1970年代、オートバイの世界グランプリでは、YAMAHA、KAWASAKI、SUZUKIといった国産メーカーの『2ストロークマシン』が軽量な車体を武器にスプリントレースを制し、全盛期を迎えていました。対照的に当時、日本ではあまり馴染みのなかったヨーロッパでの耐久レースの世界では、『4ストローク』の市販車改造マシンが主流となり人気を博していたのです。今回は、そんな70年代にヨーロッパ耐久選手権制覇を目指して開発された本田技研工業のワークスマシンRCB1000(開発コード480~481A)をピックアップしてお伝えします。

1977年型ホンダRCB1000(開発コード481A) / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

ヨーロッパ耐久選手権で勝てるバイクを開発せよ‼

 

ホンダCB750FOUR /  Photo by pilot_micha

 

オートバイのヨーロッパ耐久選手権創生期は、BMW、モトグッチ、ドゥカティといったヨーロッパメーカーの4ストローク2気筒マシンで争われていました。

そして1970年代に入ると、日本メーカーのカワサキZ1、ホンダCB750FOURといった4ストローク4気筒エンジンを搭載した高性能マシンが参戦を開始し、レース内容もヒートアップ‼

ヨーロッパ耐久選手権は、市販車ベースの改造マシンにより参戦可能な為、敷居の高い世界グランプリシリーズよりも参加台数が増加し続け、1975年、遂にFIM(国際モーターサイクリズム連盟)選手権に昇格します。

その後、観客動員数も増加傾向が続き、レース結果がそのままヨーロッパでの市販車の販売台数に影響するほど注目されるシリーズと化していきました。

 

Kawasaki Z1 / Photo by Steve Glover

 

当時のレース結果は、設計的に旧態化していたOHC4気筒エンジンのホンダCB750FOURよりも性能の勝る、DOHC4気筒エンジンを搭載していたカワサキZ1の方が上まわっていた為、ヨーロッパの2輪マーケットでは、カワサキ製のオートバイに人気が集中。

そのためホンダにとって、ヨーロッパ耐久選手権で勝利することの可能な性能を持ったオートバイを開発することが、マーケット対策上の急務となりました。

 

市販車のCB750FOURをベースに開発されたワークスマシン

 

RCB1000 エンジン / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1960年代半ばから本田技研工業のサービス部として、ホンダ製マシンでモータースポーツに参加する人々をバックアップしていたRSC(レーシング・サービス・センターCO)。

1975年11月にそのRSCを母体とし、ヨーロッパ耐久選手権で勝てるマシンを製作する為のワークス活動を担う部署となる、HERT(Honda Endurance Racing Team)が立ち上げられました。

その目的は、ライバルメーカーのマシンを打倒するために、僅か半年間でホンダ初の耐久ワークスマシンを完成すること。

そしてHERTが開発し、RCB1000(開発コード480)と名付けられたワークスマシンのエンジンは、市販車であるホンダCB750FOURのクランクケース寸法をベースに、排気量を拡大してクランクケースの材質を変更するなど見直され、シリンダー部分はオリジナルの新設計に!!

クランクシャフトもオールニューデザインされ、軸受け部分にはプレーンメタルを採用。

更にシリンダーヘッドはDOHC 4バルブ化され、カムシャフトの駆動方式をカムギアトレーンに近い形式に変更するなどして、設定された馬力の数値目標『100馬力オーバー』を目指しました。

 

彗星のごとく登場したワークスマシンRCB

 

1976年型RCB1000(開発コード480) / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1976年4月オランダ、ザンドヴォルトサーキットで開催された600kmでのノンタイトル戦に、RCB1000(開発コード480)は彗星のごとく登場しました。

そして実戦テスト的に導入された915.2cc仕様のエンジンは、ライバルマシンを圧倒する115PS/9,500rpmというエンジンパワーを発生。

HondaフランスよりRCBで参戦した、C.レオン/R.ボーラー組がノンタイトル戦ながら、見事初優勝を飾ります。

その後6月に開幕し、当初のターゲットであったヨーロッパ耐久選手権第1戦イタリア ムジェロでも優勝したRCBは、続く第2戦スペイン モンジュイックまでに車体、電装系などマシンを大幅にリニューアル‼

更に、空冷効果を狙ってカウリングを外してモンジュイックでの耐久レースに参戦し、初めての24時間レースで、見事ワン・ツーフィニッシュを決めました。

それでも進化と発展を止めることはないRCBは、ヨーロッパ耐久選手権 第3戦スパ フランコルシャンを前にエンジンを最高出力120馬力、排気量997.5cc仕様(マシンの開発コードは480Aに変更)に改装し、確実な勝利を目指します。

そうして迎えたヨーロッパ耐久選手権第4戦フランス ボルドール24時間は、第40回記念大会ということもあり、14万人の大観客を前に開催。

耐久レースの人気もピークを迎えます。

この年のボルドール24時間は、驚異的なスピードでトップを周回するRCBに対し、チェッカーフラッグ直前に14万人の観客からホンダへのエールの大合唱が沸き起こったといわれている有名なレース。

結果、前年を87周も上回る、762周を記録してボルドールを制すると同時に、HondaフランスのJ.C.シュマランがヨーロッパ耐久選手権のシリーズタイトルも見事獲得。

最終戦イギリス スラクストン400マイルでも圧倒的な強さで勝利したRCBは、5戦全勝を達成し、参戦1年目にして見事メーカータイトルを獲得。

HERTはRCB1000により、本来の目標どおりヨーロッパの人々を魅了したのです。

 

他の追随を許さない1977年モデル開発コード481A

 

1977年型RCB1000(開発コード481A) / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

1977年3月18日、H.E.A.T(Honda Endurance Racing Team)とRSCのバックアップにより完成したホンダワークス耐久マシン、新型RCB1000(開発コード481A)がレース関係の報道陣に披露されました。

HondaフランスのC.レオンとJ.C.シュマランを招き、雨上がりの鈴鹿サーキットでテスト走行を行なった新型RCBは完全なニューモデルとして登場し、前年モデルと殆ど共通部品を持たない程リニューアルされたマシンの変貌ぶりに、周囲を驚かせました。

前年モデルとの外観上の相違点は、ファニーフェイスのフロントカウルに装着されるデュアルヘッドライトの下に、大きく口を開いた様な開口部が存在していて、中にはオイルクーラーが顔を覗かせている所。

そしてFIMの新しい騒音規制により大型化されたサイレンサーからは、前年モデルより重低音の野太いエキゾーストサウンドが発せられていました。

更に、ベンチレーテッドディスクに変更となったフロントブレーキに、アルミリムが特徴的なホンダ独自のプレスドスポークを持つコムスターホイールを装着。

アンダーカウルの下には、より高い鋼性を目指して形状を変更したダブル クレドール フレームの構成が見え隠れします。

心臓部のエンジンは2mmのボアアップが施行されて、排気量は制限ぎりぎりの997ccに変更されています。

ホイールベース、キャスター、トレールの数値は前年モデルと同様でしたが、殆どのコンポーネントを徹底的に改善。

重量も約20kgの軽量化に成功するなど、大幅に動力性能を向上しています。

 

1977年型RCB1000(開発コード481A) スペック

エンジン形式 空冷直列4気筒・DOHC16バルブ
ボア×ストローク 70.0×64.8mm
総排気量 997cc
最高出力 120ps/9000rpm
最大トルク 10.0mkg/8000rpm
圧縮比 10.5
キャブレター 35パイCVキャブレター×4
ミッション 5段・コンスタント・メッシュ
クラッチ 8プレート・湿式多板
フレーム構造 ダブル・クレードル
サスペンション・前 テレスコピックフォーク・ストローク120mm
サスペンション・後 スイングアーム・ストローク110mm
ブレーキ・前 ベンチレーテッドディスク・Lockheed41パイキァリパー
ブレーキ・後 ソリッド・デイスク
ホイール/タイヤ前 2.50×18/4.50×18
ホイール/タイヤ後 3.50×18/5.75×18
ホイールベース 1470mm
キャスター/トレール 63°/88mm
全長 2190mm
全幅 548mm
全高 1220mm
最低地上高 127mm
車両重量 175kg
燃料タンク容量 24L
ヘッドライト CIBIE 12V 55Wヨーソ×2

 

伝説のワークス耐久マシン誕生

 

1977年 ボルドール24時間レース・RCB1000編隊走行 / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

新型RCB1000(481A)のデビューはセッティング不足の為に大幅に遅れ、ヨーロッパ耐久選手権第2戦ニュルブルクリンク8時間耐久レースからの参戦となりましたが、Hondaブリテンのスタン・ウッズ/チャーリー・ウイリアムス組が新型モデル投入初戦にして見事優勝を飾り、期待通りの活躍を披露します。

そして続くヨーロッパ耐久選手権の第3戦、スペインで開催されたモンジュイック24時間でも、見事優勝した481A。

しかもこのレースでは、優勝したユゲ/コルホーネン組を含む、Hondaフランスチームが1-2-3フィニッシュを果たしました。

第4戦のベルギー リェージュでの24時間耐久では、Hondaフランスが投入した481Aを駆る レオン/シュマラン組がポールポジションを獲得してレースをリードするも、9時間を経過した頃、シュマランが転倒を喫し、一気に20番手まで後退。

しかしその後、マシンを修復を果たして怒涛の追い上げを見せ、レース終了1分前にレオンが2番手までポジションアップ。

先頭のリュック/ソーラス組に続き、見事481Aがワンツーフィニッシュ!

リェージュに集まった6万人の観衆からは大歓声が沸き上がるとともに、惜しみない拍手が送られました。

そして20万人もの観衆が集まったボルドールでの24時間耐久レースでは、前年に彗星の如く現われたホンダのワークスマシンRCB1000が注目を集めます。

1977シーズンモデル481A投入後も、破竹の勢いを続けていてヨーロッパ耐久選手権の話題の中心は常にホンダとなっていました。

負けられない雰囲気のままスタートが切られると、レオン/シュマラン組が9週目にトップに躍り出ます。

しかしサーキットに、衝撃が走ったのはスタートから10時間が過ぎた頃でした。

鈴鹿でのシェイクダウンから481Aを任せられていたレオンが転倒の末、マシンにかなりのダメージを負ってピットに帰ってきたのです。

その後、突貫工事的に修復されたマシンは、20分弱のロスタイムを要して先頭のまま見事コースに復帰。

そして最終的に追い上げてきたライバル 、カワサキのマシンを抑えきって763周(3235.46km)でHondaフランスのレオン/シュマラン組が優勝!

この勝利でHondaは、2年連続ヨーロッパ耐久選手権メーカータイトルを獲得する事になりました。

また、この年のボルドール24時間耐久レースにおいて、3台のRCB1000が編隊を組んでウイニングチェッカーを受けるシーンは、ヨーロッパの人々から『不沈艦RCB1000』と言われる所以の一つとして伝説となり、ロードレースファンの中で語り継がれています。

 

まとめ

 

クリスチャン・レオン (右)、ジャン・クロード・シュマラン (左)1977年 ボルドール24時間レース / © Honda Motor Co., Ltd. and its subsidiaries and affiliates. All Rights Reserved.

 

当時のロードレースにおける耐久レースとは、文字通り長く、苦しい戦いの場でした。

そして、この上なく過酷な故に人気があったのが、モンジュイックやリェージュそしてボルドールでの『24時間耐久レース』。

また、軽量化され、よりパワフルでより良い乗り心地を目指して開発された77年型RCB(481A)の最終目標は、2年連続『ボルドール24時間制覇』であったと言われています。

当時のヨーロッパにおける24時間耐久レースは、ふたりのライダーが20時間を過ぎた辺りからの睡魔と疲労が極限に達する過酷な条件のもとで行なわれる、いわば自分との戦いでもありました。

それ故に77年型RCB(481A)の開発におけるメインテーマは、意外にも過酷なライダーの負担を少しでも軽くしてあげようという『ヒューマンなもの』であったと言われています。

 

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