トヨタなど主要国産車メーカーとは異なり、膨大な数の完成車をテキパキと組み立てるわけではないものの、時には完成車メーカーとして個性的なオリジナルカーを作り、時にはコーチビルダーとして魅力的なカスタムカーを製作してきた富山県にある光岡自動車。聞くも涙、語るも涙の物語の末に、ここまで生き残ってきた実力は伊達ではありません。

 

2018年2月で創業50周年を迎えた光岡自動車 / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

中古車ディーラーとしての成功から、ゼロハンカーでその名を轟かせる

 

光岡自動車創業以来の基幹事業、中古車販売店『BUBU』 / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

『日本の自動車メーカー』と一口に言っても、トヨタや日産、ホンダのようにグローバルな舞台で自動車界を牽引するメーカーもあれば、『広島代表』のマツダなど地方の中小メーカーでありながら世界で抜群の存在感を発揮するメーカーもあります。

今や個性的なオリジナルカーから改造パイクカーまで世界で高い評価を得るに至った日本自動車界の超異端、光岡自動車などはさしずめ『富山代表の日本車メーカー』と言えるかもしれません。

その創業は1968年2月に富山の国産車ディーラーを退職し、独立した創業者 光岡 進が始めた典型的な個人経営の零細整備工場でしたが、当時まだ珍しかった青空展示方式の中古車販売を東京で見て、富山でも同様の店舗を出店したところ、これが大当たり!

やがて中古車チェーン店『BUBU(ブブ)』を全国に展開し、中古車販売のみならず、ホンダやヒュンダイ、FCA(フィアット・クライスラー)などの新車ディーラーにも進出します。

 

光岡 BUBU501 / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

そんな光岡 進が中古車を仕入れるため頻繁に訪れていた大阪の中古車オークション会場で、イタリア製の50ccマイクロカーに出会ったのが光岡自動車にとっての転機でした。

早速2台購入して、テスト走行。

すぐに壊れたので国産エンジンに載せ替えるなどイジっているうちに、「このくらいウチでも作れるんじゃないか?」と思い立ちます。

しかし作ったところで売っても大丈夫なのか、相談すべく霞ヶ関の官庁詣でを行うと、運輸省(現・国土交通省)では問題なかったものの、通産省(現・経済産業省)では事故が起こった場合の製造者責任の観点から、「ヘタすりゃ会社が潰れるよ?」とアドバイス。

その後、当時の安田火災保険会社(現・損害保険ジャパン)が『生産物保険』を受けてくれたので見通しが立ち、1982年2月に『ゼロハンカー BUBUシャトル50』を発売。

1人乗り用超小型自動車、『ミニカー』規格へ参入しました。

そんなシャトル50は車椅子のまま乗り込む4輪仕様でしたが、一般向け3輪仕様のBUBU501などBUBU50シリーズが発売されるや月販100~200台のヒット作となり、『原付免許で乗れるミニカーブーム』を牽引して、一躍メジャーな存在となります。

 

ミニカーを続けるなら社長をやめろ!

 

『起死回生の高級ミニカー』光岡BUBU505-C 出典:https://www.mitsuoka-motor.com/global/lineup/history/50series/

 

しかし、基本的には原付スクーターとほとんど変わらないメカニズムを簡素な樹脂製ボディに組み込んだだけのミニカーは、軽自動車以上の車と同じ道路を走るには小さすぎる上に性能不足。

原付免許しか持たないユーザーの貧弱な交通マナーもあって、社会問題となります。

結局1984年8月の道交法改正でミニカーも普通自動車免許が必要となり、ブームはパッタリと終了。

ミニカーの月販も10~20台へ落ち込んで赤字部門となってしまい、クラシックカー風デザインの高級ミニカー『BUBU505-C』など新型車をリリースするも、焼け石に水。

現在も国土交通省が細々と進めている超小型モビリティでもそうですが、普通免許でしか運転できないなら安くて使い勝手のいい軽自動車に乗った方がいいわけで、不便で走れるところも少ないミニカーは事業として成り立たなくなります。

しまいに副社長(夫人)から「ミニカーやめますか?社長を辞めますか?」と言われ、社内の誰にもミニカー事業を支持されなくなった光岡 進は、泣く泣くミニカー工場を閉鎖せざるを得ませんでした。

 

創業者・光岡 進の孤軍奮闘!その時、奇跡は起こった

 

光岡 BUBUクラシックSSK / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

ミニカー撤退で失意の日々を送っていた光岡 進は、夫人の勧めでアメリカ旅行へ出かけると、そこで偶然出会ったのがフォルクスワーゲン タイプ1(ビートル)にFRPボディをかぶせたポルシェ356スピードスターの『レプリカ』でした。

たかがレプリカ、どうせニセモノと思うなかれ、海外では名車のボディに実用的で維持管理の楽なメカニズムを搭載したレプリカの価値は高く、ヘタをすれば素人では手に負えない本物より高価なほど。

こりゃ日本でも広めればビジネスになるぞ!と早速ビートルのメルセデス ベンツSSK改造レプリカキットを買い込み帰国。

海外製キットの常でアレが足りない、寸法が合わないと苦戦しながら組み立てると、今度は慣れない改造申請で8ヶ月も苦労して、ようやくナンバーを取得しました。

それもこれも光岡 進の「自動車を作って売りたい!」という情熱と、社長が会社を放ったらかしで本業と関係ない仕事に熱中していても、夫人(副社長)以下社員が何とか会社を回していたから。

もちろん「よし!今度はウチでレプリカ車事業に進出するぞ!」と言ったところで社員が誰もついてこないので、光岡 進のわずかな予算とほとんど独力でビートルベースのSSKレプリカ『BUBUクラシックSSK』を開発。

東京の経団連会館にある記者クラブで自ら発表します。

しかし記者の反応は『富山から出てきた町工場のオッサンが何か言ってるぞ?』程度の冷ややかなものでしたが、現物があるとわかるや雰囲気は一変。

乗ってきていたBUBUクラシックSSKの、即席試乗会が始まります。

するとそこに偶然通りかかったのがNHK報道部門の取材クルーという超幸運!夕方のニュースで紹介されると横浜の販売事務所の電話が鳴り止まなくなり、何と4日間で200台ものオーダーが入りました。

『ただビートルにSSKの形をしたボディをかぶせただけの、250万円もするレプリカ』、と冷たくあしらわれても不思議ではなかったBUBUクラシックSSKは、予想外の幸運でヒット作となり、光岡自動車のその後の運命を決定づけたのです。

 

強度計算?よろしい、ビルトインラダーフレームだ!自動車メーカーへの転換点

 

光岡 ビュート  /  Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

その後もレプリカやオリジナルのクラシックカー風パイクカーなど改造車を続々と送り出した光岡自動車は、全てが成功ではなかったものの、日産 マーチをベースとした『ビュート』など続くヒット作にも恵まれます。

しかし、BUBUクラシックSSKに続く転機となったのは、ビュートより前の1990年5月に発表した『ラ・セード』。

 

光岡 ラ・セード  / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

日産S13シルビアQ’sをベースに、モノコックボディなのにバルクヘッドから前をブッタ切り、ホイールベースを900mmも延長。

強度計算用のコンピューターなどないので、ラダーフレームをモノコックに溶接するビルトインラダーフレーム方式で解決するなどかなり無理矢理でしたが、苦労して作ってみると「ここまでやるならフレームから自分たちで作れるんじゃない?つまり自動車を改造じゃなくて生産できるんじゃ?」と思い始めたようです。

 

光岡 ドゥーラ / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

1991年にはフォード マスタング(1979年型)をベースに、ホイールベースを含む寸法を拡大。

オリジナルボディを載せた『ドゥーラ』を限定500台で発売(『ラ・セード』は1996年に限定500台で発売)し、いよいよ光岡自動車は次のステップへ進みます。

 

ニアセブン『ゼロワン』誕生、10番目の国産車メーカーへ

 

光岡 ゼロワン / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

さて、ラ・セードやドゥーラの経験を元に、光岡自動車が完成車メーカーとなるべく、かつてミニカー販売の前に訪れた霞ヶ関の官庁街へ。

情熱の創業者 光岡 進が久々の突撃を行ったのは、1991年夏の事でした。

運輸省審査課で「そんな自動車メーカーじゃあるまいし」と門前払いをくらいかけるも、「その自動車メーカーになりたいんです!」と詰め寄る熱い創業者。

ひるんだ担当官は自工会(日本自動車連合会)への加盟を勧め、要するにタライ回しにされたわけですが、それならと自工会事務局に突撃した光岡 進は、「ウチに入りたきゃ自費で社員を10名前後出向させなきゃ」と言われます。

地方レベルでも大メーカーなら無理な話ではありませんが、レッキとした富山の中小企業である光岡自動車にはとても無理な話で、返す刀で運輸省へ再突撃。

「自工会に入らなきゃ自動車メーカーになれないなんて、法律のどこへ書いてあるんだ!」とキレまくりました。

そして結局見切りスタートで、コードネーム『MS01』の開発をスタート。

1992年10月にまず年間99台の販売が許される組立車として車検を通し、1994年1月に発売。

1996年4月にはついに運輸省から『量産車』としての型式認定を取得し、晴れて日本で10番目の自動車メーカーの誕生となりました。

 

光岡 ゼロワン タイプF / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

ゼロワン自体はロータス7(ケータハム スーパーセブン)と酷似した『ニア・セブン』と呼ばれるジャンルのスポーツカーで、かつてケータハムとロータス7の製造・販売権争いをした南アフリカのニアセブン『バーキン7』を参考にしています。

オリジナルのパイプフレーム内へ初代マツダ ロードスターのメカニズムを詰め込んだため、オリジナルより少々大きいものの、ロードスターの快適性や最新メカニズムを持つニア・セブンという事で、後の鈴商スパッセなどと似たような生い立ちです。

その後1996年11月には、後のオロチを思わせるオリジナルの有機的デザインを採用した『ゼロワン タイプF』も追加。

ゼロワンは2007年7月まで販売されました。

なお、2019年1月現在でも光岡自動車は日本自動車工業会(JAMA)へ加盟しておらず、同会の『日本の自動車メーカー等』に光岡自動車の名はありません。

 

衝撃のオリジナルスーパーカー『オロチ』

 

光岡 オロチ / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

晴れて『自動車メーカー』としての実績を残した光岡自動車は、2001年10月に東京モーターショーへ『自動車メーカー 光岡自動車』として堂々の初出展を果たします。

そこへ流麗というよりひたすらウネウネした有機的デザインのスーパーカーを出展。

それが『オロチ(大蛇)』でした。

 

世界のスーパーカーと並んでも存在感の高い光岡 オロチ / Photo by toivo

 

これ以上、名を体で表した車はないだろうというくらい独特なスタイルのオロチでしたが、ショー出展時点ではまだ初代ホンダ NSXを裸にしてパイプフレームとオリジナルボディを架装した程度のデザインスタディでした。

光岡自動車としてはこのままNSXのエンジンを採用したかったようですが、排ガス規制をクリアする見込みがないからと断られ、オリジナルのパイプフレームとボディを持つ市販版オロチのリアミッドシップへ搭載されたのは、トヨタ ハリアー用3.3リッターV6エンジン。

光岡自動車はオロチをあくまで『ファッションカー』と位置づけており、背伸びしてスーパーカー的な走行性能を持たせる気はサラサラなかったので、全く問題はありません。

とにかくその存在感で『ミツオカ』の名を世界に轟かせたオロチは、2006年10月に発売。

人気アニメとのコラボレーションモデル『エヴァンゲリオンオロチ』をセブンイレブンから限定1台で発売するなどの話題を振りまきつつ、2014年12月まで販売されました。

 

まとめ

 

光岡 ビュートSAKURA  / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

ゼロワンやオロチなどオリジナル量産車が話題になった光岡自動車ですが、『本業』というべきはやはり既存車ベースのパイクカーで、マーチがベースの『ビュート』、スズキやダイハツの軽自動車をベースとした『レイ』、日産のセダンをベースとした『ガリュー』などを作り続けています。

 

光岡 ロックスター  / Copyright 2016 All right reserved. Mitsuoka Motor Co., Ltd.

 

そして2018年11月には創業50周年記念モデルとして、マツダNDロードスターをベースに初代シボレー コルベット風ボディを与えた、光岡自動車らしさ全開のスポーツパイクカー『ロックスター』を発売。

無数の下請け工場で作られた部品を毎日大量に組み立てる大メーカーとは違い、自社で部品を作るところから始めるため、全車合わせて1日1台しか作れないオーダーメイド体制は、今も変わりません。

ただのレプリカやファッションと侮ることなかれ。

かつて奇跡を起こすほどの情熱で、不可能を可能にしてきた光岡自動車の職人魂は健在です。

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