市販車とは異なるコンセプトで開発されるレーシングカーの歴史を振り返ると、様々な名車が登場します。そのなかで、もっとも美しい流線形フォルムを持つレーシングカーが、1967年型フェラーリ『330・P4』です。60年代に誕生した、レーシングカーの代表作と言えるフェラーリ『330・P4』のルーツと黄金期の活躍に迫ります。
掲載日:2020/06/09

1967年型フェラーリ330・P4 / 出典:https://www.favcars.com/ferrari-330-p4-1967-wallpapers-242437.htm
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ルマンでデビューウィンの新星フェラーリ

ボディには真っ赤な塗装が施され精密機械のように組み上げられたV型12気筒1995ccのエンジンが搭載されていたフェラーリ166MM(ミレ・ミリア)/ 出典:https://www.favcars.com/ferrari-166-mm-touring-barchetta-1948-50-pictures-102529-1024×768.htm
世界3大レースのひとつである、ル・マン24時間耐久レース(以下:ルマン)の歴史は古く、そのはじまりは1923年と戦前にまでさかのぼります。
創生期のルマンは量産車のみという参戦条件のもとで、6.6リッターエンジンのベントレー、7リッターのメルセデスベンツなど、ヨーロッパの自動車メーカーが開発した『大排気量車』が中心となり、激しいバトルが繰り広げられていました。
1939年のルマンをブガッティが優勝で終えるとほぼ同時期に、ヨーロッパは第二次世界大戦へと突入。自動車メーカーの生産ラインまでが、軍需工場へと変貌していきました。
終戦後、1949年に再開されたルマンは、戦争の爪痕により各自動車メーカーの量産体制が十分でなかったことを理由に、『プロトタイプ・クラス』を創設。試作段階の車両でのレース参戦が可能となりました。
このレギュレーション変更をきっかけにルマンに初参戦し、レースを制したのがエンツォ・フェラーリ氏率いるフェラーリの、レーシングカー『166MM(ミレ・ミリア)』です。
コンストラクターであるフェラーリのマシンには、精密機械のように組み上げられたV型12気筒、1995ccのエンジンが搭載され、カーレースに新しい時代の到来を感じさせます。
そんなエンツォ・フェラーリ氏は、1930年代にアルファロメオのレーシング部門を承継するかたちで独立した『スクーデリア・フェラーリ』での活動実績と、それに伴う技術を既に兼ね備えていたのです。
第二次世界大戦中も水面下でレースへの参戦体制を整えて挑んだ1949年のルマン制覇は、新生フェラーリにとって記念すべきスタートとなりました。
フロントエンジン・フェラーリで黄金期へ

『フロントエンジンマウント』フェラーリ最終形『330LM』は、見事なまでのファストバックデザインで観る者を惹きつける。/ 出典:https://www.favcars.com/photos-ferrari-330-tri-lm-testa-rossa-1962-21244-1024×768.htm
1950年代前半のカーレースは、戦勝国であるイギリスが誇るジャガーと敗戦国であるドイツのメルセデスという興味深い二大メーカーの対決で盛り上がりをみせていました。
そんなカーレースに、大きな転機が訪れたのは1958年のことです。
CSI(FIA/国際スポーツ委員会)が、それまで排気量無制限で開催してきたカーレースに、1958年シーズンから最大排気量を3リットルまでと、排気量制限を設けたのです。
これをきっかけにジャガー(1955年~57年のルマン覇者)は、小排気量エンジンを持たないことを理由に活動を休止。
文字通りダークホース的な存在であったフェラーリは、市販車250GTで実績のあるSOHC・V型12気筒エンジンをベースに、300馬力を発生するレース用エンジンを搭載した『250Testa Rossa(以下250TR)』を開発し、勝利を目指すのでした。
ちなみにTesta Rossaは、イタリア語で赤い頭を意味していて、シリンダーヘッド部分が赤く塗られていたことで命名。
完成した250TRのデザインは、キャブレターのファンネルをカバーする様に突起したボンネット上部に筋肉質な盛り上がりをみせ、フロントフェンダーの隆起とともに力強いイメージとなります。
近代的な空力特性を考慮して誕生したそのファストバックスタイルは、フェラーリの『フロント・エンジンレイアウト』モデルの集大成でした。
そしてフェラーリ250TRは、1958年、60年、61年のルマンを見事に制覇。
1962年には、250TRベースに開発が進められたルマン専用モデルの『330LM』がルマンで優勝するなど、時代はフェラーリ黄金期に突入していきます。
フォードvsフェラーリのミッドシップ対決

近代的フェラーリの幕開けといえる1964年型『250LM』。V12エンジンがミッドシップマウントされている『250LM』のデザインは至ってシンプルである。/ 出典:https://www.favcars.com/images-ferrari-250-lm-1963-66-242397-1024×768.htm
1960年代に入り、ヨーロッパ市場進出を目論むアメリカの自動車メーカー『フォード』は、商業的な理由からも重要なレースと位置づけられていたルマンの制覇を計画します。
それは同時に、アメリカ国内市場でライバルメーカーに差をつけられたスポーツカー部門のイメージアップ戦略を兼ねていました。
ビッグマネーを武器に、『自社レース部門』としてフェラーリ自体の買収を試みるフォード首脳陣に対し、エンツォ・フェラーリ氏の出した答えは『NO』。
こうして近年の大ヒット映画でも描かれた、フォードvsフェラーリの対決がはじまります。
憤慨したヘンリーフォード二世率いるフォードは、ルマンでフェラーリに勝つためにイギリスのローラ社をパートナーに、『フォード・アドバンスド・ビークルズ』を立ち上げると、シャシーやエンジンの開発に着手。
時を同じくして、カーレース排気量制限のレギュレーションが「高性能マシンを開発するためには支障をきたす」という理由から、1961年シーズンの終了とともに、わずか4年で撤廃されることが決定します。
政治的な気配が漂う中、大排気量エンジンメーカーであるフォードのルマン参戦への追い風が、ヨーロッパに吹き始めたのです。
フォードは、ローラGTをベースに自慢の大排気量エンジンをミッドシップに搭載した『GT40』をあっという間に完成させ、1964年からスポーツカーシリーズに参戦を開始します。
一方フェラーリは、ドライバーにジョン・サーティス氏を招集し、フォードに対抗すべくフェラーリ初となる『ミッドシップ・エンジンマウント』の『250LM』の開発をして、戦闘力を大幅に向上。
フォードvsフェラーリの対決に世界中が注目するなか開催された1964年、65年のルマンは共に、レース経験が豊富で耐久性のあるエンジンを搭載するフェラーリが勝利(64年が275P、65年は275LM各モデル)し、王者の面目を保ちます。

1966年ルマン・サルテサーキットで整列するフォードGT40軍団 / 出典:https://www.favcars.com/photos-ford-gt40-le-mans-race-car-1966-218472-1024×768.htm
翌1966年、リベンジを誓うフォードは、GT40にV8・OHV『7リットル』という大排気量エンジンを搭載した『マーク2』へと発展させ、シリーズに参戦。
対抗馬のフェラーリも、排気量を『4リッター』まで引き上げたV12・DOHCエンジンをミッドシップにマウントしたフェラーリ『330・P3』の投入に踏み出すのでした。
ルマン制覇が、もはや自動車メーカーの枠を超えた世界的なステータスとなっていたこの年、フォード陣営は潤沢な資金を武器にGT40を大量エントリーさせて総力戦を仕掛けます。
一方、フェラーリ陣営の330・P3は熟成が大幅に遅れてしまったことや、排気量のハンディキャップが有る事などから、想像以上に苦戦を強いられてしまうのでした。
映画『フォードvsフェラーリ』の劇中でも感動的に描かれているこの年のルマンは、結局GT40が1位から3位を独占するかたちでチェッカーを受け、フォードが悲願のルマン制覇を果たしています。
1966年のカーレースは、終わってみればシリーズ5戦中フォードが3勝、ポルシェ1勝、シャパラル1勝という結果で、王者であるフェラーリは1勝も出来ないという苦しいシーズンとなりました。
レーシングカーの傑作『330・P4』誕生

史上もっとも美しいレーシングスポーツカーフェラーリ330・P4 / 出典:https://www.favcars.com/pictures-ferrari-330-p4-1967-240258-1024×768.htm
エンツォ・フェラーリ氏は1966年のルマンで惨敗を喫した翌年、雪辱を果たすべく総力戦を宣言します。
まずレーシングカーの心臓部分であるエンジンは、フォーミューラ1用の3リッターエンジンをベースに、3967ccまで排気量を拡大した美しいV12レーシングユニットをあらたに開発。
そのエンジンのシリンダーヘッドには、1気筒あたりに2個の吸気バルブと1個の排気バルブが精密機械の様に合計『36バルブ』組み上げられ、ルーカス製インジェクションシステムの導入により最高出力は450馬力まで引き上げられました。
さらに、ミッション部分は、それまでの330・P3が採用していたZF社製から、新設計の自社製ドッグクラッチ式5段ギヤボックスに変更し、約13kgの軽量化を実現。
この他にもギヤボックスのエンドカバーを外すことで、ドロップギヤを交換可能な構造に変え、サーキットでのトップギヤ比の変更が容易となっていたり、脱着が容易なブレーキシステムを採用するなど、耐久レースを見据えたメンテナンス性の大幅な向上が図られています。
こうして誕生したのが、ルマンを中心に盛り上がりをみせた黄金期のカーレースにおけるフェラーリの代表作、『330・P4』でした。
330・P4のボディデザインは、近代的な空力特性が考慮された美しい曲面で形成。独特のイタリアンデザインに仕上げられ、カンパニョーロ製の軽合金ホイールを採用するほど軽量化にこだわった車両重量は860kgと、ライバルであるフォードGT40に比べて、大人2人分も軽かったといいます。
ルマンで勝つことのみを重視したフォードとは異なり、あくまでシリーズタイトルにこだわっていたフェラーリは、ルーフ部分を無くして軽量化を図った『スパイダー』タイプと、高速サーキット用クローズドボディ『ベルリネッタ』の2種類のボディデザインを設定した330・P4を開発したのです。
エンジン形式 | 60度 V型12気筒DOHC・36バルブ |
ボア×ストローク | 77 x 71mm |
排気量 | 3968cc |
最高出力 | 450ps/8000rpm |
圧縮比 | 11:1 |
燃料供給装置 | ルーカス製インジェクションシステム |
潤滑システム | ドライサンプ |
変速機 | フェラーリ製前進5段+後進1段 |
クラッチ形式 | マルチプレート |
シャーシ構造形式 | スチール製チューブラーフレーム |
サスペンション前 | ダブルウィッシュボーン・コイル・筒型 |
サスペンション後 | ダブルウィッシュボーン・コイル・筒型 |
ステアリング | ラック&ピニオン |
ブレーキ | ディスク |
最高速度 | 320km/h以上 |
全長 | 4185mm |
全高 | 1000mm |
全幅 | 1810mm |
ホイールベース | 2400mm |
車両重量 | 860kg |
逆襲のフェラーリ/伝説のデイトナ・フィニッシュ

出典:https://magazine.ferrari.com/ja/passion/2019/11/08/news/first-second-third-at-1967-daytona-24-hours-70751/
ルマンで惨敗した翌年、1967年2月に開催されたデイトナ24時間レース(以下:デイトナ)が、フェラーリ330・P4にとって歴史的なリベンジマッチとなりました。
プラクティスでは、フォードGT40、シャパラル2Fなど、地元アメリカンパワーに後塵を浴びる330・P4でしたが、その空力特性の良さからバックストレートの最高速度はスペック超の338km/hを記録します。
そして、ルマンと同じく24時間という長丁場の決勝では、ホイールバランスの不良やパッド交換などの小さなトラブルが330・P4を襲いますが、フェラーリチームの指揮官フランコ・リーニ氏の的確な指示によりスムーズに解決。
一方のフォード陣営は、トランスミッションの深刻なトラブルが発生してしまい、地元の凱旋レースにもかかわらず、下位に沈んでしまいます。
圧倒的に有利なレース展開となったフェラーリは、1位から3位を独占するかたちで終盤を迎え、一度ピットインした後、最後の3周を横一列で3台が併走するかたちでデモンストレーションしながら、チェッカーを受けました。
それが伝説の『デイトナ・フィニッシュ』で、現在もその感動的なゴールシーンは世界中のモータースポーツファンの間で語り継がれています。
その後、6月に開催されたルマンでは、パワーで勝るフォードが先行し、ベルリネッタボディのフェラーリが追うという歴史的な大熱戦をふたたび展開。
お互いに負けられない意地の張り合いの中、終盤になって生き残っていたフォード2台とフェラーリ2台のデットヒートの名勝負となったのですが、最終的にはノントラブルを貫いたフォードが優勝し、2位から3位をフェラーリ、4位がフォードという実力が均衡する形で幕を閉じました。
ルマンでは惜しくもフォードに破れたものの、その後、7月のブランズハッチBOAC500でシリーズタイトルを争うポルシェに競り勝った330・P4は、年間チャンピオンの奪還に成功しています。
まとめ

ルーフ部分を無くして軽量化を図った『スパイダー』タイプのフェラーリ330・P4 / 出典:https://www.favcars.com/ferrari-330-p4-1967-pictures-242449.htm
フェラーリのレーシングカーの代表作といえる330・P4のルーツは、1930年代のアルファロメオの活躍から見い出すことが出来ます。
1930年代前半、ベントレー、ベンツなど排気量7000ccを超えるモンスターマシンを相手に、わずか2300ccのエンジンで一蹴りしたのは、創生期のアルファロメオでした。
そのアルファロメオのレース部門であった『スクーデリア・フェラーリ』を率いていたのが、若き日のエンツォ・フェラーリ氏自身です。
60年代に勃発する、フォードvsフェラーリ対決の最終章に誕生したフェラーリ330・P4は、アルファロメオのDNAを引き継いで、排気量やパワーで劣るフォードGT40に真っ向勝負を挑んだのです。
そんな330・P4の流線形が美しいのは、現代のレース哲学にも通じる『近代的な空力特性』はもちろん、『車体の軽さ』や『バランスの良さ』を兼ね備えたミッドシップ・エンジンマウントデザインで形成されているからでしょう。
わずか3台製作された330・P4のうち2台は、その後アメリカのCANAM仕様に変更されていますが、それらの車両はすべてコレクターの手によって引き取られ、大切に保管されています。
また、その外観の美しさから英国の『ノーブル』が製作した330・P4のレプリカ車両も数台存在しており、日本でもノスタルジックカーイベントに登場し、今でも参加者たちの眼を楽しませています。
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