鈴鹿サーキットで行われた2016年のスーパーGT第6戦鈴鹿。最後まで大混戦となったGT300クラスは#61 SUBARU BRZ R&D SPORTが優勝。2014年の第4戦富士以来となる勝利を飾った。最後まで順位が目まぐるしく変わる中、勝敗を決めたポイントはどこだったのか?そして、中盤戦は3戦連続表彰台と絶好調のBRZ。その原動力はどこにあったのか?改めて振り返っていこうと思う。

©MOBILITYLAND

©MOBILITYLAND

序盤のアクシデントで訪れた“ラッキー”

予選日は晴天に恵まれた鈴鹿サーキットだが、決勝日は朝から雨。サポートレースのPCCJ決勝では雨により途中セーフティカーが導入されるほど強い雨が降った。

しかし、いざGTのスタート時刻を迎えると雨が上がり路面状況も回復傾向に。グリッド上では各チームともどのタイヤを装着するかで悩んでいたが、#31 TOYOTA PRIUS apr GTのみウエットタイヤを選択。61号車をはじめ、他の全車はスリックタイヤでスタートした。

©MOBILITYLAND

©MOBILITYLAND

結果的に、天気は回復後方に向かい、31号車はタイヤ交換のため早々にピットインすることに。

一方、61号車は山内がスタートドライバーを務め、1周目から2番手に浮上。いきなり#18UP GARAGE BANDOH 86に食らいついていった。トップに立つチャンスはなかったが、序盤から力強い走りをみせ1回目のピットイン。井口卓人に交替した。

メカニックも迅速な作業をみせ、問題なくピットアウトしたが、その後に“問題”が起きた。

コースインした直後のS字で真後ろを走っていた#0 GAINER TANAX GT-Rに押し出されスピン。タイヤバリアまでいってしまい、軽くマシンをヒットさせてしまった。

「これで今年の1000kmは終わってしまったな、と思いました」という井口。しかし、ラッキーだったのはマシンにダメージがなかったということ。すぐに再スタートし戦列に復帰。タイムロスにはなったが、翌周から普通にペースを戻すことができた。

もし、あそこでリアウイングなどのパーツが壊れていたら修復のため最後ピットインが必要で、まさに“今年の1000km(の勝負権)は終わり”だったかもしれなかった。

 

レース中盤のセーフティカーが大きなきっかけに

Photo by Tomohiro Yoshita

Photo by Tomohiro Yoshita

それ以降は、しぶとく追い上げるという展開。今回はJAF-GTやマザーシャシー勢だけでなくFIA-GT3勢も躍進。実際に約6時間に及んだレースでもラップリーダーは9台になるほど混戦の上位争いとなり、そう簡単には順位を取り戻せる状況になかった。

そんな中、61号車に大きなチャンスが舞い込む。3回目のピットストップを終えた直後に上位争いをしていた1代の#2シンティアム・アップル・ロータスがクラッシュ。これでセーフティカーが導入された。

この時点で61号車はピットストップを行った直後ということで9番手。前方とは大きな差がついていたのだが、このSCによって前後の間隔は全てゼロに戻された。

さらにトップ争いをしていた18号車や#4グッドスマイル初音ミクAMGはピットストップ前だったため、彼らにとっては逆に損となってしまった。

これでレース後半はラップリーダーに躍り出る時間も増え、一気に有利な展開になっていった。

後半戦も突然雨が降り出したり、上位争いをしていたマシンにトラブルが出るなど、最後の最後まで気が抜けない展開となったが、61号車は最後までノーミス。ノートラブルで走りきり、見事優勝。2年ぶりにスバル勢が表彰台の頂点に返り咲いた。

井口にとっては、2014年富士以来、2年ぶりの勝利。話を聞いた時の第一声は「……長かったです」だった。

「山内選手と組んでからは初優勝だったので…。富士重工業さんの『若いドライバーラインナップで行こう』という判断は裏切りたくなかったです。そう思って1年間戦ったんですが、なかなか優勝できなくて……本当にここまで長かったですね」と感無量の様子。

また山内にとっては嬉しいGT300初優勝。「1戦目、2戦目が不甲斐ないので…、ここまで巻き返せてこれたのも、井口選手をはじめチームのみんなのおかげだと思っています。本当に感謝しています」と笑みをみせていた。

 

61号車が強さをみせた「最大のきっかけ」とは?

Photo by Tomohiro Yoshita

Photo by Tomohiro Yoshita

スバルBRZがGT300に参戦を始めて5年目。使用するマシンは同じでも、様々な変化を遂げてきた。

参戦当初はヨコハマタイヤを装着していたが、その後ミシュランタイヤに変更。さらに昨年からはダンロップタイヤにスイッチしていた。

さらにドライバー陣も、これまでR&D SPORTでは鉄板コンビだった山野哲也と佐々木孝太のコンビから2014年には山野が抜けて井口が加入。そして昨年から佐々木に変わって山内が入った。

山野や佐々木の経験もチームにとっては欠かせなかったのだが、それよりも将来有望な若手ドライバーにシートを託す決断をし、早くも2シーズン目の中盤に差し掛かっていた。

昨年は得意としている鈴鹿1000kmで3位表彰台を獲得するが、それ以外は上位に食い込めず。今年も序盤2戦はポイントを獲得できないなど、苦しい展開が続いていた。

しかし、約2ヶ月半のインターバルを経てBRZは一変。SUGO、富士で連続して表彰台を獲得する速さをみせ、今回の鈴鹿でも終始力強い走りを披露。

それぞれタイプの異なるサーキットな上に、ウェイトハンデも積み重なっており、特に今回は決して好条件ではなかった。

©MOBILITYLAND

©MOBILITYLAND

一体、何がきっかけで61号車はこんなに生まれ変わったのか?

これについて井口は「オートポリス大会がなくなったことは残念でしたが、それでSUGO大会まで期間が空いてしまった分、テストをする機会がたくさんあり、そこで61号車の戦闘力を上げることができました。ロングランの確認だったり、セッティングの煮詰めだったり、色々なことができて良かったです」とのコメント。

どうしてもシーズン中はレースに向けた準備が多く、大掛かりなテスト走行というのができないが、今年はタイ・ブリーラムでの海外ラウンドが10月になったことと、平成28年熊本地震の影響で第3戦オートポリス大会が中止になったことで、異例ともいえる2ヶ月半ものインターバルができた。

ここで、徹底的にマシンなどを見直すことができた。もちろん、車体だけでなくタイヤテストの機会も増え、より61号車に合ったタイヤも選び込みも、より細かいところまで行うことができたのだろう。

それが、この快進撃につながったのだ。

また山内は「みんなの頑張りだと思います。本当にクルマ作りも、このコースで速く走るためにチームのみんなも頑張ってくれましたし、ドライバー自身もトレーニングを一生懸命頑張ったりとか、みんなの期待に応えるために一つ一つの事を頑張った。だからこそ、こうやって結果が出たと思います。本当にみんなの努力の結果ですね」とコメント。

当たり前のことだが、何か一つのピースが欠けてしまえば、その時点で勝利が遠ざかってしまう。今の61号車のチームには実力、マシンの戦闘力、チームワーク。そして運も含めた全てが良い方向に作用しているのだろう。

まとめ

Photo by Tomohiro Yoshita

Photo by Tomohiro Yoshita

これで2位に9ポイント差をつけランキングトップに浮上。ボーナスポイントも入る鈴鹿1000kmを制したことで、一気にチャンピオン獲得への可能性もみえてきた。

しかし、次回のタイ・ブリーラムでもレースは94kgと非常に重たいハンデを背負うことになり、ライバルの反撃も考えられる。

それでも、ここ数戦の彼らの表情を見ていると、確実に今までになかった流れをつかんでいる様子。それがどう影響していくかは分からないが、確実にチャンピオン争いの一角として最終ラウンドのもてぎに帰ってくることは間違いない。

参戦5年目、この千載一遇のチャンスをしっかりと形にすることができるか。残り3戦のチャンピオン争いから目が離せない。