過酷な暑さの中、毎年8月の終わりに開催される「鈴鹿1000kmレース」。世界選手権の一戦としてカレンダーに加えられたり、全くの単独レースとして開催されたりとそのスタイルは目まぐるしく変化してきました。しかし全日本GT選手権が「スーパーGT」として生まれ変わり、鈴鹿1000kmがそのシリーズに組み込まれたことから、伝統の一戦は新たなステージに突入するのです。今回は、そんな進化著しい2000年代を戦った歴代1000kmウィナーたちを振り返っていきましょう。

 

©鈴鹿サーキット

1999年 無限・童夢NSX

 

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1999年シーズン、この時点で30年以上の長い歴史を誇っていた伝統の一戦・鈴鹿1000kmレースは新たな一歩を踏み出します。

前年までFIA-GT選手権の一戦として、海外からのエントラントを主役としていた同レースですが、この年から選手権を離脱。

これにより、国内GTマシンと海外組ゲストの対決をメインとする、いわゆる「GT日本一決定戦」へと路線変更しました。

エントラントは全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラス、GT300クラスのマシンをメインに、海外からのインターナショナルGTクラス、更にはスーパー耐久マシンの出走も可能となっていました。

予選では、レイブリックNSXが1966年の第1回から出走してきた高橋国光によるドライブで、見事ポールポジションを獲得。

しかし決勝では電気系のトラブルによって後退、変わってトップに立った無限・童夢NSX(中子修/道上龍/金石勝智)がライバルであるスープラ勢を抑え、見事優勝を飾る結果となりました。

 

2000年 TAKATA無限×童夢NSX

 

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2000年の鈴鹿1000kmも、童夢・無限のワークスNSXが2連覇を成し遂げています。

このシーズン、NSXは排気管の取り回し変更によりエンジンの重心を大幅に下げ、更にフロア後端部を大きく跳ねあげベンチュリー構造を作るなどの大改造により、大幅なパフォーマンスアップを果たしています。

その速さは圧倒的で、2位以下に4ラップもの大差をつけてTAKATA無限×童夢NSX (脇阪 寿一/金石 勝智/伊藤 大輔 )が総合優勝。

この大会にはFIA-GTのチャンピオンマシンであるリスター・ストームも参戦していました。

しかし、異次元の域に達しつつあったGT500のコーナリングスピードを前に全く歯が立たず、結果的にはJGTCマシンが”世界最速GT”となりつつあることを、特に印象付けたレースとなったのです。

 

2001年 au セルモ スープラ

 

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2001年、鈴鹿1000kmレースは記念すべき第30回という節目の年を迎えます。

前年と同様、海外GT組とGT500勢が総合トップ争いを繰り広げる中、JGTCで急激に戦闘力を向上させてきたスープラが特に速さを見せました。

空力性能の追求でアドバンテージを築いていたNSXに続き、スープラもフロア下の作り込みや、サスペンションのインボード化などにより、戦闘力を格段に向上させていたのです。

決勝レースではau セルモ スープラ ( 竹内 浩典/立川 祐路/脇阪 薫一)が安定した完璧なレース運びで、NSXを破り見事ポールトゥウィンを飾っています。

 

2002年 TOYOTA SUPRA

 

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2002年の鈴鹿1000kmの目玉は、ル・マンへの挑戦を続けていたチーム郷のLMPマシン、アウディ・R8の参戦でした。

予選の速さは群を抜いており、ぶっちぎりの優勝が予想されていたものの、決勝ではマシントラブルでリタイヤ。

結局、総合優勝の座は2年連続でGT500クラスのトヨタ・スープラが奪っています。

ESSO TOYOTA Team LeMans が走らせていた青/白のエッソ・ウルトラフロースープラは、鈴鹿1000kmではエントリーネームを「TOYOTA SUPRA」としてエントリーしていました。

ドライバーはこの年のJGTCチャンピオンにも輝いた 脇阪 寿一&飯田 章のコンビに加え、前年に続き鈴鹿1000km2連覇となった脇阪 薫一がステアリングを握っています。

 

2003年 Regain 童夢 NSX

 

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2003年シーズン、鈴鹿1000kmには海外エントラントやLMPマシンは出走せず、GT500勢をトップカテゴリーに据えGT300、スーパー耐久マシンなどが混走する耐久イベントとして開催されています。

JGTCではこの年からフラットボトム化や、,前後パイプフレーム化などを盛り込んだ新たな車両規程を採用。

これにより、いよいよ市販車ベースとかけ離れた「シルエット・フォーミュラ化」が進み、そのパフォーマンスは次のレベルへと到達していくことになりました。

新たに”第3世代”へと進化したNSXはエンジンを縦置きに変更し、更にミッションをその前方に搭載して重量バランスを追求するなど、見えないところで大がかりな改造が施されたのです。

しかしトヨタ、日産のパフォーマンス向上もあり、JGTCのタイトル争いでは苦境に立たさていました。

それでもシーズン後半、エンジンの大がかりなアップデートが行われたことにより、NSXのリベンジが始まるのです。

そして迎えた伝統の鈴鹿1000kmでは、道上 龍/S.フィリップというコンビが操るNSXが、一矢報いる総合優勝を飾っています。

 

2004年 TAKATA 童夢 NSX

 

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この年も童夢が走らせるエース・マシンが見事優勝を飾っています。

ドライバーは前年の1000kmを制したコンビに加え、新たに伊藤大輔が加わっていました。

2004年のJGTCでは、日産勢がR34型GT-RからZ33型フェアレディZにマシンを変更するなど大きな動きがありましたが、このレースに日産勢は不参加。

トヨタ勢も上位には食い込めず、チーム国光VS童夢というNSX同士の戦いがレースを盛り上げました。

 

2005年 iDC大塚家具サードスープラ

 

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2005年シーズンの鈴鹿1000kmでは、2年ぶりにスープラがNSXの牙城を崩し優勝を果たしています。

チーム・サードが走らせる、お馴染みのカラーリングとなったマシンは、アンドレ・クート/ロニー・クインタレッリ/下田隼成というトリオがステアリングを握っていました。

また、このシーズンからJGTCはFIA公認の国際シリーズ「スーパーGT」として生まれ変わり、海外でのレース開催など更なる飛躍に向けてスタートを切っています。

鈴鹿1000kmが各選手権からエントラントを招いた単独レースとして開催されたのはこの年が最後となり、翌年からはスーパーGTのシリーズ戦としてカレンダーに加わることになりました。

 

2006年 カルソニック インパルZ

 

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新たにスーパーGTのタイトル戦となった鈴鹿1000km。

エントラントはGT500とGT300に絞られ、よりストイックでプロフェッショナルなイベントへと進化を果たします。

この一戦を制したのは、星野一義監督率いるチーム・インパルが走らせる、カルソニック・インパルZ( B.トレルイエ/星野 一樹/J.デュフォア)でした。

予選でもポールポジション、そして決勝もピットインのタイミング以外は一度も首位を譲らない、という完璧な勝利を飾っています。

ちなみに日産のマシンが鈴鹿1000kmで勝ったのは、グループCのR92CPが勝利した1993年以来、実に13年ぶり!

2位にもMOTUL AUTECH Z が続いており、熟成の進んだZの速さを見せつける一戦となりました。

 

2007年 宝山 TOM’S SC430

 

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スーパーGT第6戦として開催されたこの年の1000kmは、幾度も順位の入れ替わる波乱のレースとなります。

上位陣がトラブルなどで後退する中、この激戦で勝利を飾ったのは 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー/オリバー・ジャービス 組のSC430でした。

予選11番グリッドという厳しい状況から、終盤に雨が降る中、ロッテラーが果敢なドライブで一気にトップを行くARTA NSXとの差を詰める事に成功。

そして、雨が止むと即スリックタイヤへの交換を決断。

最終的にこのギャンブルが当たり、見事な逆転勝利を飾りました。

 

2008年 カルソニック IMPUL GT-R

 

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2008年シーズンのスーパーGTでは、5年ぶりのGT-R復活が話題を呼びました。

カルロス・ゴーンからの「必勝命令」を受けて開発された新生・GT-Rは、シーズン開幕直後から速さを発揮。

NSXが得意とする筈の鈴鹿の舞台でも3台のGT-Rは速さを見せ、コーナリング性能の高さを証明しました。

結局、ニスモ陣営の2台がトラブルにより脱落、GT-Rの上位独占は果たされませんでしたが、5番グリッドから追い上げたカルソニックIMPUL GT-Rが見事優勝を飾っています。

 

2009年 KRAFT SC430

 

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2009年夏の鈴鹿は、石浦宏明/大嶋和也のコンビがドライブするKRAFT SC430が終始安定した速さで首位をキープし、優勝を果たしています。

石浦、大嶋にとってはGT500での記念すべき初優勝、そして今や強豪チームのKRAFTにとっても、これは同クラス2度目の優勝でした。

一方、鈴鹿などのテクニカルコースを得意としてきたはずのNSXはその速さに陰りが見え始め、ホンダは翌シーズンに向けて全く新しいマシンを開発することになるのです。

 

まとめ

 

2005年に国内選手権からFIA公認レースとなり、競技レベルが飛躍的に向上していったスーパーGT。

夏の鈴鹿1000kmもそのシリーズに加わったことで存在意義が復活し、シーズン中、最も過酷で盛り上がる”お祭りレース”として、次なるステップへと踏み出しました。

また、この10年の間に熾烈な開発競争が繰り広げられたことにより、GT500のタイムは一気に速くなっています。

1999年にNSXが記録した鈴鹿1000kmでの予選ポールタイムは「2分03秒068 」、その10年後の2009年、SC430が記録したポールタイムは「1分55秒724」と、実に8秒ほども速くなっているのです。

もはや独自に進化を果たしたスーパーGTマシンは”世界最速GT”と言えそうですが、こうして鈴鹿1000kmの優勝マシンを見てみると、日本のGTマシンがどれほど進化したかも見えてくるのではないでしょうか。

さて、次回は2010年以降の優勝マシンたちが登場します。飽くなき進化は更なる次元へ…どうぞお楽しみに!

 

鈴鹿サーキット公式ホームページ

 

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