各自動車メーカーが特別なモデルにつける称号は、クルマ好きにとってワクワクするアイコンとなっています。中でも各メーカーでいろいろな使われ方をする「R」の1文字を特別気合の入ったモデルに使うのが日産なのです。
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スカイラインGT-R(第1世代1969年、第2世代1989年登場)
日産の「R」でもっとも有名かつ偉大なる存在であり、日産車にとって「R」の1文字を特別なものにしたのがスカイラインGT-Rです。
元々はプリンス(1966年に日産と合併)車の通算3代目であり、1969年「日産スカイライン」となった初のスカイライン、C10系に初めて設定されました。
また、レーシングエンジンGR8のデチューン版であり、今では軽トラですら当たり前となっていますが、当時の国産車ではスーパーカー並の車にしかあり得なかった「DOHC4バルブエンジン」S20を搭載していました。
そんなスカイラインGT-Rは先代S54BスカイラインGT-Bの後継として、レースで勝利するために開発されたような車でしたが、非常に高額だったため「スカイラインの最高級グレード」と認識され、高級GTカーとして購入するユーザーも多かったと伝えられています。
そして、目論み通りレースで強さを発揮したスカイラインGT-Rは「日産最強」というだけでなく「国産スポーツGT最強」と伝説的存在になりましたが、次世代のC110系スカイライン(4代目)になると、ごく少数が生産されたのみで廃止され、レースにも出場しませんでした。
その後、R31(7代目)にグループAレースへの出場を前提としたGTS-Rが登場しましたが、本命はR32(8代目)で、名機RB26DETTを搭載するなどハイテク4WDターボGTとして「日本最強のスカイラインGT-R」が返り咲きを見せたのです。
しかし、3世代に渡った第2世代スカイラインGT-Rは、2002年には生産を終了し再び眠りにつくことになりました。
ブルーバードSSS-R(1987年登場)
1980年代に国内ラリー競技の改造制限があまりにも厳しく、ほとんど無改造で走らざるをえないというような時代がありました。
結果的にはそれが解禁される時期の登場となりましたが、メーカーで最初から競技仕様へのカスタムを行った「競技ベース車」がデビューしたのもこの時期で、8代目U12系ブルーバードに設定されたSSS-Rもその1台です。
1.8リッターDOHCターボのCA18DETに英コスワース製の鍛造アルミピストンを組み込むなどメーカーチューンドが施されたCA18DET-Rを搭載してクロスミッションと組み合わせ、ロールバーを最初から組み込んで4ドアセダンながら当初は2名乗車仕様のみ。
「工場出荷状態で競技車両となっており、ディーラーからラリー会場に直行できる」とまで言われたモデルでした。
そして後に、より低中速重視のSR20DETに換装されて速さを増し、全日本ラリーCクラスでギャランVR-4やファミリアGT-X、セリカGT-FOURと覇権を争っています。
しかし次世代U13以降のブルーバードはモータースポーツへの参戦も無くスポーツイメージが薄れたため、このSSS-Rが「ラリーのブル」と通称されたブルーバードが積極的にモータースポーツに参戦していた最後のモデルともなりました。
(※ただし、U14ブルーバードの神奈川日産独自モデルで「SSS-WR」という、知る人ぞ知るレアな車両もあります)
マーチR(1988年登場)
1982年に登場し10年間作られたロングセラーモデル、日産 K10型 マーチ(初代)のモデル後半に登場したモータースポーツベース車がマーチRです。
マーチRには、それ以前はグループBラリー車のランチア デルタS4、それ以降もフォルクスワーゲン車の一部に採用されただけという市販車としては極めて珍しい機構、ツインチャージャー(ターボとスーパーチャージャーの両方を搭載)を採用していました。
その上で、モータースポーツに参戦するターボ車の場合、排気量に掛け算する「ターボ係数」(多くの場合は1.7ですが、実際は時代や規則によりけり)を掛けても1,600cc以下のクラスに出場できるよう、930cc(930×1.7=1,581cc)に抑えたMA09ERTエンジンを搭載。
この種の「モータースポーツの規則に合わせた排気量」は第2世代スカイラインGT-Rも含め国産車でもいくつかの例があり、マーチRもその数少ない1台です。
後に一般向けに内外装を整えるとともにオートマ車も設定されたマーチ・スーパーターボも登場しました。
パルサーGTI-R(1990年登場)
スバルがレガシィからインプレッサへ、三菱がギャランからランサーへ、トヨタがセリカからカローラ(初代カローラレビンや日本未発売の4代目カローラFX)へと、より小型軽量の車にパワーユニットを移植して戦闘力を高める事は、どのメーカーでもよくある話です。
4代目N14系パルサーに設定されたGTI-Rも、ブルーバードSSS-R後期型のパワートレーンを押し込んだ小型軽量ハイパワーマシンで、WRC(世界ラリー選手権)での勝利を誓った入魂の1台でした。
ただし、時代は改造範囲の少ないグループAマシン時代。
ワイドフェンダーによるトレッド拡大は行われず、4WDターボユニットを押し込むにはあまりに小さ過ぎたエンジンルームというある意味中途半端なラリーベース車だったため、WRCでは終始パワーユニットの過熱や太くできないタイヤに悩まされました。
しかし、規則上それらの改善が可能なカテゴリー、例えば国内ラリーやダートトライアルなどで活躍できたのは事実で、現在も熱心なファンが存在するモデルです。
パルサーなど、多くのクルマに付けられたVZ-R(1997年登場)
1997年、5代目N15系パルサーのマイナーチェンジを機に、ホンダVTECや三菱MIVECに相当する可変バルブ機構を持ったSR16VEエンジン搭載モデル「VZ-R」が登場。
「青ヘッド」と呼ばれた通常版SR16VEの最高出力175馬力は、同年デビューのホンダ EK9シビックタイプR用B16B(185馬力)には劣ったものの、三菱 CJ4Aミラージュ・サイボーグ用4G92とは同等でした。
さらに「赤ヘッド」と呼ばれたスーパーN1耐久(現在のスーパー耐久)レース用のベース車向けSR16VEは、国産1.6リッターNA(自然吸気)エンジン最強の200馬力を発揮し、3ドアハッチバックのパルサーセリエ VZ-R・N1 / ルキノ・ハッチ VZ-R N1に搭載されています。
SR16VEを積んでVZ-R化されたモデル
・パルサーVZ-R / サニーVZ-R(4ドアセダン)
・パルサーセリエVZ-R / ルキノ・ハッチVZ-R(3ドアハッチバック)
・パルサーセリエSR-V VZ-R / ルキノSR-V VZ-R(5ドアハッチバック)
・ルキノVZ-R(2ドアクーペ)
GT-R(2007年登場)
トリを飾るのはもちろんこの1台、R35 GT-Rです。
「日産のR」と言えば歴代スカイラインGT-RやこのR35 GT-Rを指すことが多く、日産最強マシンであると同時に強烈なイメージリーダーでもあるため、数年の眠りから覚めるとスカイラインから完全独立、ポルシェ 911ターボをライバルとする国際戦略車となりました。
スペック的には国内外のスーパーカーにヒケを取らないため「スーパーカー」に分類されることもありますが、最上級のGT-R NISMOでも1,870万200円とスーパーカーとしては格安。
それでいて加速性能や高速走行性能でGT-Rに勝てる車がそうそうあるわけでは無いので、今でも「日産の”R”は世界に誇れる”R”」と言っても良いと思います。
デビューから10年たって古さを感じさせるのも事実ですが、ちょうど現在は「次世代の自動車は、たとえスーパーカーでも今までのハイパワーガソリンエンジンでいいのかどうか」が難しい時代です。
新たな「日産のR」にはいろいろと噂もありますが、もうしばらくはR35 GT-Rが代表的な日産の「R」ということになるのかもしれません。
まとめ
日産自動車では、現在のGT-Rの「車名の由来」について、以下のように説明しています。
“GTはGrand Touringの略、高速で遠乗りを楽しむの意。Rはレースの頭文字と、レースで名声をはせたプロトタイプ・スポーツカー「R380」のRに由来。”
R380由来ということなので、最初のスカイラインGT-Rからこの由来なのかもしれませんが、そこまでは触れられていません。
GT-R以外の「R」は多くがラリー競技用で、こちらは「Race(レース)」というより「Rally(ラリー)」の頭文字が思い浮かびます。
いずれにせよモータースポーツのイメージを重ね、その勝利を目指す入魂の1台へ特別な称号を授けるメーカーの中でも、「R」の1文字だけでブランドイメージを大きく高めているのが日産と言えるのです。
もっとも、近年の日産は最強の称号を「NISMO」に切り替えてブランドイメージ拡散に尽力しているので、これからの日産の「R」はGT-Rだけのものになるかもしれません。
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