1976年に異彩を放ったマシンがF1界に登場しました。その名は「P34」。一体何が変わっていたかというとタイヤが6つ…この奇妙な姿に多くの人が驚きを隠せませんでしたが、優れた成績を残しレース界に大きな影響を与えていたマシンなのです!

掲載日:2016.6/21

今回はそんな「ティレルP34」についてご紹介します!

今でも語り継がれる6輪マシン

出典:http://matome.naver.jp

車と言えばタイヤは4つ、という概念を打ち破ったティレルの「P34」。

まだ記憶に新しいF1映画「RUSH」の時代である1976〜77年に活躍し、映画の中でもこのマシンが映し出されるシーンもあります。

マシン発表の時にはタイヤが6つもあり、世界で初めての試みにメディアや関係者も驚きを隠せず会場は騒然としたそうです。

構想に1年を費やし開発。このマシンを見たチームオーナーのケン・ティレル氏も思わず困惑してしまったというエピソードが残っています。

今では考えられないこのマシンの試みはタイヤの数だけでなく、コックピットに窓がついているという点も珍しいことで知られています。

フロントタイヤは10インチの特別仕様で、ホイールではなくゴムの部分であるサイドウォールを小型化し前後に並べられています。

タイヤが6つのメリットは?

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そもそも車などレーシングカーは4輪が前提のように考えらえていますが、このP34はなぜ6輪だったのでしょうか?

オープンホイールのF1マシンでは前輪がむき出しとなっているので、大きな空気抵抗を生みます。

それを少しでも減らすために前輪を小さくしようと試みますが、するとタイヤと路面の接地面積が減りグリップ力は低下してしまうので、上手く曲がれない車になってしまうのです。

そこで編み出されたのは小さな前輪の後ろに、「もう一つの前輪」をつけるというもので、これにより空気抵抗を減らしながらタイヤの接地面積を確保することが可能になりました。

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タイヤはフォーミュラカーにおいて最も空気抵抗を発生させるパーツであり、これをどう解消するかは永遠のテーマとなっています。

しかし2016年時点ではF1タイヤの大きさは供給先のピレリのワンメイクとなっており、勝手に大きさを変更することは禁止されています。

まだ規則の縛りが緩かった昔だからこそ出来た技術ですが、1983年の車両に関する規定でタイヤは4輪までと明文化され、6輪のマシンは二度と見られなくなりました。

今こそ知っておこう!P34の凄さ!

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ではP34は一体どれほどの成績を残せたのでしょうか?

一歩間違えれば大不振も覚悟のギャンブル性が高そうなマシンですが、実は優秀な成績を残しています。

1976年の第4戦スペインGPでデビューしたP34は当時ティレルに所属し、このマシンの主な開発ドライバーを務めたパトリック・ドゥパイエがいきなり予選で3位を獲得します。

決勝こそリタイアに終わりましたがポテンシャルを覗かせ、投入からわずか3戦目のモナコGPでダブル表彰台を達成します。

そして待望の瞬間は投入4戦目にして訪れます。

同年の第7戦スウェーデンGPでは後にF1王者に輝くジョディ・シェクターがポールポジションを奪い、レースでもそのまま逃げ切り優勝を飾り、2位にはドゥパイエが入り1-2フィニッシュを達成。

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これはF1の歴史の中で4輪ではない車が優勝した唯一の記録として残っています。その後もP34を擁するティレルは好調が続き、この年は2名で計10回の表彰台を獲得しています。

コンストラクターズランキングでもフェラーリ、マクラーレンに肉薄。惜しくもチャンピオンには届きませんでしたが、3位を獲得する快挙を成し遂げました。

1977年もティレルはP34を引き続き使用し、シェクターに代わってロニー・ピーターソンが加入。ドゥパイエとの布陣で戦いました。

2シーズン目をドライブしたロニー・ピーターソン(出典:http://www.ronniepeterson.se)

しかし当時のタイヤメーカーであるグッドイヤーが、この年新たにF1に参入してきたミシュランとの性能競争が始まり、6輪用タイヤの開発ペースを下げてしまいます。

タイヤの進化が遅くなると成績も落ち込みを見せ、チームで投入したアップグレードも不発に終わり、前年獲得した71ポイントを大きく下回る27ポイントに終わりました。

F1マシンは6輪車が当たり前になっていた?

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出典:https://ja.wikipedia.org

P34が投入され好成績を収めると、他チームも6輪車の開発に乗り出しました。

このマシンの武器はフロントタイヤの空気抵抗を減らすというコンセプトでしたが、実はそれほど大きく効果が見られなかったのです。

ではなぜ好成績を収められたのか?

その理由として挙げられるのはタイヤの数が増えたことで、路面との接地面積が増えブレーキングの効果が大きくなったことでした。

唯一6輪で戦ったP34はコーナーの飛び込みで、他車よりブレーキの踏み出しを遅らせることが出来ました。

開発者側の狙いとは違うメリットを生み出していたのです。

するとこの革新的なアイデアを追随しようと、名門チームであるウィリアムズやマーチも6輪車の開発に乗り出します。

マーチは1976年に開発しますが、たった2日間のテストで断念。

ウィリアムズはP34がデビューした6年後の1982年にウィリアムズが本格的なテストを開始します。しかしこれらの6輪車の思惑はティレルとは少し違っていたのです。

出典:http://www.taringa.net

P34は前輪4つなのに対し、マーチとウィリアムズものは後輪が4つ。このようにする狙いは加速性能にありました。

これら4本の後輪にはすべてにエンジンから出力が伝わり、変則的な四輪駆動のマシンとして仕上げられました。

さらにウィリアムズの6輪マシン「FW08D」はグランドエフェクトカーという前提があり、予想以上のダウンフォースを発生させました。

テストでも上々の仕上がりを見せましたが、1983年に6輪車は禁止されることとなったため、すぐに博物館に送られることとなってしまいます。

結局このマシンは通常の4輪で開発は続けられ「FW08」というバージョンでシーズンを戦い抜き、なんとケケ・ロズベルグがドライバーズチャンピオンに輝きました。

もしウィリアムズによって開発が進みタイトル獲得が出来ていれば、現代のフォーミュラカーも6輪が当たり前だったかもしれません。

まとめ

出典:http://www.dequalized.com/

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往年のティレル「P34」をご紹介しました。

これほど技術者の意図が分かりやすいマシンは珍しいです。

現代のF1も多くの工夫がされていますが、見た目には分かりづらいかもしれません。

昔だからこそ出来たということもあるんですね!?

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