1994年に全日本GT選手権が本格的にスタートして以降、GT300クラス(初期はGT2クラス)を中心としてプライベートチームの参戦が相次ぎました。「打倒ワークス」の姿勢を貫き、限られた予算で地道に鍛え上げられたマシンは特別な魅力を持ちます。また、それらのチームは有望な若手ドライバーの育成道場としても機能しており、数々の名ドライバーが誕生しました。今回はそんな懐かしいプライベートチームのマシンたちをクローズアップしていきます!
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GT500(GT1)編!
TAISAN STARCARD 962C アンソニー・リード/近藤真彦 組
JGTC史上最強のプライベートチームと言えば、文句なしでチームタイサンの名が挙がるでしょう。
そんなタイサンがJGTC初期の1994年に送り込んだ超反則マシン、ポルシェ962C。
グループCレースで世界を席巻し、末期には1000馬力を発生していたモンスターマシンです。
JGTC参戦に際してはリストリクターと300kgオーバーのバラストで性能調整されていました。
第3戦富士で優勝を飾っています。
CCIあめんぼうシルビア 服部尚貴/大井貴之 組
カーケア用品関連会社CCIがメインスポンサーとなり、自社のウィンドウコーティング剤「あめんぼう」をエントリー名に冠した懐かしのマシンです。
チーム自体は、近年のスーパーGTに紫電やエヴォーラを送り込んできたムーンクラフトでした。
N2仕様をベースとしてJGTC用に改良されたS13シルビアは、2リッター直列4気筒ターボエンジンで400馬力を発生。
シフトスピードと信頼性向上を狙ってHパターンのドグミッションが採用され、車重は1100kg程まで軽量化されています。
最高位は1994年第1戦富士の4位。
コックピット館林GT-R 袖山誠一/山路慎一 組
群馬県のチューニングショップ、コックピット館林が1994年に走らせたマシン。
マシンメンテナンスはRS中春が担当しました。
エンジンはN3仕様のRB26DETTで、駆動方式は4WD。
最高位は1994年開幕戦での2位表彰台となっており、山路選手がドライバーズランキングで3位につけています。
LARK McLAREN F1 GTR 60号車 服部尚貴/ラルフ・シューマッハ 組
JGTC史上最も恐れられた外車と言えば、やはりラークマクラーレンではないでしょうか!?
デビュー直後から欧州のGT選手権で圧倒的な強さを発揮し、1995年のル・マン24時間レースでも関谷正徳選手のドライブで総合優勝を飾ったマクラーレンF1 GTR。
後のル・マン優勝でも知られるチーム郷が、なんと1996年のJGTCに2台のF1 GTRを登場させました。
BMW製6.1リッターV型12気筒エンジンをミッドに搭載し、当時のGTマシンとしては最先端のカーボンモノコックボディを持ちます。
JGTC参戦に際して400馬力程度にまでパワーダウンされましたが、シーズン通して日本車勢を圧倒。
2台で6戦中4勝を記録しました。
しかも服部尚貴選手とコンビを組んだのは、皇帝ミハエル・シューマッハ選手の弟であるラルフ・シューマッハ選手だったんです!
STP TAISAN ADVAN VIPER 土屋圭市/松田秀士 組
またまた登場のチームタイサンです。
国産勢優位の展開が色濃くなったきた1997年、パートナーであるヨコハマタイヤからの助言もあってGT500クラスにバイパーGTS-Rを投入しました。
マシンはフランスのオレカが製作。
驚愕の8リッターV型10気筒OHVエンジンは圧倒的なトルクを発生します。
大きなエンジンを搭載するために極端なロングノーズスタイルとなっており、個性的なキャラクターを印象付けています。
綜警PORSCHE 山田洋二/岡田秀樹 組
綜合警備保障がメインスポンサーとなって出場した、チームテイクワンの993型ポルシェGT2。
空冷3.6リッター水平対向6気筒ツインターボエンジンを搭載し、1998年当時のGT500でトレンドとなっていた複雑なエアロパーツで武装。
GT500クラスに出場した最後のポルシェとなっています。
さて、ここまでGT500クラスをご紹介してきましたが、プライベーターチームと言えば、やはりGT300(GT2)
ロータリーのロードスターに、坂東のセリカ、外国屋スカイラインなど、気になる名車たちは、次のページへ!