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1990年代にMotoGP™やWGPといった世界のレースで活躍し、今なお走り続ける群馬県出身の兄弟ロードレースライダー!”青木宣篤・青木拓磨・青木治親”の青木3兄弟を知っていますか?

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長男:青木宣篤
プロフィール

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名前:青木宣篤(Nobuatsu Aoki)
生年月日:1971年8月31日
出身地:群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)
10歳の時に初めてポケバイを始め、ミニバイクレースを経て1988年に ロードレースへ参戦を開始します。
そして翌1989年、史上最年少でロードレースライセンスが国際A級に特別昇格!
全日本ロードレース選手権GP250ccに参戦を開始します。その後、1992年に全日本ロードレース選手権GP250cc ランキング3位を獲得後、 ロードレース世界選手権GP250クラスを経て、1997年、最高峰クラスにステップアップを果たすのです。
レース戦歴・現在

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1997年にロードレース世界選手権GP500へステップアップを果たし、ランキング3位。ルーキーオブザイヤーを獲得した青木宣篤は翌年、スズキ・グランプリチームに抜擢され、エースライダーとして活躍を見せます。
その後、プロトン→スズキを経て、現在ではMotoGPの解説やスズキMotoGPマシン開発、鈴鹿8耐参戦などを行いながらキッズ向けのバイク教室やミニバイクレースを主催するなど、若い世代へのロードレース認知の為の活動を続けています。
1997年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (Rheos Elf-ホンダ / NSR500) ランキング 3位
1998年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (スズキ・グランプリ / RGV500) ランキング 9位
1999年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (スズキ・グランプリ / RGV500) ランキング 13位
2000年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (スズキ・グランプリ / RGV500) ランキング 10位
2002年 ロードレース世界選手権 (MotoGP)最高峰クラス (プロトン-チーム KR / プロトン・KR3) ランキング 12位
2003年 ロードレース世界選手権 (MotoGP)最高峰クラス (プロトン-チーム KR / プロトン・KR3) ランキング 21位
2004年 ロードレース世界選手権 (MotoGP)最高峰クラス (プロトン-チーム KR / プロトン・KR3) ランキング 21位
2005年 ロードレース世界選手権 (MotoGP)最高峰クラス (プロトン-チーム KR / プロトン・KR3) ランキング 21位
2006年 ロードレース世界選手権 (MotoGP)最高峰クラス (スズキ・MotoGP / GSV-R) スポット参戦
青木宣篤選手公式HP:http://nobuaoki.jp/
次男:青木拓磨
プロフィール

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名前:青木 拓磨 (Takuma Aoki)
生年月日:1974年2月24日
出身地:群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)
8歳の時に初めてポケバイに乗り、翌年からポケバイレースに参戦を開始します。
その後ミニバイクを経て1990年にロードレースデビューを果たしました。
そしてロードレースにステップアップした同年、間瀬(新潟)地方選手権、NB125、F3Wチャンプを獲得するなど、驚異の成績を叩き出し、翌1991年 国内A級を飛び越し、一気に国際A級に特別昇格を果たすのです。
そして、その年より全日本選手権国際A級250ccクラスに参戦。着々と勝利を重ね、1995年 にホンダ・ワークス チームHRCのライダーに抜擢され、全日本選手権スーパーバイククラス チャンピオンを獲得。
また、ロードレース世界選手権GP500クラス(現motogp)第3戦 日本GPにスポット参戦し、3位表彰台を獲得するという快挙を成し遂げました。
翌1996年も勢いは留めることを知らず、青木は全日本選手権スーパーバイククラスで2年連続チャンピオンを獲得すると同時に、前年同様スポット参戦したロードレース世界選手権GP500クラスで優勝!
1997年からREPSOL HONDAよりロードレース世界選手権GP500クラスへのフル参戦を開始するのです。
レース戦歴・現在

出典:http://japaneseclass.jp/
ロードレース世界選手権GP500クラスにフル参戦を開始した1997年、ホンダNSR500Vを駆り、参戦初年度にしてで2位1回、3位2回の表彰台を獲得。
シリーズランキングは5位という好成績を収めます。
そして、初年度の好成績に誰もが翌年の活躍に胸を膨らませていた1998年、栃木にあるホンダのテストコースでGP開幕前のテスト中に転倒。
脊髄を損傷し下半身不随という悲劇に見舞われてしまうのです。
1993年 ロードレース世界選手権 (WGP)250ccクラス (カップヌードル-ホンダ/ NSR250) 日本GP 8位
1994年 ロードレース世界選手権 (WGP)250ccクラス (カップヌードル-ホンダ/ NSR250) 日本GP 5位
1995年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (HRC-ホンダ/ NSR500) 日本GP 3位
1996年 スーパーバイク世界選手権 (SBK) (HRC-ホンダ/ NSR500) 日本GP 優勝
ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (HRC-ホンダ/ NSR500) 日本GP リタイア
1997年 ロードレース世界選手権 (WGP)500ccクラス (REPSOL HONDA/ NSR500V) ランキング 5位
1998年の事故で下半身不随になった後、青木のモータースポーツ人生は終わりを迎えたかに見えた。
しかし、翌1999年にホンダレーシング助監督としてロードレース界に復帰、TVのモータースポーツ番組での解説や子供向けのバイクを使った交通安全教室など、モータースポーツの復興に貢献し続けています。
また2007年からは、手動でアクセル・ブレーキ操作が可能な車を用い、国際格式FIA公認レース「アジアクロスカントリーラリー」など四輪ドライバーとしての活動も開始。
手動での車両操作機構の開発にも携わりるなど、自身が率先して色々な事に挑戦を続けながら、未来を担う子供たちやハンディをもつ多くの人々のモータースポーツ活動をサポート活動を精力的に続けているのです。
青木拓磨選手公式HP:http://www.takuma-gp.com/index.html
三男:青木治親
プロフィール

出典:http://www.motogp.com/
名前:青木治親 (Haruchika Aoki)
生年月日:1976年3月28日
出身地:群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)
6歳の時にポケバイをはじめ、ミニバイクレースを経て1992年にロードレースデビュー!
地方選手権で数々の好成績を残すと同時に、鈴鹿4時間耐久ロードレースで優勝を果たします。
そして翌、1993年には国際A級へ特別昇格が認められ、モトバムからロードレース世界選手権 (WGP)125ccクラスにフル参戦を開始するのです。
レース戦歴・現在

出典:http://www.motogp.com/
1993年、地方戦から全日本ロードレース選手権を経験しないままチームの推薦によりWGP125ccクラスにステップアップするという快挙を成し遂げた青木治親は、モトバムから参戦した初年度はランキング14位を獲得。
その後、1995年にはアリー・モレナー・レーシングに移籍し、1995年・1996年と2年連続でクラスチャンピオンを獲得します。
1993年 ロードレース世界選手権 (WGP)125ccクラス (モトバム/ HONDA) ランキング 14位
鈴鹿4時間耐久ロードレース(藤原克昭) 優勝
1994年 ロードレース世界選手権 (WGP)125ccクラス (モトバム/ HONDA) ランキング 12位
鈴鹿8時間耐久ロードレース(岩橋健一郎 / ウルトラマンパワード桜井ホンダ / RVF/RC45)7位
1995年 ロードレース世界選手権 (WGP)125ccクラス (アリー・モレナー・レーシング/ HONDA) チャンピオン
鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(青木宣篤 / ウルトラマンRT桜井ホンダ / RVF/RC45)リタイア
1996年 ロードレース世界選手権 (WGP)125ccクラス (アリー・モレナー・レーシング/ HONDA) チャンピオン
鈴鹿8時間耐久ロードレース(青木宣篤 / ウルトラマンRT桜井ホンダ / RVF/RC45) 7位
WGP125ccクラスで2年連続チャンピオン獲得後、1997年にはGP250クラスにステップアップ。そしてGP500、
スーパーバイク世界選手権を経て2003年、オートレースに転向を決意。
オートレース選手養成所に第29期生として入学し、翌2004年よりオートレーサーデビュー!
現在も川口オートレース場所属のオートレーサーとして活躍中なのです。
現在もそれぞれのステージで活躍を広げる青木3兄弟。
次のページでは、当時を振り返れる貴重な映像と、オーバルでの兄弟対決をご紹介します。