車の名前は色々とありますが、その由来は車によってさまざま。中には急遽変更した車名が大ヒットの要因の1つになったり、国産車では珍しい日本語由来の車名、さらに元ネタとの妙な因果関係を感じる車名まであります。今回はそんな車名の由来を一部をご紹介します。
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もし当初の車名だったら売れたかどうか?スズキ ワゴンR
今でこそ日本一とは言えませんが、デビューと同時に爆発的大ヒットとなり、「軽自動車」そのものを変革。今でも押しも押されぬトールワゴンタイプ軽自動車の代名詞、”ワゴンR”。
その名はまさに「見たまま」軽自動車のワゴンタイプで、命名の由来は単純に「ワゴンもあーる」それだけでした。
一応「R」はRevolutionary(画期的な)、Relaxation(くつろぎ)の頭文字ということにもなっていますが、「軽自動車にもワゴンがあるよ!」というダイレクトなネーミングで、ミニカトッポやアルトハッスルを押しのけるヒットとなったのです。
ちなみに当初予定していた車名は「ZIP(ジップ)」で、当時の開発主管が反対し、急遽変更されたそうですが、そのまま発売していたらあまり印象に残らなかったかもしれません。
日本語が車名の由来となっている珍しいパターンその1・トヨタ カムリ
意外に日本語の車名は少ないものですが、戦前にはダット(「脱兎」・快進社…現在の日産の源流)やオートモ号(社主の豊川順弥の先祖「大伴氏」・白楊社)、ダイハツ号(「大阪の発動機製造」・現在のダイハツ工業)と、多数存在しました。
戦後モータリゼーション初期にもニッケイ・タロー(「日本軽自動車の太郎」と推測されている・日本軽自動車)やミカサ・ツーリング(「戦艦三笠」・岡本製作所)などがありましたが、1960年代以降は車名に日本語はあまり使われなくなっていきます。
その例外として登場したのが1980年にデビューしたトヨタ カムリで、当初はセリカの4ドア版セリカ・カムリと呼ばれていました。
名前の由来は「冠」かんむり=カムリ。
あまり派手に宣伝はされてはいませんが、日本での販売台数が落ちてからも北米No.1の販売台数を誇ったベストセラー乗用車の名が日本語由来という事から、偶然にもアメリカで一番有名な日本語のひとつかもしれません。
日本語が車名の由来となっている珍しいパターンその2・日産 バサラ
1999年にデビューした日産 バサラはプレサージュをベースにした3列シートミニバンです。
1990年代後半の経営危機で迷走していた日産が乱発した車の1台で、ミニバンブームの中でそこそこ売れたプレサージュに対し、ちょっと地味な存在でした。
名前の由来は日本語にもなった「婆娑羅(ばさら)」で、14世紀の南北朝時代に粋で華美な服装を好む文化的流行、つまり「傾奇者」や「伊達者」のようなものですが、婆娑羅そのものにはさらに語源があるとも言われています。
それはサンスクリット語で「バジャラ」すなわちダイヤモンド(金剛石)だったそうですが、なぜバジャラが婆娑羅(バサラ)になったのかはハッキリしていません。
いずれにせよ、プレサージュの兄弟車として存在感を高める必要があったバサラを、少しでも派手に見せようとエクステリアに手を加え、「婆娑羅」であろうとしたということでしょう。
日本語が車名の由来となっている珍しいパターン…では無い・日産 ムラーノ
経営危機でいよいよ火の車になっていた時期の日産が、北米での起死回生モデルとして開発したモデルで、当時のいかなる日産車とも異なりアメリカンSUVとしても秀逸した華麗なスタイルから、イタリアのヴェネツィアにあるムラーノ島から名付けられました。
この島では中世ヴェネツィア時代に職人を集め、門外不出の技術で作られた「ムラーノガラス」と呼ばれる美しい工芸品が名産で、新型SUVのスタイルにそれだけ自信を持っているという象徴として「ムラーノ」と名付けられたのです。
プジョー「残念!真ん中の0はウチのものだ!」・ポルシェ911
今でもポルシェの代表的なスポーツカー、911は極初期に「901」を名乗っていました。
開発コード901をそのまま車名にして1964年にデビューしたのですが、そこにプジョーから横槍が入ったのです。
「3桁数字の真ん中が”0”は全てウチが商標登録してます!」
なるほど、今でもそうですが1964年当時でもプジョー203や403など、1929年に登場した201以降のプジョー車と言えば、1007が2004年に登場するまで真ん中に0のある3桁数字が定番でした。
商標登録されていては仕方がないので、901は911に変更し、現在に至っています。
後に911ターボに改名した930ターボを除けば歴代911は代を重ねて開発コードが変わっても車名は「911」のままですが、もしかすると「901」のままだったらモデルチェンジのたび車名が変わっていたかもしれません。
航空母艦と歴史的名機の奇妙な因縁は関係あるか?・トライアンフ スピットファイア
その昔、イギリスにまだたくさんの自動車メーカーがあった頃、MGなどと並んで大衆向けのかっこいいオープンスポーツカーを作っていたのが、今でもオートバイでは有名なトライアンフです。
4輪車であまり有名じゃない理由は置いておいて、そのかっこいいスポーツカーの名前が「スピットファイア」でした。
クルマ好きでミリタリー好き、あるいはヒコーキ好きなら誰でもピンとくると思いますが、名前の由来は第2次世界大戦中にルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)の大爆撃からイギリス本土を守るバトル・オブ・ブリテンで勝利した立役者、スーパーマリン・スピットファイア。
相棒のホーカー・ハリケーンとともに大英帝国の空を守り、ヒトラー総統やゲーリング元帥の野望を打ち砕いた英雄的戦闘機です。
1962年には最初のトライアンフ スピットファイアがイギリスで発売されましたが、実はトライアンフとスピットファイア戦闘機には妙な因縁があるのです。
デビュー前の朝鮮戦争が始まった時(1950年)には、イギリス海軍極東艦隊に空母トライアンフが配属されており、戦争勃発とともに国連軍に動員されましたが、その搭載機はスピットファイアの海軍型「シーファイア」。
空母トライアンフから出撃したスピットファイア(シーファイア)の活躍が縁で、トライアンフの新型スポーツカーにその名を採用…かどうかまでは、定かではありません。
「モナ・リザのように愛されてほしかった」・ダイハツ リーザ
車名といえば大半は何か元になる名前があったり、「名は体を表す」ような名付け方をされますが、「この車が愛されますように」という願いが由来の車名というのは珍しいかもしれません。
それが1986年にデビューしたダイハツ初の軽スペシャリティーカー、リーザです。
絵画として世界中の人から愛される「モナ・リザ」のようになってほしい、という願いをこめて、「モナ・リザ」→「リーザ」と名づけられました。
現実にはマイナー車となって現存台数も少なくなり、660cc時代になってからも継続販売されましたが、後継車の名前は「オプティ」になってしまいます。
そのオプティの後継車がコペンで、つまりコペンのご先祖がリーザということになりますが、数少ない熱烈なファンを除けば今や知る人は少なく、現実は厳しい結果となりまいsた。
まとめ
世界中にはいろいろな車名がありますが、語感が良くない、商標登録に引っかかるなどの理由で変更されたり、正確な由来は不明なれど、深読みすると当時のメーカー事情が見えてくるものなど、多数存在します。
その中でも印象的なエピソードを持つ車名をいくつか集めてみましたが、機会があればまだまだ他の車名を紹介していきたいと思います。
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