現在でもフェラーリ一族の中では特別な扱いを受けることが多い、フェラーリ F40。伝説の創業者、エンツォ・フェラーリがその最晩年にあたり、その基本理念である「そのままレースに出られる市販車」を形にしたようなスーパーカーとして開発されました。素材こそ新しいものの旧態依然とした構造と強力なエンジンからは、ある意味それまでの市販フェラーリの集大成と考えることもできる1台です。
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フェラーリの、そしてエンツォの思想を体現した創業40周年記念モデル
イタリアのスーパーカーメーカー、フェラーリとそのレーシングチーム、スクーデリア・フェラーリの創業者で「生ける伝説」と化していたエンツォ・フェラーリ。
1898年にイタリアのモデナで生まれ、1920年にアルファロメオのレーシングドライバーとなり、1929年には同社のセミワークス・レーシングチーム、スクーデリア・フェラーリを設立しました。
そして1947年に自らのファミリーネームを冠した自動車メーカーを立ち上げると、レースの実績とともに数々の高性能スーパーカーを生み出していったのです。
また、自動車メーカーとしてのフェラーリが1969年にフィアット傘下に入った事により、以降はスクーデリア・フェラーリの指揮に専念し、1973年以降はモデナの自宅で静かな余生を過ごしていたとはいえ、そのカリスマは絶大でした。
そこでフェラーリ創立40周年記念事業として、同社が手がけてきた「そのままレースに出られる市販車」の究極的集大成をを企画、それはまさにエンツォの名言の1つとされる「レーシングマシンとは、強力なエンジンを造り、4つの車輪をつけたもの。」でした。
V12エンジンこそ搭載していなかったものの、その代わりひとたびパワーバンドに入れば手の付けられない荒馬、フェラーリ F40はこうして生まれたのです。
1987年7月21日に行われたF40の発表会には、驚くべきことにエンツォ自身が出席、翌年8月に90歳でその生涯を終えることになるエンツォにとって、これが最後の仕事となりました。
グループC由来の怪物エンジンに4つの車輪をつけた、スパルタンなスーパーカー
F40はボディなどに使用される素材こそアルミハニカムをサンドイッチしたCFRP(カーボンケプラー材)などを多用した先進的なものでしたが、内装は無い!というよりその構造材がむき出しで余計な装飾を持たないスパルタンなもの。
それに旧来の楕円交換フレームを組み合わせたセミモノコックで、基本的にはそれまでの市販フェラーリの集大成としての高い剛性を得ていたものの、構造的にはさほど新奇なものではありません。
特徴的だったのはそのエンジンで、1983年に登場したグループCレーシングカー、ランチア LC2に供給された後、グループBマシンのフェラーリ288GTOに排気量を下げて転用、さらに288GTOエボルツィォーネで熟成された上で若干排気量アップしたTipo F120Aでした。
その成り立ちを見てわかる通り、初期の2,594ccツインターボ時代から620馬力を発揮し、信頼性を除けばポルシェ956に唯一対向可能と言われたランチア LC2用エンジンのデチューン版で、F40市販型に搭載された時には2,936ccツインターボで478馬力。
それもブーストがかかった瞬間急激にトルクが立ち上がってはドライバーを驚かせるほどの「超どっかんターボ」で、F1ドライバーをもってしても「雨の日は乗らずにガレージから出さない方がいい」とまで言わしめました。
しかし、好条件下で目いっぱいパワーを絞り出せばその最高速は325.8km/hに達し、世界で初めて320km/h以上の最高速を誇る市販車となっています。
現在なら478馬力程度、どうにでもなりそうなスペックのように思えますが、当時はそれを可能にするさまざまな電子制御デバイスが一般化される前の時代でした。
F40とはこのすさまじいエンジンにタイヤを4つつけたような、スーパーカーというよりレーシングカーのような車であって、パワーアシスト皆無なステアリングやブレーキ、ハイパワーを受け止めるための非常に重いクラッチとともに、乗り手を選ぶ車だったのです。
それにも関わらず「エンツォ時代最後のフェラーリ」であり、刺激的なことこの上無いF40には注文が殺到。
当初予定していた生産台数の3倍以上となる1,311台を生産する結果となりました。
そのうち日本への正規輸入車は59台と言われていますが、並行輸入車がどの程度あったかは不明で、バブル時代真っ只中ということもあって正規価格が4,650万円のところ最高で2億5,000万円というプレミア価格がついています。
なお、レース用のF40LM市販版と言えるF40コンペティツィオーネではタービンやインタークーラーを大型化、ブーストアップなどさらに手を加えて最高出力780馬力、最高速度381km/hに達し、前時代的スーパーカーの中では文字通り「化け物」的存在でした。
モータースポーツでの活躍
公道走行可能な、そしてそのままレースにも参戦可能な市販スーパーカーとして非常に高いスペックを誇ったF40ですが、現実には参戦できるレースはそう多くはありませんでした。
1992年からイタリアで始まったスーパーカーGT選手権では、フィアットグループのセミワークス、ジョリークラブにより参戦して最強を誇るも、1994年にFIA-GT選手権の前身、BPR GTシリーズが始まった時には、新世代のマクラーレンF1が登場。
F40もレース用エボリューションモデルF40GTEを投入しますが、そのポテンシャルを活かしてライバルとのし烈な争いができるレースがようやく実現した頃には、ライバル車に対し旧式化しているという不運に見舞われていたのです。
それでもBPR GTシリーズでは3年間で年1回、3勝は上げてファンを喜ばせましたが、F40 LMとF40GTEで出走したル・マン24時間レースでは結果を残せずに終わっています。
また、日本のJGTC(全日本GT選手権。現在のSUPER GT)にもチームタイサンによって1994年から1996年まで出場、大きな成果はほとんど残せなかったものの、1994年最終戦(MINE)で太田哲也 / オスカー・ラッラウリのドライブにより貴重な1勝を上げました。
主要スペックと中古車相場
フェラーリ F40 1987年式
全長×全幅×全高(mm):4,430×1,980×1,130
ホイールベース(mm):2,450
車両重量(kg):1,100
エンジン仕様・型式:Tipo F120A 水冷V型8気筒DOHC32バルブ ICツインターボ
総排気量(cc):2,936cc
最高出力:478ps/7,000rpm
最大トルク:58.8kgm/4,000rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:MR
中古車相場:ASK(応談)
まとめ
現在なら4WD化やさまざまな電子制御デバイスを駆使した上に、ミッションもDCT(デュアルクラッチミッション)などセミATを使って、たとえF40以上のスペックを持つスーパーカーでも、資金と免許さえあればいくらでも安楽に乗れるようになりました。
しかし、それ以前の「極めてみたら野蛮になった」「常にサーキットにいるが如き覚悟で乗らなければいけない」というスーパーカーとして、F40は最後の世代に属するかもしれません。
実際にはF1用エンジンをデチューンして搭載、1995年にデビューしたF50もそれに近いものはありました。
しかし、F50には野蛮さを発揮して世界一の何かを狙う野望まで無かったことを考えれば、やはりF40は「エンツォの最後の仕事であり、その頂点、あるいは化身」のような存在なのではないでしょうか。
フェラーリやスーパーカーのファンのみならず、スペック以上のカリスマで車好きならば今なお圧倒されつつどこか血が騒ぐ、フェラーリ F40はそんな空気をまとっているのです。
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