各メーカーごとのスポーツモデルには「最強」の称号をつけることが多いのですが、それが三菱では「エボリューション」ランサーやパジェロに設定され、ユーザーの熱狂を呼びましたが、必ずしもそれが受け入れられるとは限りませんでした。
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「エボリューション」以前の三菱車「最強」の称号
2017年9月現在、三菱における「最強の称号」は”エボリューション”。
そして、それらしきモデルの噂が流れるだけで「エボリューション復活か!」と見出しがつけられてしまう、ちょっと困った存在です。
そんな三菱はもちろん最初から”エボリューション(進化)”していたわけではなく、それ以前の「最強の称号」はもちろん別にありました。
古くは1960年代後半のコルト1500(名古屋/京都系コルト)やコルト1100F(岡山の水島製作所系コルト)スーパースポーツに「スーパースポーツ」(SS)というSUツインキャブ系のホットモデルがあり、おそらくこれが三菱初の「最強」でした。
以降、軽自動車ミニカのGSS、ギャランのGSやギャランGTOのMRを経て、1973年にギャランGTOとギャランクーペFTOに設定されたのが「GSR」。
こうして1980年代中盤までは「GSR」、後には簡素な競技用ベースモデルに「RS」が三菱各車の最強モデルとして多用されていくことになりました。
その状況を打破したのが、1987年12月に6代目ギャランへ設定されて登場した「VR-4」です。
WRC(世界ラリー選手権)用グループAマシンとして開発され、2リッター直4ターボで205馬力(後に240馬力)の実力は国内トップレベル。
しかし、WRCで勝利するためにはやや大きく重すぎたギャランVR-4に変わり、「最強を超えて進化していくモデル」”エボリューション”が誕生します。
最初の”エボリューション”は「2,500台しか作れない」から始まった
初の三菱エボリューションモデル、CD9Aランサーエボリューションは1992年9月に発売され、瞬く間に限定2,500台が完売しました。
一回り小さい1.3~1.6リッターセダンのランサーは、1.8リッターターボの「GSR」と「RS」、すなわち「ランタボ」(後に「エボゼロ」とも言われる)がありましたが、ランサーエボリューションはこれをベースにギャランVR-4のパワートレーンを組み込んだものです。
その当初、2,500台限定の根拠は「(当時としては珍しい)穴あきボンネットの金型が2,500台分までしかもたない」などと言われていたためで、希少モデルとして注文が殺到しました。
しかし、完売するや2,500台の追加販売が決まり、当時のユーザーの中には「作れないという話だったのでは…」と釈然としなかったという話も伝わっています。
戦闘力増加で文字通り「エボリューション」していったランエボ
ランサーエボリューション、略して「ランエボ」と呼ばれた”三菱最強モデル”は、その期待に反して「とにかくランサーにギャランVR-4のパワートレーンを突っ込み、グループAマシンとして必要なパーツを組み込んでおいた」だけのモデルでした。
そのため、カタログスペック上はともかく市販車ノーマルでは決してバランスが良いとは言えず、「曲げて走る」にはちょっと高度なスキルやチューニングを必要としたのです。
その点は1994年1月デビューのCE9A”ランエボII”、ランサーエボリューションIIで改良を受けました。
その名のごとく、ランサーエボリューションはモデルを重ねるごとに「エボリューション(進化)」していくモデルだったのです。
そして第1世代ランエボはCE9A”ランエボIII”でその頂点に達し、曲がらないと言われた旋回性能もジムカーナ競技、そしてラリーやダートラも含めた競技での宿敵、スバル インプレッサを圧倒するまでに。
なお、ランエボIIの登場に伴い、最初のランサーエボリューションは”ランエボI”と呼ばれるようになっていきました。
ここまで来ると、ランエボの発売は「限定モデル」というより「年間行事」となり、「もうランエボの新型が出る季節になったか…」という程度で、慌てて購入するほどではなくなりました。
また、グループAマシンとして毎年新しく公認を取って戦闘力を上げていかないと、WRCで勝てない、という大きな事情はありましたが、その必要が無いWRカーへ移行したランエボVII以降もランエボIXまで踏襲されていきます。
ランサーエボリューションがようやく限定モデルから常時販売のカタログモデルになったのは、2007年登場のCZ4A”ランエボX”からでした。
「エボなら何でも良いわけじゃない」と痛感させられたパジェロエボ
ところで三菱の「エボリューション」には、もう1台の市販モデルがありました。
主にパリダカ(パリ~ダカールラリー。現在のダカールラリー)へは、パジェロをベースにした競技専用モデル「プロトタイプ」で参戦していた三菱ですが、1997年から2001年の一時期は、ある程度の台数を生産した市販車ベースマシンで戦われていました。
そこで、WRCにおけるランサーエボリューションと同様の手法でパジェロにも高性能バージョンを設定することとなり、1997年9月に発売されたのがパジェロエボリューションです。
外観上はRV(現在で言うクロカンSUV)らしからぬ専用前後バンパーや前後ボディフェンダーで武装し、ルーフ後端左右の「ツノ」が空力上もデザイン上もアクセントになっていましたが、大迫力の存在感を放っていたのはそのエンジン。
6G74型3.5リッターDOHC MIVECエンジンは当時の自主規制値280馬力を発揮し、余裕で180km/hのスピードリミッターを作動させる動力性能を持った、ノーマル状態でも高性能なマシンでした。
しかし、国内外の各種モータースポーツは元より、4ドアスポーツセダンとして競技以外での需要もあった”ランエボ”とは異なり、パジェロエボリューション、略して”パジェロエボ”にはそうした活躍の場も、それ以外での需要もありません。
結果、2,500台限定の三菱最強RVであったにも関わらず、販売には苦戦したと言われています。
現在まで伝わる話では「ホモロゲ取得以上作る必要が無いので、短期間の販売に終わった」という説もありますが、当時の自動車雑誌などでは長期在庫がダブついていたとも言われており、最終的な販売状況は定かではありません。
ひとつだけ言えるのは、ランエボほどの人気は無く現在も見かけることは稀で、「エボリューションだから人気が出るわけではない」ということです。
そのため、パリダカで再びプロトタイプカーでの参戦が可能になると、パジェロエボは2度と市販されることはありませんでした。
まとめ
現在でも三菱の新型車情報が出るたびに「エボは出るのか?」と憶測が流れるのは、もはや年中行事と言って良いかもしれません。
確かに三菱にとって「エボリューション」の称号は日産のGT-RやホンダのタイプRと同じくらい重要ですが、現実的な話をした場合、その名を冠するに値する市販車が今後登場予定のものも含め、三菱に存在しない事もまた事実です。
一時期現行ミラージュ(FIAのR5規定に準じたラリーマシンがある)のエボリューションモデルの登場が噂されたこともありますが、当のミラージュが販売不振な上に、三菱自体が皆さんもご存知の諸事情で、エボどころでは無くなってしまいました。
しかし、それでも重要なモデルとして「いつかエボリューションの名を復活させたい」という意向はあるようで、その狙いは三菱ブランドの復興、その旗印です。
そのためにはエボリューションの名を冠し、進化させるにふさわしいモデルの登場が不可欠。
現在の新たなスポーツカーとしてもてはやされている、クーペルックのクロスオーバーSUVがそれなのか、あるいは全く新しいモデル、例えばEVを「エボリューション」させるのか、復活への道はまだ始まったばかりです。
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