登場とともに一大センセーションを巻き起こした初代ホンダDC2 / DB8インテグラタイプR。販売台数のほとんどがタイプRということもあり、2代目は完全にタイプR基準で開発されましたが、結果的にこれが最後の「3ドアハッチバッククーペのタイプR」となりました。
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車種整理統合の中で生まれた2代目DC5インテグラタイプR
1995年に登場した初代DC2 / DB8インテグラタイプR、1997年に登場した初代EK9シビックタイプRは「ホンダらしい痛快なスポーツ性を持つDOHC VTECを搭載した、公道を走るツーリングレーサー」として大人気となりました。
しかし、その一方でタイプR以外のグレードでは販売が伸び悩み、他の車種でもオデッセイやステップワゴンのようなミニバン、CR-VのようなSUV以外は販売不振となっていきます。
そもそも1990年代後半以降からミニバンとSUV以外は保守層向けで、堅実極まるトヨタ車以外に量販が困難という時代に入り、ホンダにおいても「タイプR」という付加価値を持たない車種・グレードで、その傾向は顕著でした。
そのため、アコードクーペ、シビッククーペ、CR-XデルソルといったFFスペシャルティクーペの国内販売は打ち切られ、2001年には最後まで残っていたプレリュードも廃盤となります。
唯一残ったのはインテグラで、ホンダが日本国内で販売する唯一のスペシャリティクーペとしてプレリュードやその他の後継を一手に担い、4代目インテグラ、および2代目インテグラタイプRが2001年にデビューしました。
既に「タイプR」という付加価値抜きには存続しえぬことが明らかだったため、基準となるモデルはタイプRとなり、それを基準とした走りの良いベーシックグレードとしてis(後にタイプS)が設定される形となり、型式は双方とも「DC5」で統一されました。
ボディタイプは3ドアハッチバッククーペに統一
既にセダン市場も低迷してステーションワゴン、あるいはロールーフミニバンしか売れない時代でもあったため、シビックとアコードの中間ポジションにあった4ドアセダンは廃止。
2ドアクーペにテールゲートを持たせた、3ドアハッチバッククーペにボディは統一されました。
当然初代インテグラタイプRに設定されていた4ドアセダン(DB8)も後継車は設定されず、2007年にFD2シビックタイプR(3代目)が登場するまでホンダから4ドアタイプRは消滅します。
これにより、ホンダの4ドアスポーツセダン自体がアコード ユーロRのみとなったため、4ドア車が必要なスポーツ系ユーザーにとっては、いささか残念なモデルチェンジとなりました。
エンジンは2リッターに拡大したK20Aでパワーアップ
やや拡大した3ナンバーボディに合わせて、搭載されるエンジンは初代のB18C spec.R 1.8リッターDOHC VTECから、新世代のK20A R-SPEC 2リッター DOHC i-VTECへと変更され、200馬力から220馬力へとパワーアップしました。
is(タイプS)用のK20Aが160馬力、同じK20A R-SPECでも2代目EP3シビックタイプRの215馬力よりハイパワーなホンダ2リッタークラス最強エンジンで、組み合わせられるミッションも6速MTに進化。
これによりサーキットなどの高速ステージでは引き続き「当時世界最速のFF車」と言われ、レースや走行会でも活躍しました。
泣き所だった重量やそのバランス、そしてサスペンション
プレリュードの後継という役割まで求められて大型化され、衝突安全性強化も含め重くなったボディや、ルーフ高が上がったことによるトップヘビー感など、この時代の実用車派生、あるいは派生車に実用車を持つスポーツカーには避けられない不満点もありました。
さらにエンジン回転方向の逆転で、他社同様右側(日本では運転席側)にエンジンが配置されたことで、日本仕様における「運転席と逆側にエンジンがあることによる、良好な左右重量バランス」が崩れてしまいます。
それを補うべきサスペンションも他車とのプラットフォーム共有化とコストダウンにより、4輪ダブルウィッシュボーンからフロントはストラットに変更されてしまい、スポーツ系ユーザーが満足できる路面追従性は失われました。
マイナーチェンジでサスペンションが若干改善されたことでサーキットユースでは好評を取り戻しますが、ジムカーナなど低速・タイトなコースをメインとしたステージでは、先代のDC2 / DC8を更新できなかったのも、また事実です。
モータースポーツでの活躍
ワンメイクレースやスーパー耐久で活躍
DC5インテグラ タイプRは2001年7月2日にデビューするや、同月21日のスーパー耐久スリーズ第5戦「第8回 十勝24時間レース」のクラス4(排気量1,501~2,000cc、現在のST4クラス)に初登場。
いきなり総合3、4位、クラス1-2フィニッシュとなる最高のデビューウィンを飾りました。
以降2007年に、FD2シビックタイプRが登場するまでスーパー耐久の同クラスはほぼDC5インテグラのワンメイク状態でしたが、2009年にS2000が特認で参戦可能となったり、その後の86 / BRZの登場で、現在はほとんど姿を見なくなっています。
しかし、2017年シーズンもたった1台ながら「G/MOTION’ KRP WMインテグラ」が参戦を続けており、スーパー耐久ではまだまだ現役レース車両!
また、2002年から2007年まではシビックタイプRの国産車が存在しなかったこともあり(イギリスから輸入されたEP3のみ)、シビックワンメイクに代わり、DC5インテグラタイプRによるワンメイクレースが開催されていました。
先代に戻ってしまったジムカーナ
全日本ジムカーナではDC2インテグラタイプRが主力だったA3クラスに、2001年シリーズ最終戦の第10戦イオックス・アローザから山野 哲也 選手のドライブでデビュー(7位)。
シーズン途中の発売とあって2001年の実績はこれのみにとどまりますが、2002年には有力選手がDC5に乗り換え、開幕戦の関越スポーツランドで新井 大輔 選手により初優勝を飾ります。
以降、S2000(AP1)やRX-7(FD3S)と激しいトップ争いを繰り広げますが主力車種とまでは言えず、A車両から改造範囲の少ないN車両メインに切り替わった2003年以降もN2クラスで上位選手が使い続けましたが、台数は減少。
2006年になるとほとんど旧型のDC2に駆逐されてしまい、2017年現在N2クラスの後継となっているSA2クラスでDC5を使う選手はほぼいなくなりました。
タイトコーナーと低速域での加減速を繰り返すジムカーナでは結局、重量やサスペンションがネックとなり、主力になれずに終わりました。
ボディ剛性の高さで活躍したダートトライアル
主力になれなかったジムカーナとは対照的に、オフロードの短距離競技、ダートトライアルではN車両、SA車両いずれでもトップを争うマシンとしてDC5インテグラタイプRは戦いました。
高いボディ剛性やトラクション性能の高さがDC2 / DB8よりダートトライアル向きだったようで、ワンメイク状態とまではいかないものの、2017年現在でもSA1クラスのトップを争うマシンとして活躍を続けています。
その他、2004~2005年に1台のみながら、全日本ラリー2輪駆動部門BクラスにDC5が出場しており、2004年には2回表彰台に上がりました。
ホンダ DC5 インテグラ タイプRの代表的なスペック
ホンダ DC5 インテグラ タイプR 2004年式
全長×全幅×全高(mm):4,385×1,725×1,385
ホイールベース(mm):2,570
車両重量(kg):1,190
エンジン仕様・型式:K20A R-Spec 直列4気筒DOHC16バルブ i-VTEC
総排気量(cc):1,998cc
最高出力:220ps/8,000rpm
最大トルク:21.0kgm/7,000rpm
トランスミッション:6MT
駆動方式:FF
中古車相場:59.8万~265万円
まとめ
当時最強のタイプR、そして世界最速のFF車と言われたDC5インテグラライプRですが、その性能とは裏腹にスポーツカー市場、クーペ市場の低迷から逃れることはできず、2006年7月に生産終了、廃止されました。
後継としてFD2シビックタイプR(3代目)が登場しましたが、クーペボディのタイプRはこのDC5インテグラが最後です。
より過激となり、「ニュル最速のFF車」を争う高価な2リッターターボの新世代タイプRも良いのですが、今ならまだ程度の良いものを購入できる、スタイリッシュなクーペボディで自然吸気のi-VTECをぶん回す最後のタイプRも良いのではないでしょうか。
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