OEM車や共同開発車で「この車にあの(メーカー自慢の)エンジンが載っていれば買うのにな…」と考える事はありませんか?しかし自社工場で作っているならまだいいのですが、他社の工場にエンジンを出荷してまでそのエンジンを載せるというのは、簡単に実現する事ではありません。しかしどこにでも例外はあるもので、オーストラリア製のアメ車にマツダ自慢のロータリーエンジンを載せてみました!という車が存在します。その名も『ロードペーサーAP』です。

掲載日:2019/06/13

マツダ ロードペーサー / 出典:https://mzracing.jp/feature/8594

 

生き馬の目を抜く1960年代を生き残った!次はショーファードリブンだ!

 

マツダ ロードペーサー / 出典:http://www.imcdb.org/vehicle_766596-Mazda-Roadpacer-AP-1975.html

 

戦後日本の自動車産業は、1947年からの進駐軍による段階的な解禁後に乗用車も作れるようになります。

そして1949年には軽自動車規格も登場し、1950年代には大中小零細と有象無象の自動車メーカーが乱立する群雄割拠の時代がありました。

しかしロクな実績も無い零細メーカーがアッという間に消えるか業態転換すると、中小企業の中でも技術と体力のあるメーカーが定まってきたり、そこへホンダが殴り込んだりで、1960年代が終わろうという頃にはおおむね現在の主要自動車メーカーの生き残りが決まります。

その中でも独立独歩のスバルやホンダ、軽自動車に注力するダイハツやスズキはさほど欲張らなかったものの、そろそろフルラインナップ化を果たしたいメーカーもちらほら。

要は、「トヨタや日産みたいに大きくて立派な車を作りたい!」というわけですが、大手メーカーほどの開発余力があるわけでも無いので、自力での開発は早々にあきらめて輸入車へ自社のエンブレムを貼るバッジ エンジニアリングへ転じます。

こうして生まれた3台の大型高級乗用車のうち2台、三菱 クライスラー318といすゞ ステーツマン デ ビルはドアミラーをフェンダーミラーに直すなど、日本の保安基準に合わせた最低限の改造のみで販売されますが、唯一それでは収まらなかったのがマツダでした。

まだフォードとの提携前(提携は1979年)だったマツダは他の2社同様、日本と同じ右ハンドル圏のオーストラリア製アメ車を導入しますが、なんとオリジナルの直6またはV8エンジンに代わってマツダ自慢の13Bロータリーを搭載。

1975年に発売したのです。

 

ロータリーらしい高速ツアラーっぷりと低公害が売り

 

マツダ ロードペーサー/ 出典:https://www.carsguide.com.au/oversteer/the-best-mazda-museum-in-the-world-isnt-in-japan-58422

 

後のロータリーターボやRENESISとは異なり、当時の自然吸気13Bロータリーはグロス値で高めに表記しても最高出力135馬力、最大トルク19.0kgmしかありません。

同じオーストラリアのGMグループ『ホールデン』製の、いすゞ ステーツマン デ ビルよりはやや格下のホールデン プレミアーをベースにしたとはいえ、日本向けに高級内外装を整え、1.5t超の車重は5リッターV8を積んだデ ビルとほとんど変わらず。

そのため当時のレビューを見ると「低速では物足りないものの、80km/hを超える高速ではロータリーらしいレスポンスが…」などと書かれていますが、要するに低速トルク不足であり、何とか実用になったのはジャトコ製3速ATのギア比が適切だったのでしょうか。

あるいは、同じ13Bを搭載して車重2.8tを超えるマイクロバス『パークウェイロータリー26』も販売していたので、それより1.3tも軽いじゃないか!と思えたのかもしれません。

他にも、スカスカなエンジンルームのだいぶ奥まったところへ収められた13Bロータリーを見ると、前後重量バランスの補正はどうしたのかと気になるところ。

さらにロータリーは燃費が最悪で、アメリカンV8エンジンにも劣ると叩かれていた頃でしたが、当時としては低公害エンジン(AP=アンチポーリューション=公害対策)だったためか、一時はトヨタ センチュリーの販売台数を上回り、日産 プレジデントに迫りました。

しかし問題だったのは368~371万円という高価格で、プレジデントの最上級グレード(407.8万円)や三菱 クライスラー318(371万円)よりは安かったものの、センチュリーの最上級グレード(342万円)やステーツマン デ ビル(348万円)より高かったのは問題です。

日本車の感覚では巨大なものの、オーストラリアではごく普通の大衆車であるプレミアーにショーファードリブンとして通用する超豪華内装を施し、13Bロータリーまで積んだので、ある意味それだけ高額になるのも当然。

結局デビュー初年こそ、そこそこ売れたものの販売は低迷の一途をたどり、発売からわずか2年後の1977年にちょうど800台で生産中止。

その後も月販数台ペースで細々と販売していたものの、1979年を最後に廃止されました。

 

主なスペックと中古車相場

 

マツダ ロードペーサー / COPYRIGHT© TOYOTA MOTOR CORPORATION.All Rights Reserved.

 

マツダ RA13S ロードペーサーAP 1975年式

 

全長×全幅×全高(mm):4,850×1,885×1,465

ホイールベース(mm):2,830

車両重量(kg):1,575

エンジン仕様・型式:13B 水冷2ローター

総排気量(cc):654×2

最高出力:99kw(135ps)/6,000rpm(※グロス値)

最大トルク:186N・m(19.0kgm)/4,000rpm(※同上)

トランスミッション:3AT

駆動方式:FR

中古車相場:皆無

 

まとめ

 

マツダ ロードペーサー/  出典:http://www.webcarstory.com/voiture.php?id=19887

 

海外メーカーから供給を受けた車はその後も何台かありましたが、ロードペーサーAPはマツダらしい凝り性な作りによって後世まで『究極のカルトカーの1台』として、レア車マニアから密かな人気を呼んでいます。

どれほど人気かと言えば、ブルーバード教習車など普通の人はあまり乗らない車ばかり乗り継ぐレア車ファンサイトの管理人がわざわざ探してマイカーにしていたほどで、いろんな意味で目にした者の度肝を抜く車だったのは間違いありません。

しかしロータリーで重量級大型高級車は少々無理があったようで、当のマツダでさえバブル時代に夢見た高級車『アマティ』計画でもW型12気筒エンジンを開発。

ロータリーで大型高級車を作ろうとはしませんでした。