日本の近代モータースポーツを語る上で欠かす事の出来ないトヨタ スープラ。20年以上の長きにわたってスカイラインやNSXと激しい戦いを繰り広げ、レースで勝つためにその姿や性能を変幻自在に進化させていきました。80型スープラだけをとってみても、レースマシンが搭載したエンジン型式は3種類を数えます。いかにしてスープラは数々の輝かしい戦績を収めることが出来たのだろうか?今回の記事では「スープラ」の名前で販売された70型・80型を中心に、その究極とも言える歴代レーシングマシンをご紹介します!
CONTENTS
トヨタ スープラとはどんな車?
日本国内においてスープラの車名で発売されたのは1986年。
発売当時のキャッチコピーが「TOYOTA 3000GT」だったことからも分かるように、スポーツモデルのフラッグシップ的存在として誕生しました。
70型・80型共にソアラのシャシーを改良したものが採用され、型式の違いこそあるがエンジンは直列6気筒のみを搭載。
シリーズ通して細かな改良を度々加えることで性能を向上させていき、70型ではターボAと呼ばれるグループAホモロゲーションモデルまで登場しています。
1987年のグループA参戦を皮切りとして国内モータースポーツでは欠かせない存在へと成長していきました。
しかし年々厳しくなる排ガス規制に対応する事が難しくなり、惜しまれつつ2002年に生産終了。
レースマシンはその後2007年まで活躍しています。
1987~1990年 Supra Gr.A (写真 Biyo Tom’s Supra)
発売された翌年の1987年からグループA規定の全日本ツーリングカー選手権に参戦。
ライバルと比べて重めの車重であったため、後付け感満点の派手なブレーキ冷却用ダクトがフロントバンパー下部に装備されていました。
3リッター直列6気筒ターボエンジンを搭載したスープラはA・ジョーンズ/E・エルグ組によるドライブでいきなりのデビューウィンを飾ります。
しかし、その後レギュレーション上のターボ係数が変更になったことで車両重量の増加を強いられる事となり、フォード シエラや日産スカイラインの進化を追従する事が困難になっていきました。
ちなみに70型スープラはラリー仕様も存在していて、なんとWRCにも出場していたってご存知でしたか?
1987~1989年 Supra Gr.A Rally (写真 Toyota Team Europe)
グループB時代が終焉をむかえ、1987年からグループA規定での開催となったWRC。
トヨタは新型ST165セリカ投入までの代役として、発売されたばかりの70型スープラをWRCにスポット参戦させています。
しかも「スープラと言えばターボ」というイメージの中、ホモロゲーション取得の関係でラリー仕様のスープラは3リッター直列6気筒自然吸気エンジンを搭載。
それでも260馬力程度にまでチューニングされていたようで、なんとサファリラリーではトープ/メランデル組が3位表彰台を獲得しています。
1994年 Supra GT 2JZ-GTE搭載 (写真 Greco Racing Supra)
80型スープラのレース車両と言えば3S-GTE(2リッター直列4気筒ターボ)に換装しているイメージがありますが、1994年のJGTCにわずか2戦のみ出場した2JZ搭載のスープラGT。
ブリッツ スープラ、グレコ レーシング スープラの2台が投入されました。
しかし圧倒的な戦闘力を誇るスカイライン勢には歯が立たず、本格的GTマシンの投入を待つ事となります。
1995~1996年 Toyota Supra LM-GT 3S-GTE搭載 (写真 TOYOTA team sard)
日産スカイラインGT-Rと共に1995年からル・マン24時間耐久レースのGT1クラスに参戦したスープラ。
すでにJGTCでデビューしていたIMSA用2.1リッター直列4気筒ターボ搭載車両をル・マン用に改良して挑みました。
極端なドッカンターボ特性のマシンにドライバーたちは苦戦したようで、同じく1995年デビューのピュアレーシングマシン”マクラーレンF1 GTR”には全く歯が立たない状況でした。
1996年にも大幅に改良したマシンで挑戦しますが、ライバルたちの進化はスープラを遥かに上回っており、結局はクラッシュによるリタイヤでル・マン挑戦は呆気なく幕を閉じます。
この時の雪辱を果たすため、後にTS020というスーパーマシンが誕生するのですが・・・。
1994~2002年 Supra GT 3S-GTE搭載 (写真 1997年 Castrol Tom’s Supra)
絶対にハズせない一台。カストロールトムススープラ!
詳細は、次のページで!十勝24時間に出た、あのマシンもご紹介しますよ!