1966年のル・マン24時間における、フォードとフェラーリの戦いを題材にした映画「フォードvsフェラーリ」。その中でも、フォードGT40の開発に携わった二人の男”キャロル・シェルビー”と”ケン・マイルズ”にスポットを当てて進められるこの映画は、アメリカでは公開当初からかなりの高評価を受け、アカデミー賞2部門の受賞を果たしました。そんな主人公の一人である”ケン・マイルズ”にスポットを当て、その生涯を紹介します。
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「フォードvsフェラーリ」は史実ベースのエンターテイメント映画
まず、「フォードvsフェラーリ」はあくまでも映画であり、ノンフィクションのドキュメンタリー映画ではないということを理解しておく必要があります。
車に興味がない人でも楽しめるように、誇張表現や時系列の入れ替えなどがおこなわれていますが、内容は非常に高いレベルでまとまっており違和感はありません。
とはいえ、車好き、モータースポーツ好きがニヤリとするような演出も随所に仕込まれており、モータースポーツ映画の最高傑作と言っても過言ではないでしょう。
ここから先は、映画の内容にも触れていきますので、まだ見ていないという方はまず、劇場で公開中の映画を見に行くことをお勧めします。
「西海岸のスターリング・モス」ことケン・マイルズ
「フォードvsフェラーリ」では、キャロル・シェルビーとケン・マイルズの2人の主人公により、物語が進んでいきます。
キャロル・シェルビーはご存じ、シェルビー・コブラやデイトナクーペで有名なシェルビー・アメリカンの創設者です。
一方のケン・マイルズはこれまであまり有名ではなかった為、この映画で初めて名前を聞いたという方も多いのではないでしょうか?
ケン・マイルズは、イギリス生まれのエンジニア兼ドライバーであり、1952年、34歳の時にアメリカに移住しました。
イギリスに住んでいたころから自身でクルマのメンテナンスや改造を行ったスポーツカーでレースに参戦していましたが、アメリカでその才能が開花します。
MGを改造して作ったレーシングカー”flying shingle”は素晴らしい性能を発揮し、レースで大活躍。
その影響もあってか、映画では触れられていませんが、実は1955年にはル・マン24時間にMGを駆って参戦しています。
そして1960年代初頭にはシェルビー・アメリカンに入社し、エンジニア兼テストドライバーとして働きはじめました。
こちらも、フォードGT40プロジェクトが開始して暫くしてからシェルビー・アメリカンに加入したという映画の内容とは異なる点です。
フォードGT40プロジェクトではシェルビー・アメリカンのチーフテストドライバーとして関与し、MK1からMK2への進化に多大な貢献をしたと言われています。
映画ではフォードの方針で参戦が見送られた1965年のル・マンには、史実ではブルース・マクラーレンと組んで出場。
映画内でも触れられていた通り、ミッションに問題を抱えていた為、トラブルでのリタイアとなっています。
圧勝劇を見せたデイトナ24時間と、20mに泣いたル・マン24時間
ケン・マイルズを1966年のル・マンに連れていくかどうかをかけたレースとして描かれたデイトナ24時間。
映画内ではシェルビー・アメリカンチームvsナスカーメカを擁するフォードワークスという描かれ方をしていましたが、こちらは映画における演出です。
実際のレースではシェルビー・アメリカンが3台のGT40を投入し、エースカーをドライブしたケン・マイルズは2位と8周差をつけ、ぶっちぎりで優勝を果たしています。
そのため、ラストラップでエンジンを7000回転以上回すことを解禁されたケン・マイルズの大逆転!というシーンは、現実にはありませんでした。
史実に近いル・マン24時間の描写
一方、ル・マン24時間のレース描写については、かなり史実に近い表現がなされています。
ヨーロッパでは「Le mans 66’」というタイトルになっているほどであり、その気合の入り方は脱帽物です。
映画におけるル・マンのピットはCGではなくセットで組まれており、そのリアリティはまるで当時撮影したかのようで、スタート直後や序盤のクラッシュなども、限りなく史実と近い映像となるようにCGではなくレプリカを使って撮影されており、見ごたえは抜群です。
そんなル・マン24時間レースはフォード副社長の指示により、3台揃ってフィニッシュをすることとなります。
さすがに映画ほど完璧な横並びとはなっていませんでしたが、実際にも写真の通り1号車と2号車の2台は横並びでフィニッシュしています。
しかし、映画でも描かれていたように、2号車の方が後方からスタートしたことで、20m多く走っていた為、優勝は2号車という裁定が下されました。
こちらも、ケン・マイルズが一周前に出ていると勘違いしていた説や、フォードが裏で工作した説など様々な話がありますが、現在でも真相は闇の中です。
かくして、ケン・マイルズの1966年のル・マン24時間への挑戦は2位という結果で終わる事となりました。
ケン・マイルズの死と、フォードル・マンプロジェクトのその後
映画のラストで描かれているように、ケン・マイルズは新しい車輌のテスト中の事故で亡くなっています。
FIAのJ規則に沿って開発されていた車両であることから、フォードJカーと呼ばれる新型車両のテスト中だと推測されます。
ル・マンフィニッシュ後に、キャロル・シェルビーとアルミモノコック車輌を考えているという会話をしているシーンがありますが、まさにそれが新型車の話なのです。
映画では、JカーとGT40MK4が混ざったようなビジュアルの車輌がちらりと映し出されているので、ぜひ注目してみて下さい。
また、フォードは1967年以降もGT40によるル・マン24時間への出場を続け、1969年までの4連覇を達成したのち、目標は果たしたとして撤退します。
その後、長らくフォード社のル・マン24時間参戦は無かったものの、2016年にフォードGTにてGTカークラスに出場し、クラス優勝を果たしました。
まとめ
史実と創作を絶妙なバランスで融合させ、誰が見ても楽しめる内容となっている映画「フォードvsフェラーリ」。
執筆現在、少しづつ上映館数は減ってきてはいるものの、アカデミー賞の効果もあり、まだ見に行くチャンスは残っています。
特に、IMAXでの映像と音声は今しか体験することが出来ません。まだ見ていない方は、是非今からでも見に行って楽しんでいただきたいと思います。
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