歯に衣着せぬコメントで多くの注目を集め、また多くのファンから愛されたF1ドライバー「マーク・ウェバー」。飾らぬ人物ながらも光る速さを見せてきましたが、初優勝まではとても険しい道のりを辿ったドライバーでもありました。今回はそんな彼のキャリアを振り返ってみたいと思います。

 

©Red Bull Content Pool

 

マーク・ウェバー:プロフィール

 

©Red Bull Content Pool

英字:Mark webber

国籍:オーストラリア

生年月日:1976年8月27日

F1通算成績

出走:215回

優勝:9回

表彰台:43回

ポールポジション:13回

ファステストラップ:19回

©︎BMW AG

 

オーストラリアのニューサウスウェールズ州に生まれ、15歳の時にカートを始めたマーク・ウェバー。

F1ドライバーの中では遅めのキャリアをスタートさせた彼は、カートで3年間経験を積むと戦いの場をフォーミュラへ移しました。

20歳の時にはヨーロッパへ渡り、イギリスF3への参戦を果たすと、その才能がメルセデスの目に留まり育成ドライバーに選ばれることになりました。

それを機にF3を卒業すると、FIA-GT選手権やル・マン24時間レースにも参戦します。

ル・マン24時間レースでは強力なマシンを擁し、優勝候補にも挙げられましたが、予選で宙を舞う大クラッシュをしてしまいます。

クラッシュの原因はマシンの欠陥によるものでしたが、レースへの出走は断念せざるを得ませんでした。

このアクシデントを受けて、メルセデスはスポーツカー部門から撤退。するとこれが彼のキャリアを大きく変える事になったのです。

メルセデスを離れたウェバーは再びフォーミュラへ戦いの場を移すことを決意します。

翌年からは国際F3000に参戦し、王座に届かないながらも存在感を示すと、その2年後にはなんとF1デビューのチャンスが訪れたのです。

これが12年に渡って続く、彼のF1生活の始まりでした。

 

一躍ヒーローとなったF1デビュー

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

2002年にF1デビューを飾ったウェバーが、最初に在籍したのがミナルディでした。当時は下位チームということもあり、無名の新人である彼は注目される存在ではありませんでした。

初めての予選はトップから約4秒落ちの18番手。上位争いを期待している人は居ませんでしたが、彼は初戦を終えるとすぐに多くの報道陣に囲まれる事になるのです。

スタートで上位陣がアクシデントに見舞われる中、ウェバーは混乱に乗じて8番手へ浮上します。その後も上位のドライバーがミスを犯す中、ルーキーらしからぬ堅実な走りを見せたのです。

レース中盤には入賞圏内の5番手を走行すると、思わぬダークホースの出現に多くの観客が驚きを隠せませんでした。終盤にはトヨタのミカ・サロの追い上げによって、5番手争いには大きな視線が集まることに。

ここでウェバーは守りの走りに徹し、見事サロを振り切ることに成功するのです。彼がチェッカーを受ける際には優勝を飾ったミハエル・シューマッハにも負けぬほどの大きな拍手が送られました。

レース後には、チーム代表のポール・ストッダートと共に表彰台の上でシャンパンを浴び、応援してくれた母国のファンに応えるパフォーマンスも披露。

これは彼にとって、この年唯一の入賞でしたが、彼がF1で通用することを証明し、その後のキャリアに大きな影響を与えた1戦となったのです。

 

勝てるマシンを求めてチームを渡り歩く

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

先述のデビュー戦もあって一気に評価を高めたウェバーでしたが、初優勝までは長い道のりが待っていました。

1年でミナルディを離れることが決まったウェバーは、より戦闘力のあるマシンを求めて2003年にジャガーへ移籍します。そして、デビュー2年目ながらも、早くもチームのエース格を担う事になったのです。

入賞を争えるマシンを手にした彼は前年を大きく上回る6度の入賞を果たすだけでなく、予選では度々トップチームを呑み込むほどの速さを見せました。

 

©︎BMW AG

 

こうした活躍が認められ、2005年にはついに名門ウィリアムズのシートをゲット!初優勝も間違いないだろうと思われていましたが…。詳細は次のページで!