ルノーとの提携以前、最後の黄金期を迎えた1990年前後の日産。1990年代に技術の世界一を目指す『901運動』の成果として世に出た数々の名車の中でも、FFセダン史上最高の名車と絶賛されたのが初代プリメーラでした。ただし当時の日本ではあまりに画期的過ぎた車だったのも事実で、ある意味『登場が20年早すぎた車』とも言えるかもしれません。
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国産コンパクトセダン界のオーパーツ、1990年に突如降臨した初代プリメーラ
1990年2月に初代P10型プリメーラが発売される以前、日産のFFセダン(マキシマ、ブルーバード、サニー、パルサー3兄弟)の走りは、大きな不満こそ無いものの、質的に十分なものとは言えず、むしろ国際的に見れば大味で物足りないものでした。
とはいえ1985年のプラザ合意以前の円安ドル高時代に『安くてよく走る車』が最大の売りだった日本車として日産が特別だったわけではありませんが、そこから『多少高くても世界が納得のいく品質』へ持ち込むには、少々考え方を変えざるを得ない、そんな時代だったのです。
そこでヨーロッパで徹底的な走り込みを行い、ボディ剛性やサスペンションセッティングの仕上がり、高速長距離走行からワインディングまでの快適性やハンドリングなどを損なわない車づくりで日本車は大きく変わっていきます。
中でも日産は、技術で1990年代に世界一を目指す『901運動』でもっともコダワリを見せたメーカーで、やがて1980年代末から続々登場する新型車は、それまでの国産車から一皮むけた存在として絶賛されるようになりました。
そしてフロントはマルチリンク、リアはパラレルリンクストラットで引き締められ、キビキビ走るセッティングのサスペンションは元より、5ナンバー枠に収まるコンパクトサイズながら、居住性に優れたパッケージングは日本でもヨーロッパでも高い評価を受けたのです。
動力性能面で言えば、トップグレードに搭載されたSR20DEエンジンは飛び抜けてパワフルというほどでもなく、1.8リッターのSR18Di/DEに至っては明らかにシャシーがエンジンに勝っており、スペック上高性能化していた国産車に比べ物足りなさは確かにあります。
しかし、当時増え始めていたヨーロッパからの輸入車に唯一対抗可能な乗り味を持った国産車として、最初は『名より実を取る』通好みなユーザーに、バブル崩壊後は派手さより実直さに回帰した保守的ユーザーにも好まれていきました。
欧州仕様5ドアやインフィニティ仕様、日本では別名だったワゴン/バンもあり
現在なら『プレミアム コンパクトセダン』と言われたであろう初代プリメーラは、日本とヨーロッパを強く意識して開発されたモデルでしたが、1989年に北米を中心に開設されたばかりの日産高級車ブランド『インフィニティ』でも販売されていました。
そしてインフィニティG20として販売された初代プリメーラは、高級車ブランド仕様らしく内装や装備が充実しており、エントリーモデルとして初期の『インフィニティ』ブランドを支えます。
ただ、高級車ブランドのブランディングとしては少々役不足だったようで、G20として北米で販売されたのは2代目までであり、G35(V35スカイライン)以降はアッパーミドルクラス以上のセダンやSUVが『インフィニティ』の中核となっていきました。
また、欧州仕様には、ごく短いノッチバック式の5ドアハッチバック車もありました。
そして日本にも2リッターモデルが輸入販売されましたが、当時の日本では5ドアハッチバック車が売れなかったことや流行し始めていたステーションワゴンやそれに便乗して『ショートワゴン』などを名乗った5ドアハッチバック車に比べると積載性に劣ったため、マイナーな存在。
それに加えて5ドアハッチバックとは別に、初代プリメーラにはステーションワゴン仕様もあり、さらに日本では商用ライトバン仕様すら販売されていました。
ただし初代のプリメーラワゴン/プリメーラバンなどは、探しても日本には存在しません。
どういう事かと言えば、『アベニール』の名で販売されていたステーションワゴンと、商用ライトバンの『アベニールカーゴ』がその正体で、欧州仕様を見ると確かにプリメーラの顔をしています。
2リッタークラスのツーリングカーレースで活躍
初代プリメーラがデビューした1990年代初期は、『2リッタークラスの4ドア車』によるツーリングカーレースが盛んになった時期でもあり、1993年からBTCC(英国ツーリングカー選手権)、1994年からJTCC(全日本ツーリングカー選手権)へ本格参戦しています。
1994年、ドイツでDTM(ドイツツーリングカー選手権)の車両開発コスト高騰が問題になると、下位カテゴリーとしてSTWカップ(スーパー トゥーレンヴァーゲン カップ。日本風に言えばスーパーツーリングカー選手権)が始まり、初代プリメーラも参戦しました。
そして最終的に2代目P11型プリメーラが登場(1995年)した翌1996年まで初代P10型プリメーラのレース参戦は続き、JTCC最終戦インターTECでリバースヘッドエンジン搭載型P10がP11より善戦するなど、最後まで名車ぶりを見せつけています。
主なスペックと中古車相場
日産 HP10 プリメーラ 2.0Tm Sセレクション 1995年式
全長×全幅×全高(mm):4,400×1,695×1,385
ホイールベース(mm):2,550
車両重量(kg):1,200
エンジン仕様・型式:SR20DE 水冷直列4気筒DOHC16バルブ
総排気量(cc):1,998
最高出力:110kw(150ps)/6,400rpm
最大トルク:186N・m(19.0kgm)/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:FF
中古車相場:27.8万~79万円
まとめ
『901運動の申し子』として同時期の日産車ともども高い評価を受けたプリメーラですが、その一方でブルーバードと同クラス車を2車種抱えた体制は問題でした。
トヨタのように『コロナとカリーナ、ちょっと性格は違うけど基本同じ車』とできればコストを抑える事も可能で、事実2代目P11型は10代目U14ブルーバードと兄弟車になりますが、やや遅きに失した感がありました。
初代P10型でブルーバードとの統一を図れなかったのが本当に惜しまれるところで、次世代への橋渡しが困難を極めた『901運動』同期車と同じく、結果的には日産の経営を悪化させてしまった一方で、後世にその偉大さが語り継がれる伝説的な1台となったのです。
保守的な見た目とは裏腹に、ハンドリングやパッケージングがあまりに革新的だったため当初は保守層が受け入れにくかったことからも、『20年早く生まれてしまった名車』と言えるかもしれません。
もしも将来の日本でセダンの復権があるとすれば、初代プリメーラのような車がその先陣を切るのでは無いでしょうか?
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