F1が最も盛り上がっていた時代、それが1980年代後半から1990年代前半。そんな華やかな世界に厳しくも切ない這い上がり合戦が行われていたことをご存知ですか?現代のF1には無い予備予選と、決勝グリッドを目指して戦ったユニークなコンストラクターとドライバーを振り返ります。
掲載日:2016/11/02
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予備予選とは
主に1988年から1992年までに行われた予選形式で、当時予選への出走台数の上限が30台とされており、これを上回るエントリーがあった際に行われていました。
予備予選は新規参戦チームや実績の少ないチームが対象にされ、上位4台が予選に出走の資格を得るのです。
なお、予備予選出走が義務付けられるのは、前半8戦と後半8戦で入れ替えで行うことになっており、前半戦は前年の、後半戦は前年の後半戦とその年の前半戦との合算のコンストラクターズ順位で決められていました。なので前半戦で好成績を残したチームは後半戦の予備予選を免除され、逆に前半戦に成績が振るわなかったチームは後半戦は予備予選から戦うことになったのです。
最大でエントリーが40台に迫ったF1ですが、小さいチームは資金難などが原因で徐々にエントリー台数も減っていき、1993年にエントリー台数が30台以内に収まったことにより、予備予選はなくなりました。
予備予選の難しさ
金曜日の朝8時から1時間で行われた予備予選。タイヤを温める為のウォームアップ、ピットイン・アウト、セッティングの確認、そしてタイムアタック、この全てをたった1時間でこなさなくては行けないのです。コースのデータを持っていて、トラブルが出ることなく、タイムが出せるドライバー、全てが揃わないと予備予選通過は難しいのです。
全てがかかった1時間。朝9時には上位4台が決定し、これからもっと厳しい予選、決勝が待っています。そしてそこで振り落とされたチームは、F1の華やかな雰囲気を感じることなく、サーキットから去らねばならなかったのです。
予備予選を戦ったコンストラクター
日本メーカーはホンダやヤマハだけじゃない! スバル・コローニ
スバルといえばWRCをイメージされる方が多いと思いますが、実はF1にも参戦していました。コローニは地元イタリアF3の強豪チームとして活躍していましたが、1987年からF1に参戦を開始。
1990年にはスバルと手を組み、水平対向12気筒エンジンを搭載して臨むも予備予選に通過できない結果に終わってしまいました。
結局スバルと決別し、フォード・コスワースDFRエンジンに切り替えるも決勝進出はなりませんでした。
チームはイタリア製靴メーカー社長のアンドレア・サセッティに売却され、1992年にアンドレア・モーダとしてエントリーしますが、同年のベルギーGPを最後にF1から姿を消しました。
ついでにこのサセッティさん、詐欺の容疑で逮捕されました。
4気筒×3=12気筒? ライフ
1990年、F1に参戦していたイタリアのレーシングチームで、W12型エンジンという4気筒を3つ重ねたレイアウトのエンジンは関係者の間でも話題になりました。
巨大なW12気筒エンジンを収めたため、マシン後方が膨らんでおり、見た目もユニークなマシンなのです。
オーバーヒートやエンジンの重さ、そしてエンジン出力が上がらないため、満足に走らせることが出来ませんでした。13戦目からはシャッドV8エンジンに変更するも結果は変わることがなく、資金難で遠征費が嵩む第15戦日本グランプリを目前に撤退しました。
まだまだ、予備予選時代に奮闘したチーム、ドライバーはたくさんいます!