日本車が台頭する以前、北米など大市場を席巻したブリティッシュ モータースポーツの数々。大英帝国が未だ華やかしき頃の雰囲気を残すスポーツカー達の1台が、今回紹介するオースチン ヒーレー100です。後に日本では『カニ目』の愛称で親しまれる小型のスプライトが登場したため、『ビッグヒーレー』と呼ばれて区別されるスポーツカーで最初のモデルでした。
時速100マイルを突破せよ
第1次世界大戦時はイギリス軍のパイロット。
戦傷により戦後はラリードライバーやエンジニアへ転身したドナルド・ヒーリーが自身の『ドナルド・ヒーリー・モーターカンパニー』を設立したのは1945年の事。
1952年のロンドンモーターショーでオースチンA90『アトランティック』をベースに最初の『ヒーレー100』を出展すると、量産車メーカーのオースチンから生産契約のオファーが舞い込みます。
そしてオースチンのロングブリッジ工場で生産された『オースチン ヒーレー100』が発売されたのは1953年で、他のイギリス製ライトウェイト オープンスポーツ同様に人気を得て、1967年まで生産されるロングセラーモデルとなりました。
また、最後に作られていたのは2.9リッター直6エンジンを搭載する『オースチン ヒーレー3000』でしたが、オースチン ヒーレー100は後に小型スポーツカーのオースチン ヒーレー スプライトが登場したため『ビッグ ヒーレー』として区別される最初のモデルです。
ちなみに『100』の数字の由来は当時まだ珍しかった時速100マイル(約161km/h)を発揮する車という意味で、実際に初期型BN1でも最高時速106マイル(約171km/h)を記録しました。
後のビッグヒーレーと異なり直列4気筒エンジンを搭載
オースチン ヒーレー100初期のBN1は、A90と同じ2,660cc直列4気筒エンジンに3速MTを組み合わせてフロントミッドに搭載。
フロントサスペンションはダブルウィッシュボーン独立懸架で、リアはリーフリジッド、ブレーキは4輪ともドラムブレーキでした。
特に斜め後方から見た時の『色気』ある曲線美や軽量ハイパフォーマンスぶりから北米で『アメリカの恋人』と呼ばれるほどの大ヒット作となり、1955年にはブレーキドラムを大型化。
ミッションもオーバードライブつき4速となったBN2へ発展。
さらにノーマル90馬力から110馬力へチューンされた高性能版『100M』や、132馬力へ引き上げアルミボディ化するなど大幅な軽量化を行い、4輪ディスクブレーキを持つ50台限定の『100S』が販売されています。
そして1956年には改良型のBN4へと発展しますが直列6気筒エンジンを搭載、ホイールベース延長など大掛かりな変更が行われた事から『100-6』と呼ばれ、それまでの直列4気筒エンジン版は『100/4』などと呼ばれて区別されました。
ミッレミリアやル・マン24時間レースでも活躍
生産・販売の始まった1953年には、早くもドナルド・ヒーリー・モーターカンパニーのワークスマシンでル・マン24時間レースへ出場。
エンジン出力を103馬力へ引き上げ、軽量化やレース向けのギアボックス搭載などレーシング モディファイを受けた2台のオースチン ヒーレー100のうち、カーナンバー『34』が総合12位(S3.0クラス2位)、『33』が総合14位(同3位)でゴールする好成績を上げます。
そしてイタリア全土を1,000マイルにわたって走り回る伝説的な公道レース『ミッレミリア』にも1953年からエントリーして1954年には23位、1955年には11位で完走するなど実績を残し、主に耐久レースで活躍する姿が目立ちました。
このようなビッグレースに参戦経歴のある血統書付きの個体は、オークションなどで1000万円以上の高値が付くことも……!
主なスペックと中古車相場
オースチン・ヒーレー100M 1954年式
全長×全幅×全高(mm):3,880×1,540×1,240
ホイールベース(mm):2,290
車両重量(kg):984
エンジン仕様・型式:水冷直列4気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):2,660
最高出力:81kw(110ps)/4,500rpm
最大トルク:194N・m(19.8kgm)/2,000rpm
トランスミッション:4MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
まとめ
『ビッグ ヒーレー』の第1弾、オースチン ヒーレー100はフロントマスクこそ独特のグリル形状でユーモラスにも見えます。
しかし斜め後方から見た時の、盛り上がったリアフェンダーがドア部分の『くびれ』を生むと同時に、リアフェンダー自体もテールエンドへ向かって下っていく曲線が、まるでスラリとした長い足のよう。
まさに『セクシー』としか言いようのない絶妙なデザインで、『アメリカの恋人』と言われた理由もわかる気がします。
このテールを見せつけながら、小高い丘の向こうに走り去るオースチン ヒーレー100は天気はどうあれさぞかし絵になるだろうと思わせる1台で、『100(100/4)』としての販売はわずか3年足らずだったものの、直列6気筒エンジンを積む『100-6』あるいは『3000』として長く作り続けられました。
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