類のうち3種類がメーカーの首脳陣が定めたコスト面重視といえる、『固定式ヘッドランプ』が採用されていました。

そんな中、ルーチェ(RE搭載モデル)のショーカーでリッド式ヘッドランプを試作したデザイン室の企画開発者達は、その経験からREのコンパクトさや搭載位置を最大限に活かすには、リトラクタブルヘッドライトしかないという考えをまとめ、更なる研究に奮起します。

情報開示社会の現在では考えられないことですが、70年代後半に掲載されたマツダ雑誌広告によると、マツダの電装研究員が広島で開催されたスーパーカーショーのアルバイトに自ら志願し、ショーカー会場に潜入。その目的は、会場に置いてあるランボルギーニやフェラーリ、マセラティのヘッドランプ機構を直接自分の眼で視察して、研究開発に役立てる為でした。

X605の開発は、その後フルサイズ クレーモデルの段階に至ってもリトラクタブルと固定式、双方の検討が続けられ、最終的には日本自動車研究所に持ち込まれての本格的な比較が実施されることになったのです。

そんな中、リトラクタブルヘッドライトのクレーモデルは、『Cd値= 0.362』というポルシェ924と同レベルの好数値を記録。

最終的にX605のヘッドライトデザインは、デザイン室の企画開発者達が推薦するリトラクタブル型に決定し、コンパクトなRE搭載専用モデルならではの理想的なデザインが採用されました。

マツダの研究陣は、その後も『安全面』を重視してリトラクタブル機構の開発を重ねていき、故障時のリスクを踏まえてライト格納モーターには左右独立の2モーター型を採用。

更にヘッドライトの照射光軸角度の誤差をなくすために、独自の二重組み合わせリンク機構を開発し、欧州車で採用されていたシングル機構を上回る高精度な光軸角度を実現したのです。

空力面やドライバーの安全面を左右する『ヘッドライトデザイン』に対する企画開発者達の地道な努力が、デビュー後のX605を成功に導く大きな要因となったといえるでしょう。

『デザインByロータリーエンジン』初代RX-7誕生

当初から北米市場で設定のあったサンルーフ仕様は1979年に運輸省(現国土交通省)の認可がおりて日本でも発売が開始された。/ 出典:https://www.favcars.com/photos-mazda-savanna-rx-7-sa-1978-81-304642.htm

X605は、その後22年間に渡り人気シリーズとなるRX-7の初代モデルとして、1978年3月30日にマツダ サバンナ『RX-7』(以下RX-7)の名で販売が開始されます。

スーパーカーブーム真っ只中に、憧れのリトラクタブルヘッドライトが装着されたフォルムで登場したRX-7は、『日本初のスーパーカー登場』と加熱気味な報道が行なわれ、販売開始後わずか1週間で8000台以上の予約が殺到する人気モデルとなりました。

マツダの技術者たちが『デザインByロータリーエンジン』と形容するように、RX-7はRE搭載モデルだからこそ実現した異様に低いフロントノーズや軽量ボディ、静寂性などすべてがロータリーの特徴をいかしたボディデザインへと繋がっています。

 

「デザインByロータリーエンジン」と形容される初代RX-7のRE搭載位置が実感できる当時のデザインスケッチ/出典:https://www.favcars.com/photos-mazda-savanna-rx-7-sa-1978-81-129903-1024×768.htm

RX-7の特徴を少し解説すると、ロータリー機構のメリットでもあるエンジンのコンパクトさを活かし、フロントアクスル後方にREをミッドシップマウントすることにより、50:50に近い理想的な前後重量バランスを実現。

インテークポートの形状の改良により、130馬力まで出力を向上した2ローターの12A型エンジン(573cc×2)を搭載しています。

車両重量はフェアレディZに比べて200kg軽い1005kgに抑えられ、パワーウェトレシオ7.73kg/HPを実現。

さらに100km/h走行時の騒音テストでは、マツダの高級サルーン、ルーチェに匹敵する69dBに抑えられているなど、あらためてREの静寂性を立証する形となりました。

空力面ではアメリカ向けのオプションパーツである、リアウィングを装着した状態の風洞テストでCd値0.362を記録。

RX-7は、その後1983年にマイナーチェンジが施され、ターボ装着モデルを登場。

2代目モデル以降に搭載される『ロータリーターボエンジン』への布石となりました。

マツダサバンナRX-7 リミテッド スペック

エンジン形式(12A型) 水冷ロータリー・2ローター
総排気量 573cc×2
圧縮比 9,4 : 1
キャブレター 2ステージ4バレル×1
最高出力 130PS/7000rpm
最大トルク 16.5mkg/4000rpm
変速機 フルシンクロ前進5段
車体構造 モノコック2+2クーペ
サスペンション前 マクファーソン・ストラット・コイル
サスペンション後 4リンク コイル ワッツリンク
ブレーキ F 179mmベンチレーテッド/

R 200mmドラムサーボアシスト

全長 4285mm
全幅 1675mm
全高 1260mm
ホイールベース 2420mm
重量 1005kg
ホイール/タイヤサイズ 5.5JJ×13 / 185/70HR13
スパークプラグ B6EM    W20EA
リミテッド 販売価格 169万円 *東京
保証期間 1年/2万km エンジンなど主要部品は2年5万km

世界のモータースポーツシーンで大活躍

1979年アメリカIMSAシリーズに挑戦した初代『RX-7』/ 出典:https://blog.mazda.com/wp-content/uploads/2017/12/20171227_01x.png

初代RX-7の発売開始から、わずか2週間後の1978年4月12日。

ワークスタイプのオーバーフェンダーを装着し、特殊ツーリング仕様に仕上げられた2台のRX-7が富士スピードウェイに姿をあらわしました。

当時の日本は、モータリゼーションが発展していく中、自動車メーカーのイメージ戦略を兼ねていたモータースポーツのリザルトが、新車の販売台数に直接つながるというスポーツカー開発にとって、夢のある時代でした。

そんな社会的背景の中、マツダはサバンナRX-3のレーシングカーで培ったダウンドラフト ウェーバー装着の12A型ペリフェラルポートエンジンを、発売間もないRX-7に搭載してレーシングカーを製作。いち早くテスト走行を実施したのです。

RX-7は、ニュートラルに近いハンドリング特性を持ちながら、パワーオーバーステアの傾向が強く、FR車(後輪駆動車:以下FR)のドリフト走行が楽しめるなどと、モータースポーツの入門車両として、サーキットでもドライバー達の間で人気となります。

なかでも富士スピードウェイの長いストレートでは、その空力特性を活かしたスリップストーリーム走法で観客を魅了し、当時開催されていたフレッシュマンレースP2500クラスやよりプロフェッショナルなJSSスーパー スポーツ セダンレースなど、数多くのレースに登場し、サーキットでの活躍を続けます。

また、海外に目を向けると1979年には、アメリカのデイトナ24時間耐久レースに挑戦したことを皮切りに、IMSAシリーズGTUクラスに片山義美選手のドライブでRX-7でのスポット参戦を開始。

ライバルのポルシェやダットサン280Zを相手にIMSAシリーズで健闘し、シアースポイント戦とポートランド戦で共にポールポジションを獲得。

ポートランドでは決勝2位の好リザルトを残します。

その後1981年、ベルギーの『スパ・フランコルシャン24時間耐久レース』への挑戦を目前に、RX-7はマイナーチェンジを実施。

更なる空力特性の手直しをうけたボディは、Cd値=0.34を実現。

耐久レースに勝利するための、重要なファクターである燃費の向上を目指します。

また、ローターハウジングやリアクティブマニホールドの肉厚を削り、エンジン本体をマイナス9kg軽く仕上げた上にクロスメンバーなどの素材を見直し、旧型より新シリーズはボディ全体で約30kgの軽量化に成功。

バージョンアップを成功させたマツダは、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースにおいて、欧州車伝統のレシプロ勢であるフォードやBMWが参戦するなか、RX-7を総合優勝に導いて、全世界に向けてREの耐久性を立証したのです。

第32回アクロポリスラリーで疾走するRX-7海外仕様(13Bロータリーエンジンを搭載)/ 出典:https://www.favcars.com/images-mazda-rx-7-gr-b-acropolis-rally-1985-96145.htm

RX-7は、サーキットのみならずラリーシーンにも登場し、活躍しています。

発売が開始された翌年の1979年には、マツダオート東京がサスペンションやクロスメンバー、軽量フライホイール、強化クラッチ、ファイナルギアセット、LSDなどで構成されるラリー車用キットパーツの開発を開始します。

フェロード製ブレーキパッドを装着したRX-7のキットカーを、『ミスタールマン』こと寺田陽次朗選手が、オフロードでのテスト走行を実施。

マツダオート東京は、国内のみならず伝統ある英国の国際ラリー大会、RACラリーを見据えたRAC仕様のダンパーの開発も行なっており、RX-7自体のリーズナブルな車体価格も手伝って、その後も国内外のラリーストからラリーカーのベース車両として愛されていくのです。

1984年には、ベルギーに本拠地を置いているマツダ ラリーチーム ヨーロッパが、グループB仕様のRX-7を世界ラリー選手権のアクロポリスラリーとRACラリーに投入。

RE搭載車で、ラリーでの限界への挑戦を開始します。

翌1985年、世界ラリー選手権 第2戦スウェーディッシュラリーでは大雪の中、アウディクワトロ、プジョー205などの4WD勢を相手に、不利な2輪駆動のFR車ながら善戦し、総合8位を獲得。

むかえた第6戦ギリシャ アクロポリスラリーに、マツダはワークス体制のRX-7を2台投入します。

そしてタイヤメーカーをミシュランに、ホイールもエンケイ製に変更して、サスペンションのストロークを200mmへと延長するなどし、シリーズのなかでトップレベルの悪路へと望みます。

アウディやプジョー、ランチアといった欧州車4WD勢が争う中、日本車勢では日産が5台の240RS ETを投入してRX-7包囲網を形成し、注目のFR争いを展開します。

そしてアクロポリス名物ともいえる岩盤路でのサスペンショントラブルで、多くのライバルたちが脱落する中、インガー・カールソン選手の駆るゼッケンNo9のRX-7は、軽量ボディとリファインされた脚廻りを武器に善戦。

ゴール直前にスローパンクチャーに見舞われながら、プジョー205とアウディクワトロという2台の4WDモンスターマシンに続き、見事総合3位のタイムでゴールにたどり着きました。

第32回アクロポリスラリー・リザルト

1位 T.サロネン/S.ハルヤンヌ プジョー205ターボ16 10時間20分19秒
2位 S.ブロンキスト/B.セデルベルグ アウディクワトロ 10時間24分34秒
3位 I.カールソン/B.メランダー マツダRX-7 11時間08分25秒
4位 S.メッタ/Y.メッタ 日産240RS・ET 11時間10分46秒
5位 S.アル・ハジリ/J.スピラー ポルシェ911SC RS 11時間21分50秒
6位 A.バルンボルト/“ビッシュ” マツダRX-7 11時間25分16秒

まとめ

1985年アクロポリスラリー仕様のグループB『RX-7』が、リトラクタブル機構を取り除き固定式ヘッドランプに改良されている理由は興味深い。/出典:https://www.favcars.com/mazda-rx-7-gr-b-acropolis-rally-1985-images-307862-1024×768.htm

2020年、創立100周年をむかえたマツダ。

マツダといえばロータリー、ロータリーといえばマツダとイメージする方も多いと思いますが、冷静に顧みるとRE搭載車の歴史はその半分の約50年に過ぎません。

今後もレンジエクステンダー型のREなど、ロータリーの新しい可能性が楽しみではありますが、ロータリーファンが望むのはREのメリットを活かしたロータリー スポーツの誕生です。

現在から42年前の1978年に登場したマツダのロータリー スポーツは、フロントミッドシップから生まれる『理想的な前後重量バランス』、軽量なREが実現する『軽い車体』、理想的なエンジン搭載位置で可能となった『空力特性の良いボディデザイン』と、ロータリー機構のメリットを活かしたクルマ造りが行なわれていました。

80年代のバブル経済が昇りつめていくギンギラギンな時代に登場した初代RX-7は、マイナーチェンジを繰り返し、バブル絶頂期の1985年まで販売されて、やがて二代目FC3Sモデルへとバトンを繋ぎます。

車体価格が123万円~173万円と、当時『誰もがさりげなく手に入れることが可能なスポーツカー』として登場した初代RX-7は、RE搭載モデルや、コンパクトスポーツの発展に貢献した名車といえるでしょう。

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