低く構えたスタイル、巨大なフェンダー、ドラゴンの様なアフターファイアー。そのルックスから、瞬く間にサーキットのヒーローとなった「シルエットフォーミュラ」と呼ばれるマシンの中で、ひときわ輝きを放っていたのは、間違いなくこのクルマでしょう。今回は、名レーサー・長谷見昌弘と、久しぶりにワークス復帰を果たした日産が生んだ普及の名作「トミカ・スカイライン」にフォーカスしてみました。

 

©︎NISSAN

 

シルエットフォーミュラって何?

 

©Porsche AG

 

シルエットフォーミュラとは、簡単に言うと「市販車のシルエットを持ったレースカー」のこと。

1976年に「世界メーカー選手権(WCM)」で導入されたグループ5規定のことで、横から光を当てた時に出来る影が市販車と同じでなければいけない、というユニークなルールとなっています。
市販車に近い外観を与えることで、メーカーの参入を促進する狙いがあった様ですが、ポルシェの独壇場となってしまったことで他メーカーが続々と撤退。1980年代に入る頃には完全に衰退の一途を辿っていました。

スーパーカーブームとスーパーシルエット

 

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世界的には終焉に向かっていたグループ5ですが、1970年代の日本といえばスーパーカーブーム真っ盛り。
主催者はド派手なルックスを持ったシルエットマシンが必ず流行ると見込み、1979年にグループ5規程を取り入れた「富士スーパーシルエットシリーズ」をスタートさせます。
シリーズ開始当初は従来のスーパーツーリング(RX-3など)にウイングやエアロを付けただけ、という”即席シルエット”や、日産も旧式のバイオレットをターボ過給した実験的マシンで参戦するなど、ひとまず様子見といったムードが漂っていました。

※写真は本国仕様です。出典:https://www.gtplanet.net/forum/threads/toyota-celica-a40-lb-turbo-group-5-1978.322069/

この状況を変えたのが、トムスがヨーロッパから持ち込んだ本場仕込みのシルエットカー「シュニッツァーセリカターボ」の登場です。
このマシンのデビューで主催者の目論見は当たり、スーパーシルエットは一挙に注目度を上げていきます。
これを日産も黙って見ているはずはなく、暫定マシンでの出走に見切りをつけ、本格グループ5マシンの製作に取り掛かりました。

日産モータースポーツ活動、再び本格始動へ

 

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1970年代に入って以降、自動車メーカー各社はオイルショックの煽りを受けて一斉にレース活動から身を引き、チームとドライバーが主役の富士GCが日本のモータースポーツ産業を支えていました。
それは日産も例外ではなく、スーパーシルエット開始当初はワークスチームはおろか、社内にモータースポーツ担当部署すら存在していませんでした。
そんな日産が重い腰を上げた理由のひとつが、レーサー長谷見昌弘氏(以下敬称略)の積極的な働きかけだったのです。
彼は多くのファンや日産のエンジニア同様、「スカイラインをもう一度サーキットへ」という思いを強く持っていた一人でした。
何より、スーパーシルエットに商業的なチャンスを見いだした彼は、かつて日産ワークスの中心地だった追浜研究所の支援を取り付け、さらには日産の広報部からマシンの開発資金を捻出することに成功したのです。

スカイライン・シルエットはこうして作られた

 

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1981年、日産はノバ・エンジニアリングにマシンの開発を打診。チーフエンジニアを務める森脇基恭氏のもと、わずか半年ほどの期間で完成まで漕ぎ着けます。
FIAのグループ5規程は「市販車ベース」を大前提としており、市販のモノコックをそのまま使うことを義務付けていました。
ただし安全性向上の目的で、内部にロールバーを組み込むことが認められています。
森脇氏らはこの規程を逆手にとり、高剛性の角形鋼管フレームの上にモノコックを”貼り付ける”という手法でマシンを製作。
これにより、事実上プロトタイプマシンの様なスペースフレーム構造で作られていたのです。
こうして生まれたのが、日産側の以降で加わったシルビアとブルーバード、そして長谷見が乗り込むKDR30型スカイラインをベースとした、3台のシルエットフォーミュラカーでした。

長谷見の情熱が生んだトミカ・スカイライン

 

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長谷見のスカイラインは3台の日産・ターボ軍団のうち一番最後に完成、1982年のシーズン2戦目にデビューを飾ります。
マシンには長谷見のパーソナルスポンサーである「トミカ」のロゴがメインで入り、愛称も「トミカ・スカイライン」で定着しました。
特徴的なレッド/ブラックのカラーリングは日産側の意向によるもので、既にスカイライン「RS」グレードの新色として販売される予定があった様です。
文字どおりシルエットだけを残したアグレッシブなデザインは、由良拓也氏がエクステリアを担当。
 巨大なオーバーフェンダー、ちょっとした机くらいの長さがあるチンスポイラー(通称・出っ歯)、そして巨大なリアウイングを備えた、誰も見たことのないインパクトを備えるものでした。

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エンジンは2L SOHCのL20B型をDOHC化し、ギャレット製T05型ビッグタービンを搭載した「LZ20BT型」を採用。
そのパワーは570馬力にまで及ぶものの、実用回転域は6000〜8000回転といういわゆる”ドッカンターボ”で、ターボラグが酷く乗り辛いとドライバーからの評判は良く無かった様です。
しかし、それがゆえにドライビングは豪快なものとなり、特にサイド出しのマフラーからほとばしるアフターファイアは迫力満点、観客を大いに喜ばせました。

トミカ・スカイラインは速かったのか?

 

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スーパーシルエットの特徴的なエクステリアは、もちろん見掛け倒しではなく空力的効果を狙ったものでした。
とはいえ時代は未だ1980年代前半、車体下でダウンフォースを生み出すディフューザーやフラットな底面処理などの”徹底的”な空力技術は、少なくとも”ハコ”の世界にはほぼ持ち込まれていませんでした。
それこそが、「車体上部でなるべくダウンフォースを得る」、このトゲトゲしいフォルムの理由と言えるでしょう。
しかし弊害もあり、フロントカウルはフェンダーごと外れるワンピース構造となっていますが、メカニック2人でも持てないほど重量があり、かなりフロントヘビーなマシンになってしまっていた様です。
それでもハセミ・モータースポーツで地道な開発が進められ、戦闘力は毎戦ごとに向上。
例を挙げると、筑波サーキットでの最速ラップは58秒台、というパフォーマンスを誇っていました。
その後トミカ・スカイラインは、1982年から1984年までの全19レース中9勝という圧倒的なリザルトを残し、名実ともにシルエットフォーミュラのシンボルとなりました。

幻のスカイライン・ターボC

 

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日産が作ったシルエット仕様のスカイラインは、実はもう1台存在していました。
 スーパーシルエット仕様がスプリント用だったのに対し、世界選手権参戦を視野に入れた耐久レース仕様が存在していたのです。
追浜ワークスと東京R&D、ルマン商会の共同プロジェクトで作られたそのマシンは、 1982年のWECジャパン参戦を目指すも結局参戦は叶わず、南アフリカ・キャラミでの9時間耐久レースに長谷見らのドライビングで出場。
興味深いのはその後で、1983年シーズンからグループCによるレースが世界的に盛り上がりを見せる中で、なんとこのマシンはグループ5仕様からグループC仕様に大掛かりな改造が施されたのです。
「スカイライン・ターボC」と名付けられたこのマシンは、グループC規程に合わせてルーフが短く切り詰められ、更にワイド&ローなフォルムに進化。
事実上モノコックを持たないパイプフレーム構造だからこそ施せた、大改造といえるでしょう。

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1983年に発足した全日本耐久選手権にエントリーしたスカイライン・ターボCは、最強のポルシェ956を抑え一時トップを走るなど瞬発的な速さを見せたものの、結局1度も完走を果たすことなく第一線から消えてしまいます。
その後1984年、日産は社内のモータースポーツ部門を再編し「ニスモ」を発足。
グループCでの活動を皮切りに、本格的なレース活動を再開していくのです。
こういったメーカーを上げたシルエットフォーミュラ開発の盛り上がりがなければ、今に続くニスモは生まれていなかったかもしれません。

まとめ

 

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かつてポルシェやマツダロータリー軍団、トヨタ2000GTなどと熱いバトルを繰り広げたスカイライン。
その復活した姿は過激なほどに逞しく、長谷見の闘志溢れるドライビングも相まって、観客をさらに魅了していきました。
スカイラインがいて、ライバルがいる…その系譜を持つクルマはどれも、不思議なことにサーキットでは「主役」のオーラを纏うのです。
この後、復活したGT-Rで新たな不敗神話を築いた日産ですが、その登場前夜に現れたこのモンスターマシンもまた、忘れられない存在といえるでしょう。
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