自動車にはモデルチェンジのたびに名前がコロコロ変わる車もあれば、歴史と伝統を受け継ぎ、もはや別物となっても同じ名前で何代も作り続けられる車もあり、その事情は車によってさまざまです。そんな車の「愛称(あだ名)」がつく由来も色々で、何も人気車だから愛称で呼ばれるとは限りません…。

 

Photo by Jeff Richardson

 

 

クラウン史上最大の失敗作は、もっとも愛すべきクラウン、トヨタ・クジラ(4代目クラウン)

 

Photo by Mark Harkin

 

自他ともに認めざるをえない日本を代表する自動車メーカー、トヨタの中でもさらに伝統的代表車種と言えるのがクラウンですが、2017年9月現在販売されている14代目までの62年間には、致命的とも言える「失敗作」が2回だけありました。

うち1台は時流に乗って丸みを帯びすぎたデザインが「コロナのようでまるで迫力が無い」と不評だった、9代目S140系(1991~1995年)。

そして、もう1台が4代目クラウン(1971~1974年)でした。

2代目(1962~1967年)以降、拡大された小型車規格いっぱいの5ナンバーフルサイズボディに迫力あるフロントグリルなど権威を感じさせるデザインが象徴となっていたクラウンが、紡錘形の「スピンドル・シェイプ」というデザインを採用。

曲面を多用したスピード感ある若々しいデザインとなりましたが、後に保守層から「いつかはクラウン」(1983年、7代目クラウンのキャッチコピー)と言われるクラウンにとって、このような若者向けなアバンギャルドなデザインは不評でした。

そのためライバルの日産 セドリック / グロリアに販売台数で逆転されるなど、クラウン史上最大の失敗作となったのです。

しかし、その丸みを帯びたボディと、ヘッドライトより上でフロントサイドウィンカーの間をつなぐラインがクジラのヒゲを思わせたことから、「クジラ」の愛称で呼ばれ、後にカスタムカーベースとしては人気となりました。

そんな失敗作とも名車とも呼べる、不思議なクラウンが「クジラ」です。

 

ヨンメリ、ラリー、駆ける。日産・ケンメリ / ヨンメリ(C110系スカイラインおよびその4ドア版)

 

Photo by Jeff Richardson

 

歴代スカイラインの中で、最大の販売台数を誇ったのは4代目C110で、CMキャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」から「ケンメリ」と呼ばれることも多いのは皆さんご存知の通りだと思いますが、ごく少数生産に終わったGT-RもケンメリGT-Rと呼ばれます。

しかし、2ドアハードトップのほかに、スカイラインとして重要な役割を担った4ドアセダンが”4ドアのケンメリ”をさらに略して「ヨンメリ」と呼ばれたのを知らない人は多いかもしれません。

ファミリーセダンとして地味なはずの「ヨンメリ」が一部のマニアにとって忘れられないのは、直6と若干異なるショートノーズ車として作り分けられていた直4エンジン搭載車が、Bピラーを持つボディ剛性の高さやフロントの軽さから来る運動性能が評価され、ラリーで活躍したからです。

レースでは先代「ハコスカ」より大きく重くなって期待に応えられなかったC110スカイラインですが、海外では2ドアのダットサン240Kが、国内では「ヨンメリ」がラリーで活躍したのです。

 

DOHC VTECサウンドを響かせた初のシビック、ホンダ・グランド(4代目EFシビック)

 

Photo by Muntasir Hakim

 

復活したホンダ・ツインカム(ZC型1.6リッターDOHC16バルブ)を搭載した3代目「ワンダーシビック」に続き、初のDOHC VTEC(B16A)を搭載した4代目には「グランドシビック」の別名がつけられました。

これは広告コピーそのままですが、4代目シビックは「グランド」あるいは型式から「EF」と呼ばれることが今でも多く、新車当時はVTEC自体が画期的だったこともあり、搭載車のEF9はサイバーCR-X(EF8)ともども「VTEC」と呼ばれていたこともあります。

 

日野・コンテツ/貴婦人(コンテッサ1300)

 

Photo by JOHN LLOYD

 

現在はトヨタグループのトラック / バス部門である日野自動車は、トヨタとの提携(1966年)の翌1967年には乗用車から撤退してしまいます。

そこまで作っていた乗用車はコンテッサ1車種のみで、日野ルノー4CV以来のルノー流RR(リアエンジン・リアドライブ)車が特徴でした。

特に2代目に当たるコンテッサ1300はミケロッティ・デザインの美しい2ドアクーペ /4ドアセダンで、後に「貴婦人と呼ばれた」と伝えられていますが、どうも「コンテッサ=貴婦人」には先例があったようです。

それがツァイス・イコン コンテッサというドイツ製カメラで、クラシックカメラファンから「貴婦人」の愛称で呼ばれる逸品。

「コンテッサ」という単語そのものがイタリア語で「伯爵夫人」を意味していましたが、1964年発売の日野 コンテッサ1300が貴婦人と呼ばれたのには、1950年発売のツァイス・イコン コンテッサの影響もあったのかもしれません。

そうかと思えば、日野自動車はコンテッサを盛んにレースにも出場させており、その現場では「コンテツ」と呼ばれていました。

 

これ以上の5ナンバーFRセダンはあるか?偉大なる「小ベンツ」メルセデス・ベンツ・小ベンツ / 六本木カローラ(W201)

 

Photo by Michiel Dijcks

 

今でいうCクラスのご先祖、バブル時代に折りよく登場した上に排気量は1.9リッター、ボディサイズは5ナンバーサイズと、まるで日本市場のために生まれてきたような輸入セダンがW201型メルセデス・ベンツ 190Eです。

この190Eと、やや大排気量のエンジンを搭載した派生型こそが、メルセデス・ベンツを日本における輸入車トップブランドに押し上げた原動力となっており、世の中バブル景気も後押しし、とにかく日本中どこでも見かけるモデルとなりました。

特に夜の赤坂あたりではサニーのごとく走り回っていたことから「赤坂サニー」などと呼ばれましたが、所詮は儚きバブル時代。

バブル崩壊とともに大量の中古車が安価に出回り、「小ベンツ」の異名とともに、少々格落ちの印象もありました。

ただしそれはあくまで最新輸入車に対しての話で、古き良きメルセデス・ベンツの質実剛健そのものの仕事は国産乗用車が及ぶべくも無かったもの。

後にメルセデス・ベンツ自体もコストダウンによる品質低下に苦む事もあり、「小ベンツ」190Eは今でも最高のメルセデス・ベンツ車と考える人がいるほどの名車なのです。

 

まとめ

 

史上最大の失敗作と呼ばれながら愛される名車、モータースポーツでの意外な活躍からコアなファンの記憶に残る愛称、名は体を表す愛称もあれば、何かを揶揄するような愛称もあり。

小ベンツなどは、その名とは裏腹に「偉大なる小ベンツ」といったところでしょうか。

単に「こう呼ばれていた」というだけでなく、その背景や、その名がなぜ後世まで強い印象で語り継がれたのかまでを考えると、「クルマという文化」がもっともっと面白ろくなるはずです。

あなたもかつての名車の愛称から、その時代にその車を巡り、どのようなシーンがあったのか、想いを馳せてみませんか?

 

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