かつて日産の量販車種だったサニーには時代により、いくつもの兄弟車が存在していました。その1つがパルサーです。パルサーは特別な存在感があり、相次ぐ兄弟車の統廃合の嵐を潜り抜け、2000年12月まで日本市場に投入されていました。今回紹介するのは、4代目パルサーに設定されていたホッテストモデルです。
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誕生の背景
スカイラインを開発したプリンス自動車は、リッターカークラスのFF車も開発していました。
しかし開発中に日産に吸収されたため、プリンスブランドで陽の目をみることはなく、日産ブランドで発売されます。
それが日産 チェリーで、日産 パルサーの直接的な先代モデルです。
チェリーは前述したように、プリンス自動車が開発し、その性能やスポーティーさ、人馬一体感は折り紙付き。
プライベーターによるラリー参戦車両になったこともあり、ラリーフィールドでのスポーティーなイメージが付きました。
そのイメージを受け継ぐ後継車のパルサーの初代モデルには、ホットモデルは設定されていません。
しかし、1990年にフルモデルチェンジされたN14型4代目パルサーで状況が一変。
4代目パルサーは開発当初から、WRC参戦を前提としたホモロゲーションモデルをホッテストグレードに設定する予定となっていました。
そして誕生したのが、パルサー 3ドアハッチバック GTI-Rです。
名車たる理由
N14型パルサー 3ドアハッチバックは、廉価グレードからラグジュアリーグレード、スポーツグレードまで多岐に渡り展開されました。
その中でもGTI-Rはホッテストモデルとして、突出した性能とメカニズムを備えていたのです。
駆動システムはビスカス式LSDを備えたフルタイム4WDのATTESAで、エンジンはSR20DET型直列4気筒DOHCターボをU12型8代目ブルーバード 4ドアセダン SSS-R(スリーエスアール)から移植。
U12型ブルーバード SSS-Rはラリー競技参戦車として、オーテックジャパンが開発し、NISMOで販売されました。
オーテックジャパンは日産の特装車開発を担当する関連企業で、初代社長は桜井眞一郎氏。
初代から7代目までスカイラインの開発に携わり、「スカイラインの父」として有名なエンジニアです。
そしてオーテックジャパンのメンバーには、桜井氏の仲間のプリンス自動車の面々が配置され、1986年に設立された当時はまさに、プリンス自動車の再来と言っても過言ではありませんでした。
そんなオーテックジャパンから生み出されたブルーバード SSS-Rのパーツを移植したパルサーもまた、ルーツはプリンス自動車の開発車両です。
さらに駆動システムのATTESAは、元々前年の1989年にモデルチェンジされたR32 GT-R用に開発されたもの。
N14型パルサー GTI-Rは、旧プリンス自動車と日産の時代を超えたコラボモデルであり、当時の日産モータースポーツの技術の結晶だったのです。
主要スペックと中古車価格
日産 パルサー 3ドアハッチバック GTI-R 1990年式
全長×全幅×全高(mm):3,975×1,690×1,400
ホイールベース(mm):2,430
車両重量(kg):1,220
エンジン仕様・型式:SR20DET 直列4気筒DOHCインタークーラー付ターボ
総排気量(cc):1,998cc
最高出力:230ps/6,400rpm
最大トルク:29.0kgm/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:フルタイム4WD
中古車相場:169~238万円(2019年12月現在)
まとめ
1990年ごろの日産は、R32 GT-Rの人気とレース実績もあり、モータースポーツに力を入れ、スポーツイメージの強いメーカーでした。
肝心のパルサー GTI-Rは狭いエンジンルームにハイパワーエンジンを詰め込んだことでエアフロ―を確保できず、レースでは不本意な結果を残しWRCから去ることになってしまいます。
しかし日本でのホモロゲーションモデルの人気は高く、パルサー GTI-Rも御多分に漏れず人気車で、5代目にモデルチェンジするまで生産されました。
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