冠婚葬祭対応を意識した目立たぬボディカラー、いかなる悪天候にも耐えるクローズドボディがもっとも好まれる日本において、ただ走っているだけでも目立つ上にオープンにすればもっと目立つ。女の子でも乗せた日には周囲に不穏な空気が漂いそうなのがオープンカーで、正直それほど流行る車ではありません。しかし世界的に見ればどこ吹く風よという事で、今回は『意外なオープンモデル』、それもどこでも紹介していそうな『ありきたりなマイナーオープンカー』ではツマラナイので、そういう車は一切抜きで何台かご紹介します!
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普段厳しそうなじいちゃんも微笑まずにいられない!癒し系オープンカー、ビアンキーナ・カブリオレ
乗ってるオジさんが普段はコワモテそうなのに、この車に乗っているともう可愛くてたまらず、ついつい頬が緩んでしまうという、絶妙なミスマッチ感がたまらないこの車の名前は『アウトビアンキ ビアンキーナ・カブリオレ』。
アウトビアンキは、今では完全にフィアットへ吸収、ブランドも消滅してしまいましたが、以前はフィアットグループの中で新たなメカニズムやコンセプトがあると、実験的に採用するブランドでした。
ビアンキーナはヌォーバ500こと2代目フィアット500(チンクェチェント)をベースに、日本で言えば初代マツダ キャロルっぽいボディを載せた、チンクとはまた違った意味でチンマリしてオシャレな車です(もちろん初代キャロルよりはるかに早く作られました)。
1957年に巻き上げ式オープントップを持つビアンキーナ トラスフォルマビレから始まって、様々なバージョンが1977年まで作られ、画像のカブリオレは1960年から1969年まで生産されていました。
あまりにもさりげなさすぎて光岡車と気づかない、ビュート・ロードスター
初代の光岡 ビュートのベースになった日産K11マーチには、末期にカブリオレがありましたが、それをベースにしたビュート カブリオレではどうも通常のビュートと同じようなリアデザインにできなかったようです。
そのためビュート カブリオレはセミノッチバック的な『マーチ カブリオレからイマイチカスタムしきれていないデザイン』だったのですが、2ドアセダン版同様に独立トランクを持つリアをくっつけたのがビュート ロードスター。
なんと数台しか作られなかった超レア車だそうで、こうして海外で向こうのナンバーをつけていると、キャプションで指摘されない限り普通に英国車だと思ってしまいそうです。
「シレっとブリテンのフリしてるけどサンダーランド工場で作ったわけでもないし、ニホンのタカダコーギョーで改造したのを、ミツオカがまた改造したんだぜ?」
なんて、向こうでも言われてるのでしょうか。
大人の事情でカナダ限定車名!ポンティアック ファイアフライ・コンヴァーチブル
なんだ、スズキ カルタス コンヴァーチブルじゃないか!と出オチをカマすアナタはスズキマニア。
しかしそこからがややこしい話で、かつてGMグループに属していたスズキは北米のGMブランドへスイフト(カルタスの輸出名)をOEM供給をしており、『シボレー スプリント』の名で販売していました。
それが、新たに小型低価格車ブランド『ジオ』が立ち上がったので、『ジオ メトロ』と改名してジオのディーラーで販売しますが、同じ北米でも『ジオ』ブランドの展開が遅れたカナダでは、1989年に『ポンティアック ファイアフライ』として発売。
つまりGMの都合でブランドや車名が二転三転していたど真ん中の時期に、カナダ限定で販売されたカルタス コンヴァーチブルが『ポンティアック ファイアフライ・コンヴァーチブル』でした。
日本でもハッチバック車ベースの安価なコンパクト オープンカーは1980年代から1990年代にかけ存在しましたが、カナダ限定車名となると「そんなのあったのか…」という存在で、あまりゴタゴタされると後から説明がメンドクサイものです。
東欧だけでなくイギリスでも案外メジャーな、シュコダ136ラピッドコンバーチブル
今から四半世紀前まで東欧のチェコとスロバキアは一緒の国、その名もチェコスロバキアだったのですが、その時代にチェコ側の自動車メーカー『シュコダ』で作られていた小型大衆車がシュコダ130シリーズです。
何となくスウェーデンのサーブ96末期型っぽい見かけをしていますが、実はリアエンジンのRRレイアウト車で、FF車のエンジンが収まっていそうなフロントフードを開ければトランクだったりします。
しかし恐ろしく古い設計の車のデザインを直しエンジンを載せ換えて、いつまでも作っていたという面ではシュコダ130シリーズも一緒で、1960年代のシュコダ1000MBから基本メカニズムはたいして変わっていません。
しかし東欧の中でも工業力が高かったチェコの車なので悪評が立ったわけでもなく、ラリーで活躍してグループBラリーカーすらあったようです。
さらに1980年代ともなるとRR車などほとんどなくなっていたので、エンジンは平凡な1.3リッター直4とはいえ『ポルシェ911みたいな大衆車』としてイギリスではそこそこ人気だったらしく、日本人としては『農道のポルシェ』を思い出します。
また、画像のシュコダ136ラピッドコンバーチブルは1988年にイギリスで発売され、136ラピッドクーペともども1990年頃まで販売されたそうですが、21世紀に入ると急速に姿を消していき、この画像を2015年に撮影した人物も「いいものを見た!」と喜んでいました。
ちなみにコンヴァーチブルと言ってもフルオープンになるわけではなく、天井とリアウィンドウのみ開放されるオープントップです。
「ミーは117クーペじゃないザンスよ?」プジョー504カブリオレ
この角度から見ると、ヘッドライトが規格型角目4灯に変更された1977年12月以降のいすゞ117クーペ(3型)っぽくないでしょうか?(笑)
「何となく思い出しながら作ったような」と言ってはデザインしたピニンファリーナに失礼というものですが、こちらのクルマはプジョー504カブリオレです。
そもそも117クーペはジウジアーロ御大の作なので、プジョー504の開発当時にカロッツェリア ギアにいたジウジアーロが関係あるわけもありません。
それはともかく、プジョーというメーカーは同じナンバリングだとしても、セダンやワゴンのような実用車と、クーペなど美しさが求められる車をためらいなく別デザインにするメーカーなので、これも504と知ってビックリした方もいるかもしれませんね。
大きな吊り目の角型2灯ヘッドライトと、どちらかと言えばペキペキと直線的なセダン/ワゴン/ピックアップに対し、横長の角目4灯ヘッドライトに角が立たない流麗でなだらかなボディラインを持つクーペ/カブリオレでは、本当に全く異なるデザイン。
クーペなど全体像を見ると117クーペというよりマツダ ルーチェ ロータリークーペに似ていますが、こちらもジウジアーロ デザインなのでやはり関係なく、単に当時のイタリアンデザインの流行りだったようです。
ちなみにプジョー504カブリオレがフロントグリルで『ライオン』を踊らせているのはプジョー車の常ですが、いすゞ117クーペも同じような場所で『唐獅子』が鎮座しているので、余計に見た目が似ているような、そうでもないようなと思える原因になっています。
もし逆に117クーペ末期型へオープンモデル(117カブリオレ?)が存在したら、やはりプジョー504カブリオレと似ていたのかもしれない……など、似ている車を見ていると妄想の種は尽きません。
まとめ
このような記事ですと、大抵はマツダFC3C RX-7カブリオレやセリカ、シルビアなどのスポーツカーのコンバーチブルが紹介されるものです。
中にはタイトルだけで車名まで予想していた人もいたかもしれませんが、実際紹介された車を見たら、「なんだこりゃ?」と驚き呆れる人が多かったかもしれません。
中には「知っている車が出て嬉しい」という人もいるかもしれませんが、そうでない人でも、世界は広く、日本という枠を外せば驚きに満ちた、もしかしてとても魅力的な世界が広がっているのでは?!と、世界中のいろいろな車へ関心を持っていただければ幸いです。
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