トヨタ自動車の社長・豊田章男氏が大のクルマ好きで、自らレーシングカーを乗りこなすほど腕の立つドライバーであることは周知の事実です。今回取り上げるのは、そんな彼が社長就任以来ずっと語り続けている「もっといいクルマを作りたい」という言葉。具体的な数値目標を掲げ、それを達成し続けることで規模を拡大したトヨタが、一番に掲げるキーワードとしてはあまりにもフワッとしたフレーズだと思いませんか?その真意とは一体何なのでしょうか。彼の生い立ちまで遡り、探ってみました。

掲載日:2017/10/26

©TOYOTA

 

 

豊田章男のプロフィール

 

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豊田章男氏(以下敬称略)の語る、いいクルマとは何なのか…という話を展開していく前に、まずは彼の生い立ちから話していきましょう。

彼のことを「将来を約束された創業家の御曹司」と認識されている方は意外に多いのではないでしょうか。

この先入観が先にあると、彼がレーシングスーツに身を包んで、スポーツカーをドイビングする姿が、よく言われる「社長の道楽」に見えてしまうかもしれません。

彼は確かにトヨタ自動車創業家・豊田家の3代目(初代社長・喜一郎の孫、6代目社長・章一郎の長男)として生まれた、正真正銘のサラブレッドです。

幼い頃から父の影響でクルマに触れる機会が多かった豊田は、根っからのクルマ好きとして成長していきました。

大学は慶応義塾大学に進し、学業に励むと同時にスポーツにも精を出し、アイスホッケー日本代表にも選出されるなど文武両道。

大学卒業後は語学留学の為に渡米し、語学だけでは、と続けて経済学を学び、MBA(経営学修士)を取得します。

そしてここで帰国して、約束されたトヨタ自動車へ入社、と思いきや…彼はアメリカに残り、投資銀行への就職という道を選びました。

実は豊田自身、トヨタへの入社をまったく考えたことがなく、ただただ「本物になりたい」という思いから、留学だけでは満足できず、現地で働いて経験を重ねる道を望んだというのです。

また、父・章一郎も、彼にトヨタの入社を勧めることは一切なかったと言われています。

その一方で、彼は出会う人のほとんどが「豊田家の3代目」として自分を見ている、という事実にだんだんと気が付く事に。

自分のキャリアを築く為に働いているのに、人からはトヨタの跡継ぎ、という目で見られてしまうのです。

それにより豊田は「自分は何者なんだろう」という自問自答に苛まれました。

そんな豊田に追い打ちをかけたのは、上司から言われた「君は頑張っているが、どうせ頑張るならトヨタの為に頑張ったらどうだ?」という言葉でした。

豊田はこの言葉で迷いを吹っ切り、それは自分にしか出来ない生き方だ、と気付かされたのです。

ここから豊田はトヨタ自動車への入社を決意しますが、章一郎の対応は非常に冷めたものでした。

「お前を部下に持ちたい者はトヨタにはおらんだろう。」「特別扱いは一切しないぞ。」

それでも豊田は、履歴書を書いて一般の中途採用枠で面接を受け、その結果無事に入社を果たしたのです。

 

ガッツ溢れるトヨタマン

 

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そこからは父の「特別扱いしない」の宣言通り、豊田は当初、生産管理、国内営業の厳しい現場で揉まれていきます。

ある時には係長から平社員への降格人事なども経験しますが、彼は持ち前の反骨精神で、社内での評価を勝ち取っていきました。

彼は御曹司でありながら、ガッツあるトヨタマンとして出世街道を一歩ずつ進んでいったのです。

中でも大きな功績のひとつが業務改善支援室の課長時代に取り組んだ、中古車画像検索システム「Gazoo」の立ち上げでした。

現在ほどインターネットが活用されていなかった当時、それは非常に先進的な試みで、その導入により中古車の在庫台数を大幅に削減することに成功。

豊田が社内に初めて「ネットの有用性」を持ち込んだと言っても過言ではないのです。

更にはこのシステムがベースとなり、ユーザー向け総合情報サイト「GAZOO.com」が誕生。

ちなみに、現在も使われているこのGAZOOというネーミングは、もとは中古車「画像」の「ZOO(動物園)」が由来と言われています。

こういった功績が認められ、豊田は2000年に44歳という若さでトヨタ自動車取締役の座に就任。

この頃から周囲はその実力により、彼のことを「未来の社長」として見る様になっていった様です。

 

マイスターとの出会い、そして弟子入り

 

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ビジネスパーソンとして順調なキャリアを築いていた豊田。

彼はクルマに造詣が深い人物として社内でも比較的有名でしたが、業務以外の専門的な自動車に関する技能を備えていた訳ではありませんでした。

そんな豊田を、ある人物との出会いが大きく変えていきます。

それは、彼がアメリカ現地法人の副社長を務めていた頃の事でした。
ある試乗イベントで、豊田はひとりのテストドライバーからこんな事を言われてしまいます。

「あなたみたいな立場の人に、運転の基本もわかってないのに、ちょっとクルマに乗っただけで、ああだこうだと言われるのは迷惑だ!」

彼にこんなキツイ言葉を浴びせた人物とは、トヨタの300名いるテストドライバーの中でもっとも優秀な「トップガン」と呼ばれるうちのひとり、成瀬弘でした。

1960年代からトヨタに在籍する成瀬は、トヨタ製のほとんどのスポーツカー開発にメカニックとして、またテストドライバーとして関わってきた、社内でも伝説的な存在。

成瀬は、コストや販売需要を気にする反面「クルマの味付け」や「面白さ」に無関心な上層部に、幾度も妥協を強いられてきたのです。

「味のあるいいクルマを作らなければ、トヨタに未来はない」というのが成瀬の揺るぎない考えでした。

走行性能を高めなければ、気持ちいい乗り味を追求しなければ、いつまでたっても欧州メーカーには勝てないし、それらの良き「廉価版」として売られていく…本当にそれで良いのか。

そこで、将来社長になる豊田に「きちんとクルマの良し悪しが分かるトップになってほしい」と、思いの丈をぶつけたのです。

豊田は思いを受け止め、なんと成瀬への「弟子入り」を自ら申し出ます。

それは同時に豊田にとって、「自分のクルマへの愛が本物か」を試す試練でもありました。

そして彼は月に最低1回は多忙の合間を縫ってテストコースを訪れ、使い古されたスープラに乗って成瀬からドライビングの手ほどきを受け、運転の腕を磨いていくことになるのです。

 

まとめ

 

誰よりもいいクルマを作りたい、という情熱を持った成瀬に出会い、彼の背中を見て自動車メーカーがどうあるべきか、「いいクルマづくり」とは何か、を追い求めていくことになる豊田。

次回の記事では、豊田がこの特訓から何を学んだのか…そして、モータースポーツとの出会いにも迫っていきます。

 

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