時はバブル時代末期の1990年。イタリアを代表するスーパーカーブランド ランボルギーニ社から待望の新型車が発表されました。その名は”ディアブロ”(悪魔)。巨大で筋肉質かつ洗練されたデザインに伝統のV型12気筒エンジンを搭載したディアブロは、スーパーカーのイメージを体現したモデルです。2001年までに約3000台が生産され、ランボルギーニがGTレースに進出する足がかりにもなりました。今回は究極のディアブロとも言えるコンペティツィオーネ(競技用モデル)を中心として、開発エピソード等をご紹介します!
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ランボルギーニとは?
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ランボルギーニ社はフェルッチオ・ランボルギーニが1962年に創業したイタリアの自動車メーカーで、正式名称をヌオーヴァ・アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpAという。
元々トラックの改造、トラクターの開発・製造、エアコンやボイラーの製造販売等、様々な事業で成功を収めたフェルッチオは、その巨万の富でエキゾチックカー収集に傾倒していきました。
過去にミッレミリアにも出場経験があるほど自動車好きなフェルッチオは、フェラーリを手にれてもなお満足する事はなく、自身が納得できるエキゾチックカーを作りたいという一心でランボルギーニ社を創業したのです。
1960年代にはミウラ、1970年代にはカウンタックと、「スーパーカーと言えば・・・」というような誰もが知る名車を世に送り出しています。
メーカーの象徴であるエンブレムには雄牛が描かれており、別名ファイティングブルとも呼ばれる。
本部はボローニャ県サンターガタ・ボロニェーゼにあり、今年で創業55年目をむかえています。
”悪魔”の名が付いたランボルギーニ・ディアブロはどんな車なのか?
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ランボルギーニ社のフラッグシップモデルとして15年以上の長きにわたって生産された名車カウンタック。
しかし1980年代になると販売数の減少が顕著に見られ、次期モデルの発表が待ち望まれました。
基本的に数モデルを同時に展開する事はしないランボルギーニにとって、カウンタックの後継車開発はすなわち会社の存続に直結する重大事項でした。
P132というコードネームが与えられた新型車開発は1985年にスタート。
紆余曲折を経て、前述のミウラやカウンタックを手掛けたマルチェロ・ガンディーニがエクステリアデザインを担当しました。
しかしこの頃のランボルギーニ社には経営陣交代の波が押し寄せており、順調に進んでいた新型車開発にも親会社となったクライスラーから横やりが入ってしまったのです。
天才ガンディーニVSクライスラー陣というデザイン戦争が勃発し、開発が大幅に遅延。
結局はガンディーニの案にクライスラー陣が小規模な修正を加えてデビューさせる運びとなり、彼としては少々不本意な決着となってしまったようです。
新型車の発表の場として選ばれたのは、高級リゾート地モンテカルロ。
ディアブロと名付けられたマシンは、5.7リッターV型12気筒エンジンをミッドに搭載し、2WDと4WDの2モデルが用意されました。
約500馬力の圧倒的パワー、時速320kmを超える最高速、そして天才ガンディーニの手によるデザイン等、それらの魅力的なファクターによって世界の自動車ファンに受け入れられたのでした。
その後オープンタイプや特別モデルが多数生み出され、2001年までに約3000台を生産。
なお最後の1台として生産されたパールホワイトのディアブロは日本人が購入したものだったそうです。
ランボルギーニのGTレース進出
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創業者フェルッチオは「レースには出ない」という事を社是として掲げていました。
これはかつてミッレミリア出場時のクラッシュで大けがを負った事が一因だとされており、他にもレース資本主義であるが故に顧客をないがしろにしがちだったフェラーリへの反発だとも言われています。
しかしフェルッチオ没後の1994年、日本のランボルギーニオーナーズクラブ”JLOC”からの依頼でディアブロ初のレーシングモデルを製作する事となりました。
製作は当時のF1エンジン開発の中枢であったランボルギーニ・エンジニアリングで行われ、F1エンジン開発に携わっていたエンジニアの手で進められます。
この時製作されたマシンに付いた名前はディアブロ・イオタ(公道仕様も含め3台製作)。
その後もGT-1やJGT1が全日本GT選手権向けに製作されました。
これがきっかけとなり、1996年にはワンメイクレース用のSVRやGTR、1998年にはFIA-GT選手権用のGT2等のレーシングディアブロが製作されています。
これらの活動は後のムルシエラゴR-GTやガヤルドGT3の世界的な活躍に繋がる試金石となったのでした。
それではここからレーシングモデルを中心にラインナップをご紹介していきます!
Diablo Jota
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1994年からカウンタックで全日本GT選手権への参戦を開始したJLOC。
なかなか思うような戦績を残せなかったチームは、翌シーズンに向けてディアブロをベースとした新型マシンの開発に踏み切ります。
JLOCメンバーの寺井輝昭氏が幾度となくサンターガタのランボルギーニ本社に通いつめ、開発が進んでいきました。
製作を担当したのは、F1エンジン開発の中枢でもあったランボルギーニ・エンジニアリング。
ドライサンプ化やスライドバルブ採用等、レース用として仕立てられたV型12気筒エンジンは620馬力を出力したと言われています。
実際にF1エンジンを担当したエンジニアが新型マシンの開発にも携わり、1995年のJGTC開幕戦鈴鹿でそのベールを脱ぎました。
新型マシンはディアブロ・イオタと名付けられ、改良を加えられながら1995年・1996年・1998年の3シーズンを走っています。
なお、ディアブロ・イオタをレギュレーション上の量産車とするためにもう1台が製作され、後に唯一のロードバージョンが1台製作されています。
Diablo SVR
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1996年、ディアブロのワンメイクレースであるフィリップシャリオールカップ用に34台が生産された競技用モデルです。
内装の簡素化や軽量パーツの採用で車重を1385kgまで軽減。
マフラーをストレート構造にしてベース車から20馬力アップの540馬力を発生します。
外見としては、純正のリアバンパーが取り外されて競技車両らしいすっきりした印象となっており、カーボン製の巨大なGTウィングも装備されているのが特徴。
日本にもロードバージョンとして数台が輸入されました。
Diablo GT-1
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1997年のJGTC投入を目的として、JLOCがフランスのシグネス・アドバンスド・テクノロジー(以下SAT)に発注したレース専用車。
SATは元々ランボルギーニの競技車両を造る目的で立ち上げられた会社です。
フランスの港町トゥーロンで開発が進められたGT-1は、シャシーやボディーをオリジナル製作し1050kgまで車重を軽減しています。
エンジンはJLOC会長の則竹氏が新規でランボルギーニ社へオーダーしたもので、排気量を6リッターまで拡大したV型12気筒自然吸気としました。
最高出力600馬力、最大トルク70kgを発生するモンスターエンジンです。
GT-1投入4年目となる2000年の鈴鹿1000kmでは、古谷/高橋/和田 組が国際格式のGTレースで初となる3位表彰台を獲得しています。
Diablo GT2
出典:https://caberz.wordpress.com/
1998年にFIA-GTのGT2規定で製作されたレーシングディアブロ。
フランスGT選手権に3戦エントリーした記録がありますが具体的な情報があまりにも少なく、ディアブロの中でも1・2位を争う希少モデルです。
エンジンは日本向けに開発されたGT-1と同排気量の6リッターV型12気筒を搭載し、640馬力を発生しました。
このGT2が後の最強市販モデル ディアブロGTの誕生に繋がったというエピソードもあります。
Diablo GTR
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1999年にランボルギーニ・スーパートロフィー用のワンメイクレースカーとして発表されたディアブロGTR。
合計40台分のシャシーが用意され、実際に生産されたのは32台。
各部に専用のカーボンパーツを採用する事で車重は1385kgまで軽減されています。
エンジンは6リッターV型12気筒で590馬力を出力。
ミッション及びデフの専用オイルクーラーを装備し、他にもカーボン製の巨大なGTウィングやスピードライン製の18インチマグネシウムホイール(センターロック)が採用されています。
日本でも数台が輸入されていますが、なんと31台目は日本でパーツを調達して組み上げられた個体との事です。
この頃になるとヘッドライトがリトラクタブル式から固定式に変更されており、Z32型フェアレディZのヘッドライトが流用されているのをご存知ですか?
日産のロゴがライト上部に刻印されているので、よく見るとそれをガーニッシュで隠しているのが分かります。
Diablo JGT-1
出典:https://www.gtplanet.net/
JLOCがディアブロGT-1で念願の表彰台を獲得した翌年、待望の新型マシン ディアブロJGT-1がデビューしました。
その名の通り、JGTCのレギュレーションにマッチするようシャシー構造から見直されています。
エンジンはGT-1から引き継がれた6リッターV型12気筒を搭載していますが、そのパワーは655馬力に達していたという記録も残っており、エンジン制御をMoTeCで行いGT-1よりもハイパフォーマンス化されていた事は間違いないでしょう。
JGT-1は2001年から2003年までの3シーズンにわたって使用されましたが、外車勢に対して年々厳しくなるレギュレーションに太刀打ち出来ず、目立った戦績を残すことは叶いませんでした。
ですが、ホームストレートを駆け抜けるV12サウンドは大変美しく官能的で、モータースポーツファンの記憶に残る1台となったのは間違いないでしょう。
まとめ
日本でのレース活動がきっかけとなり、その後のモータスポーツ進出への試金石となったディアブロ。
無骨で荒々しい姿は猛牛そのものといった印象です。
でもどこか美しさや気高さが垣間見えるあたりは見る者を虜にするランボルギーニらしいモデルなのではないかと筆者は思います。
市販車としてはミウラやカウンタック、レースマシンとしてはムルシエラゴやガヤルドの影に隠れてしまいがちなディアブロですが、この記事をきっかけとして少し視点を変えてみるとランボルギーニへの理解が更に深まる事間違いなしです!
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