現在もチームスガワラを通し、ダカールラリーのカミオンクラスなどに中型トラックのレンジャーで参戦を続ける日野自動車。乗用車メーカーとしては50年以上前に撤退したとはいえ、だからこそ機会あらば車好きとしての闘志に燃えるメーカーなのかもしれません。そんな日野自動車が乗用車メーカーだった頃の独自開発車第1号が、コンテッサ900でした。

 

日野 コンテッサ900 /  © 1998-2018 TOYOTA MOTOR CORPORATION. All Rights Reserved.

 

第2次世界大戦後にルノー車の生産から出発した日野自動車の独自開発デビュー作

 

日野 コンテッサ900 / Photo by Iwao

 

戦前・戦中の軍需向け国策により合併や分離独立など再編を繰り返していた自動車メーカーのひとつであり、1943年にヂーゼル自動車工業(現在のいすゞ)から独立した日野重工業。

第2次世界大戦が終結して軍需が消滅すると、他の軍需メーカーの大多数と同様に民需転換を図り、日野産業(1946年)、ついで日野ヂーゼル工業(1948年)として再出発します。

当初はトラックやバス専業メーカーでしたが、1947年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から小型車生産を許可され、1949年に自動車生産制限が完全撤廃されると、今後の普及を見越して乗用車への参入を決定しました。

しかし、ダットサン(日産)やオオタ(高速機関工業)、トヨタのように戦前から乗用車を作っていた実績も無く、ダイハツ(発動機製造)やマツダ(東洋工業)のように戦前からオート三輪を作っていたわけでもなかったので「乗用車とはなんぞや?」というところから始める必要があったのです。

そのため、まずは1953年にフランスのルノー公団(当時)と提携して、ルノー4CVを部品単位で輸入してのノックダウン生産、次いで全部品の完全国産化に取り組みました。

もちろん、その目的は『独自開発の乗用車開発・販売』だったので、4CVの国産化と並行してノウハウを吸収していき、日野独自の乗用車をどんな仕様にするか決めていきます。

当然、経験のある4CVのメカニズムから影響を受けつつ日本への最適化を図り、なおかつ日野製の4CVは『神風タクシー』の語源となったほど小型タクシーで好評だったことから、タクシー業界で有利な車内スペースと動力性能、耐久性を重視した設計になっていきました。

こうして1961年、日野自動車(1959年に改称)が初めて独自開発した乗用車、コンテッサ900が誕生したのです。

 

リアエンジンの和製ルノー、コンテッサ

 

日野 コンテッサ900のGP20エンジン / Photo by Andrew Bone

 

前述のような必然性から誕生したのは、4CVの独自発展系とも言えるRR(リアエンジン・後輪駆動)レイアウトで、小型タクシー向けにホイールベースと全幅を拡大して車内寸法を広く取った小型車でした。

リアサスペンションへのラジアスアームの追加とエンジンマウントの変更でリアアクスルの安定性を向上させ、走行安定性やトラクションを強化。

エンジンも4CVの21馬力748ccから35馬力893ccに拡大し、車重増加は最低限に抑えます。

また、4CVでフロアシフトだった3速MT(4速MTも追加)は、電磁セレクト式のシフトセレクター採用でコラムシフトでも楽にシフトチェンジ可能。

足元を広げてベンチシートも採用できたほか、オプションで『シンコー・ヒノマチック』という電磁オートクラッチも選択できました。

さらに車高を4CVより25mm下げて直線的なボディとすることでスポーティなデザインとなりましたが、着座位置を下げることで十分なヘッドクリアランスを稼いでいます。

しかし、車重750kgに35馬力エンジンは非力にも感じられますが、3,200回転から最大トルク6.5kgmを発揮するのでトルクウェイトレシオは現在の自然吸気版軽自動車より勝り、RR方式によるトラクション性能の高さもあって、問題になりませんでした。

むしろタクシー用途としては広くて速くてカッコイイ、狙い通りの新型車が完成したわけです。

 

ブルーバードもDFWもドーフィンもブッチギリ!激闘を制した第1回日本グランプリ

 

日野 コンテッサ900 / Photo by JOHN LLOYD

 

コンテッサの高性能ぶりは現場のタクシードライバーからの評価だけでも十分でしたが、さらにそれを証明する機会がやってきました。

それが1963年5月4日に鈴鹿サーキットで開催された『第1回日本グランプリ』で、C-IIIクラス(701~1,000ccのツーリングカー)にコンテッサ900が出場します。

このレースで、1,000ccの日産 ブルーバードやDKW1000、コンテッサ900にとっては本家筋にあたる845ccのルノー ドーフィンを相手に立ち回り、立原 義次のドライブで見事優勝してみせたのです。

さらには1,300cc以下のスポーツカーで戦われるB-Iクラスにも、エンジンを40馬力にパワーアップして4速MTと組み合わせたレース仕様で出場し、優勝こそDKW1000に譲ったもののオースチン・ヒーレースプライトやフェアレデー1200(SPL213)を抜き去る2位の好成績。

このレース仕様は翌1964年にコンテッサSとして発売され、エンジンは他のコンテッサ900にも搭載されて、その名声をますます高めることになりました。

 

主なスペックと中古車相場

 

日野 コンテッサ900 / Andrew Bone

 

日野 PC10 コンテッサ デラックス 1961年式

全長×全幅×全高(mm):3,795×1,475×1,415

ホイールベース(mm):2,150

車両重量(kg):750

エンジン仕様・型式:GP20 水冷直列4気筒OHV8バルブ

総排気量(cc):893

最高出力:26kw(35ps)/5,000rpm(グロス値)

最大トルク:64N・m(6.5kgm)/3,200rpm(同上)

トランスミッション:3MT

駆動方式:RR

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

日野 コンテッサ900 / Iwao

 

小型タクシー用としては絶大な信頼を得たコンテッサ900でしたが、ライバルのトヨペット・コロナや日産 ブルーバードが1,000cc、1,200ccと拡大していくと、さすがに893ccエンジンでは色あせていきました。

第1回日本グランプリでの勝利は、それでも総合的なバランスでコンテッサ900が勝る証明にはなったものの、商品として考えた場合にはもっと見栄えの良いモデルが必要とされたのです。

そこで2代目コンテッサたる『コンテッサ1300』が1964年9月に登場し、小型ボンネットトラックのブリスカともども、日野自動車の小型自動車史はもう少し続いていくのでありました。

 

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