アメリカのレーシングカー制作会社、「シャパラル・カーズ」を知っていますか?時代の最先端技術を取り入れ、レースで大活躍したメーカーです。いったいどのような経歴や技術を持つ会社なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

Photo by Craig Howell

シャパラル・カーズ

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レース界で大活躍をした、シャパラル・カーズとはどんな会社だったのでしょうか?

創業者

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アメリカの石油発掘業を営む家庭で生まれ育った、ジェイムズ・エリス・ホールは、とても裕福な暮らしをしていました。

そして彼はモータースポーツに興味を示し、自らの資産でスポーツカーを購入。レース活動を開始します。自動車のメカニズムも勉強したいの思いから、カリフォルニア工科大学で機械工学を選考し、それがシャパラル・カーズ誕生へと繋がって行くことになります。

概要

ジェイムズ・エリス・ホールは、購入したスポーツカーでサーキット走行を楽しんでいましたが、走りに不満を抱いていました。

そこで、満足のいく車両を開発するために、オリジナルマシンの製作を初めました。

これが、シャパラル・カーズが誕生した経緯です。

シャパラル・カーズの車両

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ここからは、シャパラル・カーズで開発された車両について見ていきましょう。

シャパラル・1

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1961年に、スカラブの元技術者ジェイムズ・エリス・ホールと共に設計を行った、シャパラル・カーズ第一号のレーシングカーが、シャパラル・1です。

搭載されたエンジンは、シボレーのOHV 4600cc V8エンジンで、シャシーはジャングルジムのような構造体を持ったマルチチューブラフレームと呼ばれるものを採用。エンジンをフロントに配置し、後輪を駆動するFR型式でした。

シャパラル・2A

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シャパラル・2Aに搭載するエンジンは、シボレー5300cc。シャシーはセミモノコック構造になったFRPが採用され、補強材にアルミを使用するなど軽量化が施され、エンジンを車体後ろに搭載するMR型式が採用されました。

変速機はセミオートマで、ドライバーのクラッチ操作が不要な2ペダル方式となっています。

シャパラル・2C

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2Aをベースとし、シャシーの素材をFRPより更に軽量なアルミに変更したモデルが2Cです。

車体後部には、油圧で制御された可変式ウィングが備えられ、ブレーキペダルの左側にウィング調整用のペダルが設置され、ドライバーは直線時とコーナリング時でダウンフォースの量を自ら調整することができました。

この2Cは、USRRCというシリーズ戦レースでも活躍し、全9戦中8勝と、その速さを証明しています。

シャパラル・2D

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今までオープンボディだったシャパラルが、1966年開催の国際マニファクチャラーズ選手権のレギュレーションに合わせるために、クローズドボディーに変更されたモデルが2Dです。

当初は2Cの可変ウィングが採用されていましたが、中盤より固定式に変更されています。

2Cの速さを引き継いだ2Dですが、トラブルにより成績は芳しくありませんでした。

しかし、ニュルブルックリンクのレースでは、アメリカ勢として1921年ぶりの優勝を果たしています。

シャパラル・2E/2F/2G

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2Eは、1966年に開催されたCan-Am(カナディアン・アメリカン・チャレンジカップ)に参戦するため作られました。

リアにはステーの長さが2m近くもある、大きなウィングが備えられ、2Eを象徴。ドライバーがペダルで可変的にウィングの傾斜を変えることができました。

そして翌年1967年には、耐久レースとCan-Amに参戦。耐久レース用が2F、Can-Am用が2Gと呼ばれています。

エンジンはシボレーの7000cc V8が搭載され、更にパワーアップされていましたが駆動系が耐えきれず、トラブルが絶えませんでした。

2E~2Gはこのトラブルの連続により、レースでは思ったような成績が残せていません。

シャパラル・2H

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1969年に開催されたCan-Am用に作られたのが、2Hです。

空力にこだわって作られたボディは流線形、全高を極限まで低くし、ドライバーは寝そべるようにシートに座ります。その姿がまるで、鯨や戦車のように見えたことから、「ホエール」「タンク」という呼び名がつきました。

しかし、採用された後輪サスペンションとの相性が悪く、トラブルが続いたために開発陣とドライバーとの間で車両開発の意見が割れ、成績は芳しくありませんでした。

シャパラル・2J

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1970年に開催されたCan-Am用に作られたのが2Jです。

最も奇抜で、インパクト大。強制的にダウンフォースを発生させるために、車両後部にファンをつけ、車体内部の空気をファンで押し出し、路面との空間に負圧を発生させる仕組みが搭載されていました。

しかも、搭載台数は2機。補助エンジンで駆動させる仕様です。

しかし翌年1971年に、FIA(国際自動車連盟)が「空力付加物は全て車体側に組み込まれ、固定されていなければならない」という規約を追加したため、1シーズンで姿を消すことになります。

シャパラル・2K

2J登場後、大きな規約変更により今まで採用してきた大排気量エンジンや空力パーツに規制が入ったことにより、シャパラル・カーズは大きな局面を迎えていました。

そして約8年後の1979年、CART(Championship Auto Racing Teams)シリーズに参戦します。

そこで投入されたマシンが2Kで、ロータスがF1で成功した空力理論を採用した、シャパラルでは初のオープンホイールカーです。

エンジンは3000ccのターボチャージャー付きコスワース製が搭載され、1980年に開催されたインディ500では、圧倒的な速さをみせて優勝しています。

ちなみに、2Kの設計者でもあるジョン・バーナードは、マクラーレンMP4シリーズを開発したことでも有名です。

まとめ

シャパラル・カーズでは、当時どのメーカーも採用しなかったような技術に目を付け、登場する車種全てが、驚くべきモデルとなっていました。

そのフォルムも独特で、シャパラルは白い怪鳥とも呼ばれ、レース界では伝説として語り継がれでいくことでしょう。

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