プライベーターとして、ときには前年型・前々年型のマシンでGTを戦ってきたチーム、土屋エンジニアリング。プライベーターと聞くと、苦労のにじむ辛さばかりが頭に浮かびますが、彼らは少し違います。資金力よりも人間力、テクノロジーよりも職人の勘!レース界で唯一無二の”闘う町工場”、そんなつちやエンジニアリングの熱いマシンたちをまとめてご紹介!!
CONTENTS
つちやMR2(1996〜1997)
1996年シーズンの第5戦から、土屋武士&織戸学のコンビでJGTC(全日本GT選手権)に独自の改造を施したトヨタ・MR2で参戦を開始した土屋エンジニアリング。
1997年より実質的なフル参戦を開始し、第3戦仙台ハイランドから3Sエンジンはターボ搭載となり一気にパフォーマンスが向上。
このレースでぶっち切りの優勝を果たします。
つちやMR2(TEAM TAISAN Jr. with つちや1998年)
1998年シーズンは、TEAM TAISAN jr. withつちやとして、両名門チームのジョイントが実現。
ベテラン鈴木恵一選手と、GTデビューイヤーの館慎吾選手のジョイントでドライバーも一新。
向かう所敵なしの6戦中5勝を挙げ、文句なしのGT300チャンピオンを獲得しました。
特に最終戦では80キロ満載のウェイトハンディを積んだ上で、驚異のポール・トゥ・ウィンを果たしています。
ちなみにシリーズ5勝という記録は、現在に至るまでシリーズ最多勝記録として残っています。
A’PEXモモコルセMR2(1999年)
この年からステアリングブランドで知られるMOMOのスポンサードを勝ち取った土屋エンジニアリング、プライベーターながら結果を出すことで掴んだパートナーシップでした。
ドライバーは新田守男/高木真一両選手に一新されています。
この年は第2戦の1勝のみでシーズンを終えますが、安定した速さで2年連続GT300クラスチャンピオンを獲得。
”最強プライベーター”もとい、GT300最強の地位を不動のものにします。
ちなみに、参戦当初よりもスポンサーなどの面でバックアップが増えているとはいえ、この見た目には洗練されたMR-2の中身。
実はホームセンターで買える部材なども使い、「無いもの・高いものは作ったれ!!」というDIY精神の塊です。
ドアの内張りは純正をカットして加工しているものだったり(パワーウィンドウのスイッチがそのままだったとか…)、ブレーキペダルがおろし金でできていたり、ダッシュボードは鉄板に反射防止の黒い「布」が貼られていたり…。
実際、「チューニングカーのほうが高くつくんじゃない…?」というくらいのコストに抑えられているらしく、隅から隅までスタッフのDIYがてんこ盛り。
これでワークスのバックアップも手厚かったであろう2台体制のS15シルビアに勝ってしまうあたり、本当に痛快なマシンでした。
GT500への挑戦。エンドレスアドバンスープラ(2000年)
2000年、土屋エンジニアリングはGT300・2連覇の栄光もそこそこに、貪欲にGT500への挑戦を開始します。
もちろんワークスからはほとんどサポートを受けず、ワークスの前年型(いわば中古車)での挑戦です。
ドライバーは木下みつひろ/織戸学のベテラン&ルーキーコンビ。
しかし、本格的な3大ワークス戦争を繰り広げるライバルたちの壁は厚く、この年はわずか11ポイントを獲得するに留まります。
そしてこの年の経験は、その後の10年近いGT500への挑戦において大きな糧になっていきます。
まだまだ続く土屋エンジニアリングマシン特集!
次のページでは2001年以降から、現代まで一気に振り返ります!
”あの”スープラも登場しますよ!