チェコ生まれの自動車メーカー、「シュコダ」。現在はフォルクスワーゲン(VW)グループに属しており、チェコ国内での自動車販売シェア1位を獲得するほどの勢いがあるメーカーです。日本ではシュコダの知名度はあまり高くありませんが、WRCやPWRCへも積極的に参戦するなど、モータースポーツにも力を入れているメーカーでもあります。
シュコダとはどんなメーカー?
シュコダは、チェコで自動車販売シェア1位を獲得するほどの大企業です。
現在はフォルクスワーゲングループに属し、主にゴルフやアウディなどをベースとした車を販売しています。
中国やヨーロッパ、特にドイツで人気のメーカーで、コディアックやファビアなど、高い実用性と力強い走り、美しいデザインを兼ね備えた車が、高い人気を博しています。
シュコダの歴史
シュコダの始まり
シュコダの起源は1895年。
チェコが、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の占領下だった頃にまで遡ります。
書籍を販売して生計を立てていたヴァーツラフ・クレメント氏と、機械工のヴァーツラフ・ラウリン氏が共同で「ラウリン&クレメント」というメーカーを立ち上げます。
このラウリン&クレメントがシュコダの前身で、当初は「スラヴィア」というブランドで、自転車を生産、販売していました。
やがて自転車から補助エンジン付き自転車、そこから1899年にオートバイの販売も始め、1901年には同メーカー初の自動車として社名と同じ名前の、ラウリン&クレメントを世に送り出します。
そして1907年の株式会社化を経て、1912年には別の自動車メーカーである「レイヒェンベルガー自動車工業」を買収するなど、勢いを増していきました。
シュコダブランドの成立
やがて1914年に第一次世界大戦が勃発すると、その戦時特需によって急成長を遂げ、オーストリア=ハンガリー帝国を代表する一大自動車メーカーへと発展します。
第一次世界大戦での敗戦によってオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、終戦後の1918年からチェコスロバキア共和国が誕生。
この期間も、ラウリン&クレメントは乗用車、トラックなどから航空機のエンジンまで、多種多様な業務を手掛け、好調な業績を上げますが、1924年の工場の大規模火災によって状況は一変。
経営難に陥ったことで、ラウリン&クレメントは翌年、特殊鋼や兵器製造なども担っていた国内の大資本、シュコダ工業株式会社に買収されてしまいます。
この時、創業者の一人であるヴァーツラフ・ラウリン氏はその技術を買われ、技師長として、1926年当時に開発中だったラウリン&クレメント360を、シュコダ360として販売。
シュコダブランド名義で車の販売を続け、1925年から1928年の間には、フランスのイスパノ・スイザと提携し、最高級車のイスパノ・スイザH6Bのシュコダ版、シュコダ・イスパノ・スイザとして製造します。
シュコダはその後も自動車製造を続けますが、ナチス・ドイツが誕生し、ポーランドに進出したことで、第二次世界大戦が勃発。
チェコスロバキア共和国がナチスに占領された後、シュコダはドイツのヘルマン・ゲーリング工業の傘下に置かれ、兵器製造などを担うことになりました。
シュコダの国営化から民営化へ
やがて第二次世界大戦が終結し、1948年の社会主義政権樹立に伴って、シュコダはチェコスロバキア共和国によって復興を目的に国有化され、AZNPとシュコダ・プルゼニに分離。
その後、1950年代から1960年代にかけては国際ラリーで好成績を残したオクタヴィアなどの車を開発し、社会主義政権下でありながらも、国際競争力を維持します。
その後、やがて1989年のビロード革命によって社会主義政権が崩壊したことを受け、AZNPは再び民営化され、1991年にはフォルクスワーゲングループに属することを決定。
フォルクスワーゲンの技術やデザインが導入されたことで、シュコダは大幅な技術やデザインの向上を遂げ、ヨーロッパを主な市場として、オクタビアやファビアなどの車を販売しています。
そして現在は、2008年に累計販売台数が67万4530台に達するなど、世界で通用する巨大自動車メーカーとして活躍し続けています。
シュコダのモータースポーツへの参戦
シュコダが初めてモータースポーツに参戦したのは、社会主義体制下の1960年代のことでした。
その後、1975年にはWRCに参戦し、総合優勝は逃したものの、クラス優勝圏内での大活躍を見せたことで、足跡を残すことに成功します。
そして社会主義体制が崩壊し、再民営化を経てフォルクスワーゲングループに入った後は、1994年に2Lワールドカップを獲得し、その後も積極的にワークスチームとして参戦。
ラリージャパンの1年後にWRCから撤退してからは、プロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)やインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)に出場するなど、精力的に活動を続けています。
当時新開発のファビアS2000は、スバルや三菱などの強力な日本国内メーカーを相手に優勝するなど、好成績を残し、今やシュコダを代表する1台に数えられています。
まとめ
長い歴史を持つシュコダ。
二度の世界大戦を経験し、社会主義政権下で国有化され、体制崩壊後の再民営化を経てフォルクスワーゲングループに属するなど、紆余曲折を辿ったメーカーです。
今やモータースポーツにも積極的に参加し、そのことによってファビアが代表的な車種として、認知されました、。
主な市場がヨーロッパなことから、同地域ではメジャーな存在であり、欧州旅行に行った日本人が、現地でシュコダ車を見かける機会も多いと思います。
今後もシュコダの活動から、目が離せません。