1973年から始まったWRC(世界ラリー選手権)。日産はWRC以前から力を入れていたサファリラリーを中心に大暴れしたものの、1992年を最後にトップカテゴリーからは撤退してしまいました。今や国際ラリーのトップカテゴリーにはあまり縁の無い日産ですが、往年の栄光を支えたマシンをご紹介します。

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WRC日本車初勝利を飾ったS30フェアレディ240ZとブルーバードU

 

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それまで世界中で開催されていた国際ラリー競技をまとめ、WRC(世界ラリー選手権)が開催されるようになったのは1973年。

その初年度はアルピーヌ・ルノーA110がシリーズを制覇しましたが、各イベントではそこを熟知したり得意としていたメーカーが勝利することもありました。

第4戦サファリラリーで優勝した日産もそんなメーカーの1つで、ダットサン240Z(S30フェアレディ240Z)がWRC以前の1971年に続き優勝します。

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さらにダットサン1800SSS(610ブルーバードU SSS)が2位と4位に入り、この年のオイルショックで一時ラリー活動を休止する日産にとって1つの区切りを1-2フィニッシュで締めました。

 

710バイオレットやチェリーでの参戦

 

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ワークスチームとしては活動を休止していますが、日産車はWRCで走り続けます。

1974年は260Zとダットサン1800SSSと前年と同じような顔ぶれでしたが、1975年以降はダットサン160J(初代710バイオレット)に更新。

1.8リッターDOHCのLZ18を搭載したダットサン160Jは1977年のサファリラリーで2位入賞、1978年にもサファリとアクロポリスで3位入賞と存在感を示しました。

 

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また、FFのチェリーが1976年のアクロポリスに、2代目チェリーF-IIが1978年のスウェディッシュラリーなどに参戦。

そして翌1979年、いよいよ日産ワークスが再始動するのです。

 

日産ラリーチームの黄金期!PA10バイオレットが4年連続サファリで優勝!

 

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1979年からの4年間は、日産ラリーチームにとって最高の時期でした。

SOHC2バルブながらサファリスペシャルのLRヘッドを組み、190馬力にチューンされたL20Bを搭載したダットサン160J(2代目PA10バイオレット)が名手シェーカー・メッタのドライブで、1979~1980年にサファリで2連勝します。

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さらにDOHC4バルブとなったLZ20Bを搭載したバイオレットGTに進化すると、引き続きメッタのドライブで1981~1982年のサファリも制し、4年連続でサファリの王者となったのです。

サファリ以外では圧倒的な速さとまでいかなかったので、シリーズタイトルには届きませんでしたが、それだけにサファリでの執念が際立ちました。

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日産のラリーマシンで華々しいイメージがあるのはフェアレディZや510ブルーバード、シルビア240RSなどですが、もっとも活躍したマシンはと言えば、一見地味なこのバイオレットをおいて他に無いと思います。

 

1982年のアクロポリスを走った、R30スカイラインRS

 

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バイオレットGTが活躍したグループ2 / グループ4マシンほど派手ではありませんでしたが、その黄金期の最後の年、1982年には一風変わったグループAマシンが走っています。

それがアクロポリスに柑本 寿一のドライブで参戦したNA仕様のR30スカイラインRSで、グループ4マシンなどと比べるとノーマル然とした見かけで、実際チューニング内容もバルブスプリングの強化や吸排気系のライトチューン程度。

それでもグループA勢の中では一時トップを走っていました。

WRCへのスカイライン参戦というのはあまり聞かない話で、少なくともR30ではこの1度きりなようです。

 

期待のグループBマシン、240RS(S110シルビア)

 

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バイオレットが活躍を続けている間にも後継車の開発は進み、新たにグループBマシンとして登場したのが、S110シルビアをベースとした240RSです。

1982年にバイオレットと同じLZ20Bを搭載したグループ4マシンとしてデビューしていましたが、本来は2.4リッターのFJ24改を搭載したグループBマシンでした。

ただ、その頃のWRCは既にアウディなど4WDマシンが登場、4WDか後輪駆動でもミッドシップでないと勝つのは難しくなっており、同じFRでもトヨタ セリカ(TA64)より戦闘力が低かった240RSは、その猛々しい姿とは裏腹に勝利を掴むことはできませんでした。

 

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結局、1983年のラリー・ニュージーランドで2位に入ったのを最高位とし、1986年までの参戦期間で優勝できずに終わっています。

 

珍しい3リッターV6マシン、200SX(S12シルビア)

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1985~1986年にかけて死傷事故が多発したグループBは廃止されることになり、1987年からはグループAマシンがトップカテゴリーになりました。

そこで日産が投入したのはS12シルビアの北米版、200SXでした。

北米版にはZ31フェアレディZと同じ3リッターV6のVG30Eを搭載したモデルがあり、その大排気量によるパワーに賭けたのです。

既にWRCでは2リッターターボ全盛になっていたので、このエンジン選択は珍しいものとなり、その戦闘力が注目されました。

 

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他メーカーが軒並み4WDターボで参戦してくる中で2WDの200SXは苦戦しますが、1988年のアイボリーコーストでどうにか1勝を挙げ、2017年現在までにWRCで優勝した最後のFR車となっています。

200SXは結局1987年から1990年まで参戦していました。

 

小さなラリーマシン、マーチの挑戦

 

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1987年にはNRS(ニッサンラリーサービス)からK10マーチターボでサファリに参戦するなど、日産ワークスでは無いながらマーチでの挑戦も見られました。

ライバルはダイハツ シャレードなどでトップカテゴリーでは無いのであまり注目されませんでしたが、1987年こそリタイヤで終わったものの、1988年10位、1989年12位とサファリで完走記録を残しています。

マーチターボのほか、シャレード926ターボ同様、930ccに排気量を落としたマーチスーパーターボもディーラーチームから参戦しており、あまり知られていないながらも、WRC小排気量クラスの戦いも熾烈を極めていました。

 

最後の日産WRCマシンとなるか?パルサーGTi-R

 

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1991年からは、国内ラリーで活躍していたブルーバードSSS-Rのパワートレーンを小型のパルサーに押し込んだような、RNN14パルサーGTi-R(エントリー車名はサニーGTi-R)での参戦を開始しました。

後に三菱がギャランVR-4からランサーエボリューションへ、スバルがレガシィRSからインプレッサWRXへと1ランク小さい車へパワーユニットを移植した小型軽快4WDターボの先駆けとも言えます。

 

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しかしコンパクトな3ドアハッチバックのパルサーではさすがに小さすぎたようで、エンジンルームが狭すぎて冷却不足、タイヤサイズの拡大が困難と戦闘力不足が明らかになり、目立った戦績は1992年のスウェディッシュラリーで3位に入ったのみ。

 

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その年を最後にわずか2年で早々に撤退となり、以後日産がWRCのトップカテゴリーに戻ることはありませんでした。

 

まとめ

国内自動車メーカーの中でも、モータースポーツでの華々しい活躍が目立つ割にラリーでの実績があまり目立たない日産。

サファリラリーのような宣伝効果の高いラリーでの活躍が名高いため、かつては「ラリーの日産」であった時期もありましたが、グループA時代以降のWRCからは早々に手を引いてしまったため、今の日産からその雰囲気を味わうのは難しくなっています。

全日本ラリーを含むローカルラリーや、WRC以前のラリーでの活躍も含めれば、決してラリーと縁が薄いわけではないのですが、「WRCでもこれだけ頑張っていた時代があった!」ということで、記憶に留めて頂ければ嬉しいです。

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