とにかく粘る2号車ポルシェ、トヨタとしのぎを削り合う

出典:http://www.fiawec.com

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ここまではトヨタ優勢の流れだったが、相手はル・マンで17回も優勝を飾っている“耐久王”ポルシェだ。ロマン・デュマ/ニール・ジャニ/マルク・リーブ組の2号車が善戦。

折り返しの12時間を経過しても、夜明けを迎えた18時間を経過しても、ピットストップで順位が入れ替わるほどの僅差で追いかけ続けていた。

さらにドライバー交替やタイヤ交換を含む「時間がかかるピットストップ」を、タイムロスが少ないセーフティカー導入時に行うなど臨機応変な対応。

残り5時間を切るところでトップを奪い返し、ペースを上げていく。

もちろん、トヨタ勢も初優勝のためにアクセルを緩めることはなかった。ペースが伸びない6号車を5号車がパスし2番手へ。

3分23秒台のハイペースで2号車に接近。すでに20時間近くレースしているにも関わらず、スプリントレースのようなバトルに発展していった。

接近戦になれば、序盤同様にトヨタが優勢。残り4時間、ユノディエールで2号車を再び捉えパス。ラストスパートをかけた。

同一ラップのまま終盤戦へ、そして…

©TOYOTA

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3番手の6号車トヨタだが、残り3時間をきってマシンをガレージへ戻してしまう。

実は夜中に他クラスのマシンと接触しマシンの左サイドを破損。なんとか応急処置程度で走っていたが、完璧に修復することにしたのだ。

順位を落とすことはなかったがトップから3周遅れになり、優勝争いはとうとう2台に絞られることになった。

5号車トヨタは中嶋一貴がアンカーに。一方2号車ポルシェはニール・ジャニが担当。残り1時間を切っても両者の差はわずか30秒。

何かあればすぐに順位が入れ替わり勝負がついてしまう、近年稀に見る僅差の戦いとなった。

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そして、残り6分。一貴から「ノーパワー!」と無線が。それと同時に5号車は勢いを失いスローダウン。

なんとかコントロールラインまでたどり着くが、5号車にもう1周できるだけの余力は残っていなかった。

残り3分21秒。誰もが予想していなかったトップ交替だった。

 

想像以上の僅差が生んだラスト3分のドラマ

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後日、トラブルの原因をトヨタが発表。ターボチャージャーとインタークーラーをつなぐ吸気ダクト回りで不具合が発生したとのことだった。

じゃあ、なぜ残り3分というタイミングでトラブルが起きてしまったのか。

原因は各メディアでも様々な角度から取り上げられているが、やはり近年稀に見る僅差のレース展開が大きな鍵を握っていたのではないかと思う。

通常なら後続との差も開いており、最終スティントはクールダウンしてチェッカーを迎えるが、両者とも3分23秒台を連発。全開に近い状態のままゴールの瞬間を迎えようとしていた。

こんなに僅差のバトルは2011年のアウディvsプジョー以来。しかし、その時よりも30周(約408km)多い384周にわたる戦い。

もちろん、こういったことを想定し両陣営ともテストを重ねて準備してきたわけだが、それでも本番のレースでマシンにかかるストレスは計り知れないものになる。

その結果、24時間を迎える前に致命的なトラブルが出たのが5号車トヨタ。そうでなかったのが2号車ポルシェだった。

出典:http://www.fiawec.com

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24時間、互いにしのぎを削り、0.001秒を削り合った。

まさにガチンコ勝負だった今年のル・マン。そこで、あのポルシェを脅かし続け、レースの半分以上でトップを死守。最後は2号車に対し30秒のリードを作った。

間違いなく「勝利に値する」レースを見せてくれてはいたが、結果的にわずかにだけポルシェが上回っていた…ということなのだろう。

18回目の優勝を飾った名門ポルシェを認めさせるだけの速さを持っていた今年のトヨタ。これは胸を張れる“成果”だったと思う。

 

まとめ

©TOYOTA

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きっと、いつかトヨタが初の優勝を飾った時、間違いなく「このレースがあったから…」というエピソードとして語られるレースになるだろう。

また、この劇的な展開は今後いろんな場面で取り上げられていくはずだ。

その中で忘れて欲しくないのは、このレースのハイライトは「ラスト3分」だけではない。

彼らは24時間にわたって名門ポルシェを相手に果敢に勝負を挑んでいき、その決着が…ラスト3分で決まったことを。

そして、こんなに手に汗握って、祈るような思いで応援したくなって、最後は涙してしまう、それぐらい夢中になってしまう24時間レースがあったということを。

そういった角度からもファンや関係者の記憶の中に刻まれ続けていってくれると、幸いだ。