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名門ウィリアムズ加入も、まさかの大苦戦

©︎BMW AG
2005年には、名門ウィリアムズへ移籍。ついに一躍トップドライバーとなるチャンスをつかむのです。
ウィリアムズは彼を主軸としたチーム作りを行い、それに伴って大きな期待を背負うことになりました。
モナコGPでは初の表彰台を獲得する活躍を見せましたが、中盤以降はチームと共に失速してしまいます。

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翌年には名門チームらしからぬ大不振に陥ってしまい、マシンに手を焼くだけでなく、多くのトラブルにも見舞われ、期待した結果には程遠い1年間を送る事になりました。
この結果を受け、2年でウィリアムズを離れることが決まると、ジャガーが名を変えた古巣、レッドブルに復帰を果たします。意外にも、これが、彼が速いマシンを手にするきっかけとなったのです。
デビューから132戦、F1史上最も遅い初優勝を飾る

©Red Bull Content Pool
2007年から、以前所属したチームに復帰したウェバーは、ようやくその速さを発揮できるチャンスが訪れました。
復帰初年度から何度も予選でトップ10入りを果たし、ヨーロッパGPでは2年振りとなる表彰台を獲得するなど、チームと共に存在感を放つようになりました。
苦労を重ねた彼に、ようやく光が当たる時が来たのです。

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2009年に導入されたマシンレギュレーションにおいて、レッドブルはマシン開発に成功。
シーズン序盤から表彰台の常連となると、デビューから8年目にしてようやく記念すべき瞬間を迎えました。
第9戦ドイツGPで初のポールポジションを獲得すると、レースでも驚愕の速さを披露します。
レース途中ではドライブスルーペナルティを受けてしまうものの、これを物ともせずトップを守り切り、悲願の初優勝を達成したのです。
実に初優勝までに132戦を要し、これは最も遅い初優勝として現在でも記録に残っています。
王座に迫る活躍と同僚との不仲

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初優勝を達成しブレイクを飾った翌年には、周囲の期待を大きく上回る走りを見せました。
チームは前年の活躍もあり、開幕前からチャンピオン候補に挙げられるなど高い評価を受けましたが、多くの注目はチームメイトであるセバスチャン・ベッテルへ集中しました。
長い間チームと共に歩んで来たウェバーでしたが、序盤に少し遅れを取ったこともあり、チーム内でもベッテルを優遇するような傾向が見られたのです。これをきっかけに両者の不仲が報じられるようになりました。
遅れを取り戻したいウェバーは、スペインGPからモナコGPにかけて連勝を飾ると、3連勝を懸けたトルコGPで事件が勃発したのです。

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レース中盤、トップを争っていたレッドブルの2台が接触。ベッテルはリタイアを強いられ、ウェバーは、なんとかレースに復帰し3位に入りましたがチームの雰囲気は一変してしまいます。
また、イギリスGPで優勝を飾った際に、チームに対し「ナンバー2(ドライバー)にしては悪くないだろ?」という皮肉を込めたメッセージを送るなど、チームとの関係は頻繁に取りざたされるようになりました。
そんなムードのなか、着実にポイントを積み重ね、終盤にはタイトル争いの本命にも挙げられる強さを披露します。そして、初のF1王者を懸けて最終戦アブダビGPに臨んだのです。

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しかし、この大一番で本来の速さを発揮出来ず、予選5番手に沈むと、レースではさらに苦しい展開が待っていました。
序盤で新しいタイヤに交換し逆転を目指したのですが、遅いマシンに邪魔をされてペースを上げる事が出来ず、この戦略は大きく裏目に出てしまったのです。
なんとか少しでも順位を取り戻そうと、懸命な走りを続けるのですが、抜きにくいコースも彼にとって向かい風となり、健闘も実らず8位でレースを終えました。
マシンを降りたウェバーがそこで目にしたものは、不仲が噂されたチームメイトが涙の初戴冠を決めた瞬間だったのです。
チームメイト主導の体制のなか7年を戦い抜く

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惜しくも王座を逃したウェバーは、再び奮闘を誓いましたが、ベッテルが王者に輝いたことでチーム内でさらに不利な立場を強いられることになってしまいました。
2011年以降はチームメイトが快進撃を続けるなか、頻繁に上位を争うものの、その陰に隠れてしまう形となってしまうのです。

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また、時間が経ってもチームとの不和は解消されず、時には首脳陣とも衝突するという報道も見られるようになりました。
それでもモナコやシルバーストーンなど、得意のコースでは優勝を飾る活躍もあり、2012年はコンストラクターズタイトルにも大きく貢献し、チームは見事に3連覇を達成しました。
しかし、この頃から彼は、F1からの引退を考えるようになったのです。

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チームメイトを推すチーム体制は彼にとって苦しいもので、彼のマシンを担当するメカニックですら、孤立を強いられるという噂も立つようになりました。
そして2013年のマレーシアGPでは、彼が引退を決意したと言われる事件が起こるのです。
レース終盤に1位ウェバー、2位ベッテルという1-2体制を築いたレッドブル勢は、確実に順位を維持するため、両者にポジションキープの指示を出しました。しかし、ベッテルはこの指示を無視し、トップを奪いにかかったのです。

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これに驚いたウェバーは急きょ抵抗をすると、接触寸前の大バトルへと発展。最終的にベッテルが優勝を奪い、表彰式の直前にウェバーが怒りを露わにするシーンも映し出され、ファンや関係者からは様々な意見が寄せられました。
そして、シーズン中盤で突如F1引退を宣言したのです。
発表直後のイギリスGPでは2位表彰台を獲得し、彼のこれまでの健闘を称え、ファンからは盛大な拍手が送られました。

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そして、引退レースとなったブラジルGPでは2位でキャリアを締めくくると、ウィニングランではヘルメットを脱いで走行するという前代未聞のパフォーマンスを披露します。
これは彼の率直なコメントとは異なる、お茶目な一面が垣間見えた瞬間でもありました。
F1引退後はWECで成功を収める

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2013年を以ってF1を引退したウェバーは、自身にとって15年振りとなるWEC(世界耐久選手権)への参戦を決意します。
同じくその年よりWECに復帰したポルシェへの所属が決まると、開幕当初から多くの期待が寄せられました。
そして、初戦から速さを見せ、シーズン3度の表彰台を獲得。2年目には多くの人々の予想を裏切る大活躍を収めたのです。

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彼がドライブする17号車は、全8戦中6度の表彰台フィニッシュを達成。
そのうち優勝は、シーズンの半数となる4回を数え、文句なしの強さで2015年のドライバーズタイトルを獲得します。
連覇が期待された翌年は、序盤に出遅れたものの、第4戦ニュルブルクリンクで優勝を飾った以降は見事な巻き返しを見せ、終わって見れば前年と同じ4勝を達成していました。
そしてこの年、彼の15歳から続いたレースキャリアの最後の1年となったのです。

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2016年、第7戦富士を前にレースからの引退を表明すると、残りの3レースは全戦で表彰台に上る活躍を見せます。
惜しくもドライバーズタイトル連覇はなりませんでしたが、最終のレースでは同じマシンをドライブした仲間と表彰台でシャンパンを浴び、キャリアに別れを告げたのです。
まとめ

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F1ドライバーの多くがシリーズタイトルを経験していますが、ウェバーはタイトルとは無縁のキャリアにも関わらずF1まで上り詰めました。
史上最も遅い初優勝を記録するなど、決して直ぐにスポットライトが当たった訳ではありません。しかし、彼がキャリアを終える時には多くのトロフィーを手にしていたのです。
仕事人とも言える彼の走りはチームを助け、レッドブルでの4連覇やポルシェでのドライバーズタイトル獲得という成功をもたらしました。
近年、彼のようなキャリアを歩むドライバーはあまりいませんが、戦い続けることで、いつか勝利を掴むことが出来るという事を証明してくれたドライバーだったのではないでしょうか。
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