1967年、GMはシボレーブランドからカマロを登場させ、そのわずか3年後に2代目カマロが誕生しました。当時のアメリカには、ポニーカーと呼ばれた若者向けのスポーツカーが多く、ライバル車と競りながらマイナーチェンジを繰り返していた歴代カマロの中で、一番長く存在したのは、この2代目カマロでした。
掲載日:2018/05/19
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ポニーカー争いに対抗すべく誕生した、シボレー2代目カマロ
1960年代前半のアメリカでは、第二次世界大戦後に生まれたベビーブーマー世代が運転免許を取得する時期を迎えており、アメリカの自動車メーカーは彼らに自社の車に乗ってもらえるように、若者受けを狙ったモデルの開発に力を注いでいました。
その方針は、コンパクトで低価格でありながらスポーティーな性能を持つ車とされ、ベースモデルの価格を2,500ドル程度にして豊富なオプションで自分好みの車にできるようなモデルが若者に人気となり、1964年にこれらを実現させたフォード・マスタングが大ヒットします。
そんなマスタングは『小型の野生馬』を意味しており、本格的な乗馬を始める子供に与えるポニーのような車として『ポニーカー』と呼ばれるようになりした。
その後、追従するようにクライスラーはプリムスブランドから1964年に『プリマス・バラクーダ』、ダッジブランドから1970年に『ダッジ・チャレンジャー』を登場させ、いつしかこれらの車全体をポニーカーと呼ぶようになります。
一方、GMはシボレー・コルベットというスポーツカーを販売していましたが、こちらは高額なスポーツカーだったため、1967年に新しいポニーカーとしてシボレー・カマロを発売。
1970年にフルモデルチェンジを行って、2代目カマロが誕生しました。
シボレー・カマロと姉妹車ポンティアック・ファイアーバード誕生
GMは初代カマロにクーペとコンバーチブルの両方で利用でき、さまざまな排気量のエンジンを搭載できるようFプラットフォームを新開発しました。
そして、そのFプラットフォームは、GMのポンティアックブランドから発売する『ポンティアック・ファイアバード』にも採用され、エンジンも共通だったためカマロとファイアーバードは姉妹車的存在。
そんなシボレー・カマロとポンティアック・ファイアバードを1967年に発売。
一方で、先に登場していたフォード・マスタングは発売翌年となる1965年に約56万台を売り上げ、発売から18か月で100万台以上のビッグセールスを記録し、ライバルとなるポニーカー達を大きく上回っていました。
そこで、GMはシボレー・カマロを登場させてからわずか3年で、フルモデルチェンジを行う決断をするのです。
デザインを一新し、2代目カマロ登場!
1970年2月に2代目カマロが発売され、エンジンは新しく3.8リッターV型6気筒が追加されました。
また、新たに採用されたF型プラットフォームとサスペンションは乗り心地や静粛性能、運動性能を向上。
モデルは『Base Coupe』の他に、スポーツ性を重視した『SS Coupe』、最上級の『Z28 Coupe』をラインナップ。
外観やスタイルは大幅に変更され、ボディは大型化されてヘッドランプやフロントグリルのデザインを大きく変更しましたが、安全性向上のために2代目からコンバーチブルモデルは用意されませんでした。
1970~1973年カマロ存続の危機に
1970年代9月にポニーカーに対する自動車保険料率が上がったことで、若者のポニーカーへの関心が薄れていきました。
また、時を同じくして従業員による大規模なストライキが起こり、67日間製造・販売がストップしてしまいます。
それに加え、別の労働組合が1972年に大規模なストライキを起こしてオハイオ州ノーウッド工場は174日間稼働せず、1973年に取り付けられるはずだったバンパーがアメリカの定めた安全基準に達していなかったこともあり、約1,100台のカマロが出荷できず結局はスクラップさてしまう事に。
そして不運はさらに続き、1973年にオイルショックが起きたことで排ガスや燃費、安全性といった規制がさらに厳しくなり、カマロで規制をクリアさせることが難しくなっていきます。
これらの要因により、GMの一部ではカマロを存続させるか協議されるほどにもなりましたが、前年比から大幅にパワーダウンさせ規制をクリアさせることで、継続販売することになりました。
1974年ライバル車製造終了となる中、2代目中期カマロ登場!
1973年、『SS Coupe』の販売を終了し、新しいスポーツモデル『Type LT Coupe』が登場しました。
そして翌1974年、カマロはアメリカの新しい安全規格に合わせ5マイルバンパーを装備し、後方の視界を良くするためにラップアラウンドリアウィンドウを採用。
5.8リッターV型8気筒エンジン搭載の最上級グレードは、1973年に比べて約30PSもパワーダウンさせ規制をクリア。
一方で、他メーカーも排ガス規制をクリアさせることに試行錯誤します。
また、ポニーカーの名付け元であるフォード・マスタングがモデルチェンジでさらにコンパクトになり、同じポニーカーカテゴリーから離脱。
クライスラーの初代ダッジチャレンジャーも1974年で製造終了となり、2代目ダッジチャレンジャーは1978年に登場するも三菱・ギャランΛ(ラムダ)をダッジチャレンジャーと名付けて販売したものでした。
他にも当時ポニーカーだったプリムス・バラクーダやAMC・ジャヴェリンなども1974年で製造終了。
これにより、ポニーカーはシボレー・カマロ、ポンティアック・ファイアバードのみとなり、全盛期よりポニーカーの人気が薄れていても需要は十分あり、カマロは逆風を乗り越え好調なセールスを続けました。
1979年2代目後期カマロ登場!Tバールーフ追加
1979年、他のアメリカ自動車メーカーから続々と新しいスポーツカーが登場し、欧州車や日本車の輸入量も多くなっていく中でカマロは徐々に人気が薄れていきます。
この時、カマロは外装デザインを若干な変更をしており、『Type LT Coupe』が無くなって新モデル『Berlinetta Coupe』と『Rally Sport Coupe』を追加。
また、新しい試みとして、オープンカーに値するTバールーフモデルを登場させました。
これは左右2分割の脱着式グラスルーフを備え、外したパネルは容易にトランクスペースへ収納できるもので、カマロの販売促進のテコ入れを図りますが1981年を最後に2代目カマロは製造終了。
1982年からは3代目カマロとなりました。
IROCのストックカーとして活躍
IROC(インターナショナルレースオブチャンピオンズ)は、インディカー、NASCARなどアメリカで行われるカーレースで優秀な成績を収めて招待されたドライバーのみが出場できる選手権です。
全ドライバー共通のストックカーで争われ、1974~2006年まで開催。
開催初年度はポルシェ911で行われ、1975~1980年、1984~1989年はカマロが用いられていました。
2代目カマロのスペック
1970年式 シボレー カマロ 250 Turbo-Thrift スペック | |
---|---|
全長×全幅×全高(mm) | 4,775×1,890×1,273 |
ホイールベース(mm) | 2,743 |
乗車定員(名) | 4 |
乾燥重量(kg) | 1,387 |
エンジン種類 | 水冷直列6気筒OHV |
排気量(cc) | 4,093 |
最高出力(kW[PS]/rpm) | 115[157]/4,200 |
最大トルク(N・m[kgf-m]/rpm) | 319[32.5]/1,600 |
トランスミッション | 2速AT/3速MT |
駆動方式 | FR |
トップスピード(km/h) | 174 |
0-100 km/h (秒) | 12.2 |
燃費(km/L) ※発売時のカタログ値 |
city:4.7~5.7 highway:6.3~7.5 average combined:7 |
シボレー2代目カマロの中古車価格は
カマロは2代目モデルになってから大洋シボレー、伊藤忠オートなどから正規輸入されていたため、現在インターネットでカマロの中古車を検索すると、2代目モデルが数台は出てきます。
価格は表示されているもので200~500万円で、それ以外『ask』や『応談』と表示されているものがいくつか。
カマロの中古車では、1978~1981年の後期型が比較的安価で、年式が古くなるにつれて高額になる傾向にあります。
また、旧アメ車は状態判定やメンテナンスなど特殊なところもあるため、旧アメ車に詳しいところや専門店で購入することがおススメです。
まとめ
1967年に登場してから現在に至るまで販売され続けているシボレー・カマロ。
ストライキやオイルショックなどの試練を乗り越えることができなければ、カマロは存在していなかったかもしれません。
そういった意味で2代目カマロは偉大であり、現行型カマロにも影響を与えたモデルといえるでしょう。